13日
月曜日
床ずれ狼
大五郎、ちゃんは寝過ぎて背中に褥瘡ができたぞ。朝7時半起床。最近、寝覚めが非常に心地よい。寝床で聖書人名辞典をパラパラ。ゆうべ見た『白鯨』の、登場人物名の知識を確認するため。語り手の名前ががイシュマエルなのは、“神聴知(神、聞こし召す)”という意味があるから。ピークォド号の運命を予言する男・エライジャは有名な聖書の預言者エリヤから。エイハブは北イスラエルの王アハブ。“オムリの子アハブは其の先に在りし凡ての者よりも多くエホバの目の前に悪を為せり”(列王紀上第16章30節)と書かれ、死んだあと犬がその血を舐めたという悪王であり、『白鯨』の原作でもなんで親がこんな呪われた名をつけたかと書かれていた。もっとも、聖書中でアハブの妻となって彼を尻に敷く偶像崇拝者の名前であるイザベルの名はよくつけられているじゃないかと思ったが、こっちの方はJezebelで、イザベル・アジャーニなんかのイザベルはIsabelle、“マダム・エリザベス”の意味だそうな。エリザベスはエリザベトでモーゼの兄弟アロンの妻、また新約では預言者ヨハネの母である。ところで聖書とは関係ないと思うが、『白鯨』でレオ・ゲンが演じていた一等航海士の名前がスターバック。K子がゆうべ見ながら、名前が出てくるたびにコーヒーを思い出すと言っていたが、原作では彼はコーヒー好きとして描写されており、スターバックスチェーンの名は実際彼の名からとったのである。
朝食、クレソンとモヤシのスチーム、青豆のスープ。健康的だが何ともソッケないもの。蒸した野菜にはクレージーソルトをぱっぱとかけるだけ。果物はポンカンを半個。K子にはスパニッシュ・オムレツ(風のもの)。ダイニングに昨日のサバの脂の匂いが漂っている。オーブンに残った脂によるものだろう。カラ焼きして匂いをトバす。新聞に大きく深作欣二監督死去の報。つい先月、『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和雄が死んだばかり。続くなあ。スーパーモーニングではその人生を絶賛しながらも、荻野目慶子との不倫のこともちゃんと触れており、感心。しかし松坂慶子、荻野目慶子と連続不倫したときには、慶子という名前フェチだったのかと思ったな。
その荻野目慶子の書いた不倫暴露本で、前立腺摘出手術をすれば命が延びると言われ、命より男性としての機能を選ぶ、というマッチョイズムの美学を貫いたということが書かれている、とテレビで紹介されており、なかなかスゴい、と、すぐネットでその本を注文。好きだねオレも。世の中に対する闘争心、反骨精神を最後まで貫き通して遺作『バトルロワイアル』を大ヒットさせたのは、黒澤明などよりずっと映画人として恵まれた晩年だったのではないかと思う。作品中一本だけ選ぶとしたら、もちろん『仁義なき戦い』を挙げたいのは山々だが、青臭い映画少年だった頃の思い出に免じて、『軍旗はためく下に』をあげさせてほしい。一時極端な反戦思想カブレだった私の、思想的基盤みたいになっていた作品であることはおいても、夫の戦地での不可解な処刑死の謎を、戦後になって教養もない老いた妻が解き明かそうとして、かつての軍隊時代の人々の話を聞いて回る、という現代版『羅生門』とも言うべきミステリ作品として完成度が高い作品だった。
ただし、深作監督フィルモグラフィー中、汚点というよりは異点、珍点というべきなのがそのSF作品群である。この人はまさに戦後闇市の暗黒の中から情念を全身にべっとりまとわりつかせて這い上がってきた人であり、そういう情念を切り捨てたと ころで成り立っているSFという世界を描くと、とたんにどうしようもない駄作ばか りを連発した。会社もまあ、どうしてそれなのに次々とこの人にSF・ファンタジーを撮らせ続けたか。『ガンマ3号宇宙大作戦』、『宇宙からのメッセージ』、『復活の日』、『魔界転生』、『里見八犬伝』……思い出すだけで頭を抱えたくなるものばかり。まあ、それもこの人の場合ご愛敬か。最後の作品であるバトロワが血まみれで はあれ、ファンタジーなんだし、それでモトはとったということか?
講談社Yくんから原稿の催促。すっかり忘れていた。阿佐谷をやはり取り上げることにする。ただし、これは写真がどうしても必要なので、撮影しに急遽、出かけることにする。新宿まで出て、今日は休日なので総武線の各駅停車で。飛び乗ったのが中野行きだったので、東中野で降りて遅めの昼飯。大盛軒でカルビ麺定食。再度総武線で阿佐谷。こないだと同じコースを辿って写真撮影。近藤様離れ、アオイ荘も撮影する。先日訪れたときには閉まっていた、共産党のポスターがべたべた張ってある、バラックのような古本屋・川村書店(元共産党市議の経営)は開いていて、まだやっているんだということを知る。書店の本の並べ方というより、倉庫の本の並べ方のような店内であることは変わらず。下の本が読めないほどの山積みなのだ。あまり面 白い本があったことはなかったが、学生時代、ちょいと時間をつぶすのにはいい場所だった。ここで一番の思い出は、春陽堂の明治・大正文学全集のバラを一冊100円でゾロッと買ったことか。出かけるついでのときだったので店にとっておいてもらって、一冊、『黒岩涙香集』だけを持って、新宿西口の高層ビル建設予定地でやっていた唐十郎の公演を観に行ったんだった。まだ西口には建設予定の空き地がいっぱいあった頃だった。芝居も面白く、涙香(『岩窟王』)も面白かった。私も若く、鬱屈ばかりしていたが、本を読んだり芝居を観たりする時間だけは山ほどあった。嗚呼。
帰宅して原稿書き。今年に入ってまだ麻黄附子細辛湯をのんでいないが、明日あたりは必要になるかな、こりゃ。講談社を半分までやって、モノマガジンを四分の三までやる。K子からと学会会員MLに通知。会員達がいくら言っても自分の会員番号を覚えないので、会員番号を元素記号表に当てはめました、というアホな工夫を。それぞれ自分の会員番号に照応する元素名(1番なら水素、2番ならヘリウム)を覚えておけ、という通達である。これが笑える。山本会長は名簿改訂のときに手続きが遅れたので、会長にもかかわらずエルビウムなどという地味なものに当たってしまった。岡田さんがタンタル、皆神さんがルテニウム、志水さんはプラセオジム。植木不等式さんはイリジウムかオスミウムがいいのではないか(重いから)と思ったが、塩素。ひえだオンまゆらさんは何か霊的なパワーを持つという元素、という感じだが、ただの鉄。一番気の毒なのは某女流作家さんで、臭素。さすがに“変えてくださ〜い!”とK子に鳴き声メールをよこしたそうだが、一蹴された模様。ちなみに私はリチウムであった。
9時、夕食。今日も予算は二人分2000円以内。蒸し鶏とキュウリの中華風和えもの、里芋の和風コロッケ、大根とアサリの煮物。里芋はあのつくんからのいただきものが残っていたものをレンジでチンして(そう言えば電子レンジが出てきたときはこれで調理することを“エレックする”と普及させようとしていた。エレキとクックの合成語だが、植草甚一が“エレクする”と日記に書いていたのを読んだ以外、使っている人を見た記憶がなく、いつしか即物的な“チンする”が定着してしまった)、マッシュし、牛挽肉(冷凍庫にあったもの)、ピーマン、ニンジン、タマネギ(共に冷蔵庫の奥でしなびていたもの)のみじん切りと混ぜ合わせてガーリックソルトと胡椒で味付けし、耐熱容器に入れてオーブンで焼く。ざっと火が通ったところで上にマヨネーズをたっぷりと敷き、そのマヨネーズが焦げるまでもう一度オーブンで焼く。どこが和風だと思うだろうが、渋谷の居酒屋『宇の里』のメニューにあるもの(こっちは普通にジャガイモを使う)を、里芋に変えてやってみたもの。少し水っぽかったが、これはマッシュした里芋をもう一度チンして、水気を飛ばせば防げると思う。里芋のねばりでねっとりして、確かに和風っぽいものになった。『宇の里』に教えてやろうかしらん。
もう『サインはV』は見尽くした(BOXの最新巻は18日発売)ので、“何か代わりになるものを見たい”とK子に言われ、香港版DVDで若山富三郎の、『子連れ狼 三途の川の乳母車』を見せる。かのロジャー・コーマンが“これを作ったヤツは天才かキチガイかどっちかだ!”と叫んだという大スプラッタ時代劇(三隅研二)。血がウルトラマンのウルトラ水流のように噴き出し噴き上がり、もう腕は飛ぶは首は飛ぶは耳は削がれるは鼻は削がれるは指は落ちるは足は転がるは頭はまっぷたつになるは、の大残虐絵巻だが、三隅研二はこれらのシーンを非常に静謐に、詩情すら交えて撮る。見ようによってはスラップスティックだが、私は美学を感じたな。松尾嘉代の後ろ向き走りは大笑いしたが。脚本は小池一夫本人。その後おかしくなっちゃったが、この頃の小池一夫はまさに怪物だったな。この映画の脚本にしろ“しとしとぴっちゃん”の作詞にしろ、時代劇や歌謡曲の常識というものをテンとして無視して、しかも残らず大ヒットさせていた、まぎれもない天才だったのだ(若山富三郎自身が歌う主題歌の歌詞も別の意味でトンでいるんだが、こっちはヒットしなかったようである)。劇画村塾出身の山口貴由(『覚悟のススメ』)が小池一夫を神の如く尊敬し、“自分は自分であるよりも小池一夫の模倣者でいたい”とまで言っていたのが、決して奇矯な言葉に聞こえないカリスマ性があった。問題は、その模倣者に、他の誰でもない小池一夫がやがてなってしまったことなのだが。……ともかく、本日のダジャレタイトルはこれを見ながら思いついた。