裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

金曜日

斎藤マタギ

「あのイタズ(熊)の奴、春になっても穴から出てこねえだ」「引きこもってんでねえかなあ」。朝7時45分起床。夜中にアルコールによる脱水症状で、ノドが乾いて仕方なかったが、水を飲みに起きるのがめんどくさく、そのまま寝続けた。寝床の中で『私はスポック』読了。彼が舞台での自分の代表作のひとつとしているのに、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに扮した一人芝居があるのが面白い。スポックのキャラクターに縛られることを嫌い続けたニモイが、“耳”を切り落とす芸術家の役を演じるというのは出来過ぎている。天候は回復。また夜中に雪が降らないかと心配していたが、快晴である。朝食、モヤシとサトウザヤのスチーム。それだけ食べてイヤになったサトウザヤだが、モヤシと取り合わせると甘さが引き立ち、美味。それと青豆の冷 スープ。

 映画監督松田定次死去。九十六歳。マキノ省三が愛人に生ませた子であったが、結果として正妻の子(マキノ雅広)、メカケの子と、二人が二人大監督になった。日本映画の主・マキノ省三の遺伝子の濃さよ。例えてみればマキノ雅広は談志、松田定次は志ん朝という芸風であった。個性の押し売りはせず、スターをきちんと立て、白塗りの顔をライトでぴっかぴかに照らして撮る。マキノ雅広だったらさまざまな工夫をこらして演出するであろうところを、松田定次は真っ正面からどーん、とストレートに出す。大味ではあるが、横綱相撲だ。両者のフィルモグラフィーを比べて見ればわかるが、兄・雅広が次郎長ものや国定忠治などの任侠映画が多く、武士の主人公でも丹下左膳のようなアウトローや遠山金四郎など横紙破りなキャラクターが主なのに対し、弟・定次は旗本退屈男、新吾十番勝負のように折り目正しい、正統派ヒーローを描くことに長けていた。仮面ライダーシリーズを生んだ平山亨プロデューサーはこの松田監督の直弟子である。初期仮面ライダーシリーズが持つ、ヒーローとしての折り目正しさは、松田定次譲りなのだ。この折り目正しさ、時代劇とかでは完璧に効果を発揮するのだが、現代劇となるとどうもトチ狂う。時代劇のセオリーをそのまま現代に持ってきた『多羅尾伴内』シリーズなど、どうみても非現実というよりはシュールな世界が展開してしまう(今、見るとこの映画は古い作品だからこんな変てこなのだろうと思いがちだが、とんでもない、当時から変てこだったのだ)のだが、しかし、この徹底した浮世離れぶりあればこそ、“ある時は片目の運転手……”というセリフがいまだに通用する生命を持ち得ているのである。現実世界にいない者は年をとりようがない。松田作品は今見ても、時の風触から逃れ、見事に華やかにカッコいい。

 一本、作品を選ぶなら、以前にもこの日記で取り上げた記憶のある、『赤穂浪士・天の巻・地の巻』。重厚なセットと、様式美の美しさを徹底追及した演出。ことに内匠頭(東千代之介)が切腹の場に向かうシーン、庭からそれを見送る片岡源五(原健策)との対面の、月明かりの下でのしびれるような構図は、黄金期にあった日本映画 の美学の粋が感じられる、圧倒的な名場面だった。

 午前中は、昨日書きかけに終わった戦争論本の内容概略。ちょっと力を入れて、担当に解説するばかりでなく、こちらの論旨をはっきりさせるためにも、本筋がきちんと見えるようなものに仕立てる。昼飯は明太子とけんちん汁で。麦飯パック食ったがうまくない。舌が贅沢になってしまっているのか? 続いてWeb現代、のはずが、どうしてもネタがない。考えているうちに試写の時間が迫る。どうしようか、と思って、そうだ、試写会行く話にすりゃいいじゃないか、と気がついた。ならば取材、と 胸を張って六本木へ。

 20世紀FOX社試写室で、『007/ダイ・アナザー・デイ』。試写状渡して、“すいません、『Web現代』で取り上げさせていただきたいんで、試写室内の写真撮らせていただけませんか”と頼んで了承を得る。さすが007、単館上映作品などの場合だとどうぞどうぞ、他に何か資料は、などとくるが、Web現代の名前程度では“アアソウデスカ、ご自由に”くらいの対応。今回の作品、北朝鮮が抗議した、ということで話題性は十二分。試写の数も十回以上あるが、満席で補助を出しても足り ないくらい。早めに来て正解であった。

 正直言ってピアーズ・プロスナンになってからのボンド映画は、がんばってはいるがどこかピントはずれ、というものが多かったのだが、今回は20作目&40周年記念ということで力が入っているせいか、これまでのプロスナン・ボンドでは最高の出来。ボンド映画が面白くなくなった理由の一つに、ボンド・ガールを女性の時代ということで強くしすぎて、男の願望を正直に反映する、というボンド映画のウリを自ら弱めてしまったという点がある(『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』のバーバラ・カレラくらいスゴいと逆にパロディとして優れたものになっていたのだが)。今回も女性キャラは強い。いや、強すぎるくらいなのだけれども、女性にやられるボンドは前半に徹底して見せて、後半はその強い女性すら征服してしまうボンド、という勇姿を取り戻したのは結構だった。こういう映画にジェンダーとか言い出す馬鹿は放っておけばよろしいのである。もう、盛んに葉巻だのシガリロだのをくゆらして禁煙主義者どもの神経を逆なでするし(ビートルズのポスターからタバコを消し去るような歴史修正主義者はどこか無人島にでも行って暮らせ)、アジア人蔑視は凄いし、北朝鮮ばかりでなく、いろんなところを怒らせそうだが、まんべんなく四方に気をつかって面白い娯楽映画が出来ようはずがない。片一方に、女性がベラボウに強い『バイオハザード』みたいな映画があり、もう一方で男性がベラボウに強い映画がある。で、いいじゃないの(圓生がよく“女郎屋が女性に対する差別だ、というならその脇に男郎 屋をおけばいいとあたくしア思う”と言っていたが、アレである)。

 もちろん、女性の時代らしく、スーパーウーマン同士の女闘美もある(中野貴雄監督が大喜びしていたそうだがさもありなん)。敵のボスと用心棒の間がらはやおいっぽさ芬々である。さすが、監督の名がタマホリなどというだけある(マオリ族の出身であるらしい)。やおいはいいのだが、やはり美形悪役(マギー・スミスの息子のトビー・スティーヴンス)は線が細くて迫力がない。ゲルト・フレーベだのロバート・ショーだのアドルフォ・チェリだのといった濃すぎる顔と演技の悪党どもの復活を望みたい。ジョン・クリースがデズモンド・リューウェリンの死去に伴ってRからQに昇格したが、これは適役。もっともボンドより背の高いQである。“一回くらいは装備を無傷で返却してもらいたい”、“Q課所属の者は職務上で冗談は言わんよ、ボンド”といった、リューウェリン版Qの決まり文句もちゃんと引き継いでいる。彼とマネーペニーのスケッチ風のオチも最高。試写室に爆笑と拍手が起こった。

 帰宅して、ざっと原稿をラフな形にまとめる。メール、銀河出版Iくんから。送った内容案、社長も気に入ってくれて本の形に関して自由採決権をくれたという。しかし、その前に世界征服論、怪獣論の二書を挙げないといかんのだけどな。あと、ササキバラ・ゴウ氏のサイトに私の送ったメールがアップ。これは論でもなんでもない、ただの思い出話だが、証言(事例)を出来るだけ集めて記録することが(バラタックのように未だソフト化されていない作品の場合、ことに)頓珍漢な議論でオタクを論じようとする連中への唯一の防御策である。枠組みの中での理論なのだから、些末な知識の間違いをつつくのは場違いな批判だという意見は、言ってみればアダムスキーの理論は概念としての枠組みなのだからこれを科学などの目で批判してはいけない、というUFO信者の信念と同一だ。『サイキック・バトルロイヤル』(鷹書房弓プレス、1993年)の中で、UFO研究家の大田原治男(故人)氏は、アダムスキーの説が科学的に矛盾だらけだ、という指摘に対し
「アダムスキー問題がUFO問題の根幹をなす重要な視点を、ある程度持たないと、むしろ、アダムスキーが判らないではなくて、UFOが判らないではないかという事を言いたかったんです」
 と、よくわからない言い訳をしている。いや、私もやはり、アダムスキーも含めて考えないと、確かにUFO問題というのはよくわからないと思う。しかし、それは、アダムスキーが語っている内容が重要なのではない。こういうクズな言説が多くの信者を惹きつけるというところに、UFO問題の重要さがあるということである。アダムスキー問題は面白い。しかし、それはクズとしての面白さなのである。オタク問題の多くの言説の面白さもそこにある。なぜ、ここまでクズな理論が大まじめに語られるのか。そこまでメタに見ようとするには、その理論が語られる背景にある、膨大な資料をまず揃え、整理し、俯瞰できるようにする体制が必要なのだ。愉快なことに、例えば『網状言論F改』の中で、同じ必要性を伊藤剛氏が論じている。私のような者の言ならともかく、共著者の言だ。東浩紀氏も、少しは耳を傾けるべきだと思うんで ある。

 9時、参宮橋クリクリ。K子と夕食。今日はK子のアシスタントで来ていたFくんも一緒。いま専門学校の講師をやっているFくんに、マンガ業界関連の話をいろいろ仕入れる。S社にいま、二十数年前一世を風靡したマンガ家のK氏が持ち込みを毎月続けているという話。でも、何かゆがんでいるような内容で、面白さのツボというものに対するK氏の感覚(というか、神経)が完全にズレてしまっており、持ち込まれる方も困惑しているとか。また、K氏よりさらにベテランのB氏もときおり持ち込みをしているが、こちらは絵が完全に“年寄りの絵”になってしまっており、使えぬ出来であるとか。どちらもイタい話ではある。アナゴと百合根のグラタン、タルタルステーキ、羊のロースト、自家製ソーセージなど。オーストラリア・ワインの芳醇さに驚きながら12時近くまで。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa