6日
月曜日
後のマッチ売り
死んでから可哀想がったって駄目なんだよ! 朝7時半、起床。早起きしたK子に起こされる。本日帰京なので、もうK子は仕事モードに切り替わっている。とはいえ飛行機は夜の8時半なのだが。朝食、最後の日というのでベーコンとトースト、それに半熟卵、トーストには自家製マーマレードをたっぷりつけるという、ノンダイエット食。今年の正月もメシがうますぎて、腹が出た。
K子は風呂入って化粧もきちんとして、荷造りにかかる。母が親父のズボンの左の裾を少しあげてくれたものを二本(私がそのまま履くと悪い左足が裾をひきずってしまう)もらう。東京から持ってきた本も詰める。今回、須雅屋さんたちとの会食以外は出る用事が全くなかったので、たっぷり読書をしようと思い、東京から四〜五冊、未読のものを抱えて持ってきたのだが、結局、読めたのは一冊きりだった。まあ、例の国語辞典とか、他のものを読んでしまったからなのだが。岡田斗司夫さんとの対談でも言った台詞だが、本当の本好きにとって本というものは知らず知らずに読んでいるもので、イザとかまえるとかえって読めない。
廊下の書棚から、とりあえずこれは必要、と思えるものを抜き出して、勉強部屋の書棚に移す。新刊で買いまくっていたSF関係の本には、今見ればレアなものもだいぶあるだろう。それにしても、買ったきり読んでいないものも多い。柳田國男が書庫で万巻の書物に囲まれながら“本というのはそう読めるものではないよ”と語ったという。所持している本を全部読んでいる者(読む分しか本を買わない者)の方が変なのである、と自分をなぐさめる。
K子、タクシーを呼んで銀行へ出かけていく。銀行が今日からで、今日引き落としというものも多いので、振込が必要なのである。星さんが洗濯してくれた靴下の類をカバンに詰めるが、パンツ二着がどこかへ行ってしまった。K子が帰宅してから、昼食。貰い物の田舎蕎麦、これも貰い物の豚肉味噌漬けの焼いたの、さらに貰いものの蟹肉を使ったチャーハン。
20日からニューヨークの母に、デジカメの操作をK子教える。K子がよくわからぬところは私が教えて、どうにか、画像を送信するところまでメモさせる。もっともその作業中に、昨日ロシア料理店で撮った写真を全部消去してしまった。惜しい。さらに母には、Googleでの検索の方法を教える。ニューヨークで入った日本食材の店というのを、いろいろな手がかりから探し当ててやる。サンライズマートという店だった。かなりの有名店らしい。私は日記を、モジュラーを手で押さえながら、なんとか平塚くんのところに送る。
4時半、よっこらしょと荷物をかつぎ、家を出る。最初はじゃんくまうすさんの店に寄り、昨日、母があげる約束をした塩ジャケと、ジャガイモを渡す。なにしろもう母が家にいるのがあと2週間というところなので、食べ物の類は始末しておかないといけないのである。じゃんくさんの娘さんがマンガ家のアシスタントになりたい、と言っているらしく(昨日の薫風さんの娘さんも言ってた)、K子がいろいろとオドしている。復刻関連の話も少し。じゃんくさんの奥さんはK子の文章を名文、とベタ褒めしてくれる。そう言えば岡田さんの奥さん(和美さん)も“カラサワさんよりずっとうまい”と言ってくれていた。
そこから薬局へ。豪貴にクスリをいくつか頼む。肩凝り関係のことも相談。私のはノボセから来ているらしいので、黄連解毒湯をとりあえずせっせとのむことに。鼻炎のことを訊くのを忘れた。買ったクスリは荷物と一緒に送ってもらうことにして、雪のちらつく中、五番館西武(いまはただの西武になって五番館という名称は消えてしまった)で明日の朝食のパンなど買い、札幌駅へ。帰省客でごったがえす中、通 路をはさんでだがなんとか指定席二席がとれて、千歳へ。
後ろの席に、やたら大声でしゃべる田舎弁の爺さんがいる。しゃべり方に一種の謳い調子とでも言うようなリズムがある。最近はこういうしゃべり方の人は少なくなった。文化的に興味深いが、やはりうるさい。自分は19の年から植木屋に奉公して、いま75であるが、北海道に45町5反の畑を持ち、東京の代官山には100坪のアパートを持っている、と、ウソかマコトか、大いにフく。北海道の土地は大阪にあるカップヌードルの会社が(あれは東京だと思うが)買いに来たが、売らねがった、と自慢している。去年は植木屋組合で皇居に清掃奉仕に行ってきたんだそうだが、
「それがナニ、お側で天皇陛下を見られるつうから行ってみたども、ハア出てきて見ればニズウ(20)メートルも離れたところから手サふるだけで、なんヌもよくね。また今の天皇ツウのがホレ、背も低くてヨ。奥方がきれいだからよけいツンツクリンに見えンだよなア、あんな男よりかミッタグイイ男、イッぺえいるよホント。あれ、天皇だァ皇族だァつうからみな、ありがたがっているけんども、オラたつの子供だたら誰も見向きもすねんでないか。ナ、“来てみれば、さほどでもなし富士の山、釈迦も孔子もかくやあるらむ”て、あれだもんナ……」
と、とぎれなくしゃべり続ける。何かイタコのご託宣を聞いているような気がしてくる。一応、話している相手は隣の席の老婦人で、年も同じくらいだし、てっきり連れだと思ったら、単に運悪く隣り合わせた人と会話でわかる。千歳空港の手前の千歳でその老人、
「まだスコウキのズカンには間があるから、スりあい(知り合い)のやってるラーメン屋でラーメンを食べてくる」
と言って降りた(このラーメンにまた講釈一くだりあり)。その後で隣りに座った息子らしい男にその老婦人、“ああ、一時はどうなるかと思った!”と、いかにもヘキエキしたという口調で苦笑していた。だいぶ酒に酔っていたらしい。それにしても“来てみればさほどでもなし……”は懐かしかった。SF者めざしていた中学・高校時代、“読んでみりゃさほどでもなし『高い城』(あるいは『フライディ』)、星も小松もかくやあるらむ”なんてスカしていたもの。
JAS、8時半の飛行機だが滑走路の混雑で離陸は9時になる。機内ではまた、例の『三省堂国語辞典』。データを忘れていたが昭和35年発行、昭和44年新装版第12刷発行。編集代表は金田一京助だが、実質的な編集と見出し語の選定には先立つ三省堂『新明解国語辞典』にも携わった見坊豪紀があたっている。見坊と三省堂の辞 書の関わりについては
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/fuku_meikoku.html
に詳しいが、この『三省堂国語辞典』の編纂にあたっては“新語や日常語の丹念な採録”にこだわった、とある。この辞書の特長は見坊の個性によるものだろう。“ね こ(猫)”の項目で“ねこ自殺”という語が使用例で挙げられているのが面白い。こ の場合の“ねこ”は“ねこいらず”のことで、当時はこれを用いた自殺が一般 的だったんだろう。しかし“ねこ自殺”って、ちょっと可愛い。
10時10分、羽田着。そこからタクシーで下北沢へ。一応、千歳でサッポロラーメンを食べてはいたが、腹も空くと思うので『虎の子』に電話して、開けていてもらう。ちょうど入れ替わりに帰るお客さんがいて、私のファンで、一行知識掲示板にも時折書き込んでくれているという。ハンドルネームを訊いたら“コブラの憂鬱”さんであった。これはこれは、思いがけないところで、と新年の挨拶。
キミさん、萩原さんと酒をのみながら、雑談。萩原さんに母の似たキンコ(海鼠)を進呈。キミさんは気味悪がって食べない。真鯛のカルパッチョと、常夜鍋。酒は高育54号、獺祭、などなど。萩原さんは近くウクライナに仕事で行くかもしれないという。寒さばなしをしばし。囲炉裏の炭火で餅を焼いて食う。まだ正月気分。12時までいて、黒豆を差し上げて、タクシーで帰宅。年賀状多々。部屋が冷え切っており 寒い々々。