裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

金曜日

リンパ大悲劇

 狂牛病でシビレが食えなくなった焼肉ファンのこと。朝また6時に起こされる。K子、まだ頭痛がひどく(そのくせ元気だが)、やっぱりPLはダメだから慶応病院に行くという。電話で外来の時間を調べる。朝飯は彼女はパン焼いただけのものを一枚齧り、私はコンソメスープ缶でスープスパを。

 8時45分ころ、彼女は出かける。私は仕事にかかるが、やはりちょっと気になって手が進まない。われわれ夫婦はそれぞれ若い頃に大病しているが、結婚してからというもの、お互い寝込むような病気をほとんどしていないので、ちょっとした病気も大きなイベントになるのである。10時になっても11時になっても帰ってこない。 かなり大きな検査をしているんだろう。やはりイベントだな、これは。

 12時、どどいつ文庫伊藤氏来。やはり例のテロで、あちらからの本の輸送が途絶えているという。こんなバカ洋書の世界にもテロの余波がある。香港のマンガの歴史のビジュアル本が手に入る。現在の香港マンガ界は大手マンガカルテルが仕切っていて、技術も超高度、内容も徹底したハリウッド式エンタテイメントになっているが、やはり私には60年代のヘタクソパワーものが魅力的に映る。と、いうか、このオモシロサがわからぬ奴は、そもそものマンガの魅力がわからぬ奴だと断言したい。マンガを文化とやらにしたがっている連中は、マンガの首を真綿で絞めているのだ。それから、字ばかりの本だがタブロイド新聞の歴史を綴った『I WATCHED A WILD HOG EAT MY BABY!』(野ブタが私の赤ちゃんを食べてる!)タイトルが何とも素晴らしい。正月休みにでもじっくり読んでみよう。狂牛病の話になって伊藤氏、“私、このごろモノワスレがひどくなったのですが、狂牛病ではないでしょうか”などという。“いや、30越したら人の名前忘れるのなど普通ですよ”と言うと、“ああ、そうですか、安心しました。最近は会話している最中に相手の名前忘れて”などという。ソレハ危ないのと違うか。

 1時に時間割で海拓舎打ち合わせ。Fくん苦心の作業の末に、私がいいかげんに話した冒頭の講義が、かなりまとまったものに変身。これで体裁が整う。それから、やはりテロの話(これはやらないとおさまらない)。アメリカという国のシンボル好きを今回のテロは逆手にとったねえ、という話。あれほどイメージ的に成功したテロはちょっとなかったろう。日本で同じことをやろうにも、日本を象徴する建物というのちょっと思いつかないのである。カシコキアタリですら、それまで徳川幕府の住んでいた家を居抜きで使っているという安直な国なのである。

 家に帰るとK子から留守電。検査々々でまだかかる、という。パックごはんを温めて、シオカラでお茶漬け。テレビで土井たか子が“憲法違反です、自衛隊を派遣するなどとんでもない”と言っている。このバアさんの口調というのは、どうしてもそれが感情論以上のものに聞こえないという欠点を持っている。日本国民が犠牲になった事件に軍を出せない国が、国際的信用を得られると思っているとしたらノンキなものである。日本がもし、次のテロの被害にあったとき、どの面下げて他の国に協力を要請できるか? ……とはいえ、血を流せない部隊なんぞが何万人出かけて行っても、結局足手まといにしかならんだろうとは思う。自国内の演習で飛行機を行方不明にしちまうような情けない連中が、手助けしまーす、と言ってきても、アメリカ軍にはかえってハタ迷惑なのではあるまいか。

 派遣反対、ヨソのケンカに巻き込まれるな、の声をマスコミやネットで見聞きするにつけ、島国たる日本人は結局国際人にはなれない(国際貢献というのは自国と関係ない事件に汗や血を流すことを言うのである)とつくづく思う。いや、それを批判したり慨嘆したりしているのではない。アタリマエの話だと思っている。日本人のベクトルというのは、そもそも外側に向くようにはなっていないのである。そう出来ていないのだから仕方ない。いっそまた鎖国しちまえばいいのに、としみじみ思う。日本が現在、世界に誇りうる文化というのはほとんど全てが、鎖国中に作られた文化ではないか。三○○年かかって作り上げた、日本独自の美的センスを、開国以来、一○○年ちょっとで全部使い果たしてしまって、後はどんどん質を劣化させているのが今の日本の文化状況である。もうそろそろ、二度目の鎖国を決行して(どうせ資源もない国なんだから、日本が鎖国したって世界はそう困りもすまい)、内部でまた文化を熟成させた方がよろしかろう。個人的に、オレのベクトルは世界に向いているのだ、という人間が日本国籍を離れるのは自由にして、その代わり二度と日本の地を踏ませないようにする。こないだの戦争からその後のエコノミックアニマルの蹂躙を見ても、世界の方でも、あまり日本に出張ってもらわない方がいいと言うに違いないと思うんだがな。

 世界がどうなろうと仕事はやらねばならぬ。『男の部屋』原稿10枚、アゲ。メールしようかと思ったがここは編集部全体がこないだウィルスにやられて、〆切確認もFAXで来たところだ。大丈夫か。5時過ぎ、K子帰る。やはり神経痛との診断。ボルタレンと、もひとつ筋弛緩剤をもらってのんだら、十分もしないうちにおさまったとか。オナカが空いた、と昨日の栗ごはんのオニギリを食べている。私も一個もらって食べ、新宿まで出て、そこから総武線で後楽園。6時にジオポリス入り。

 7時からトーク。今日は後楽園遊園地そのものに人出があまりなく、閑散といった雰囲気。トークも別に派手なものではないし、どうかな、と心配していたのだが、開始時間には席は埋まっていた。だいぶなじみが来ていたようである。もっとも、トーク始まって、途中で四分の一くらいが帰った。みんなアベック客である。アベックの悪口をさんざ壇上でやったせいだろう。その分残った客には大ウケ。観客の中に、頭がド銀髪のメガネくんがいて、手塚真か、と一瞬思ったが、ドリフト道場のヲッカくんだった。

 楽屋で鶴岡と珍しく真面目な話(もっとも全話題中の1割弱だが)。早稲田の大学院生と彼が雑談して、マンガ学の困難さの話になり、“文学はラクですよ、「群像」と「新潮」と「文学界」くらいしか雑誌がないんだから。マンガ雑誌がどれだけあると思ってるんですか!”とジョークを言ったら、笑いながらも意外にマジに同意してくれたという。そこから、“学問としてマンガに貢献できるのはどんなことか”という話になり、結局、“資料としてのマンガの収集と保存、そしてデータの整備という極めて地味なことを今後十数年、コツコツとやっていけるか”がポイント、という話になったという。文学と違い、マンガはまず、そもそも学問としてその研究が成立するだけの基礎資料が揃っていない。マンガを学問にしようというなら、いたずらな新説をたてたり、時代の先端にある作品を小賢しく評論したりすることよりも、そういう地道な作業に力を注ぐことが何より大事だろう。

 彼と別れてK子に電話、外で何とか食事が出来そうというので、伊勢丹会館の三笠会館で待ち合わせ。ところが彼女が薬袋を間違えて、前の病院のを持ってきてしまったために、頭痛がぶり返す。食べているうちにかなりひどくなり、コーヒーとデザートは省略して急いで帰宅。恐縮したようにおとなしくフトンの中に丸まっていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa