27日
木曜日
好男者文庫
ゲイ文学専門。朝6時、K子の頭痛がひどくなって起こされる。体が動かせないような頭痛ではなく、意識も体調も普通なのだが、間歇的にツーンと痛む、という。医者に行ってくるがとりあえず腹が減ったというので、朝飯を作ってやる。頭痛くらい心配ないと思うが、なにしろクモ膜下をやっているので心配である。本人は、そのときの経験があるから、あれとはまったく違うというので落ち着いているらしい。
送りだしたあとも仕事する気にならず、ネット回ったりなんだりしている。10時過ぎに仕事場からFAXがきて、神経痛という判断とのこと。インテパンが出たらしい。もっとも専門医でもないので(“一度行ってみたい”と思い、PL病院に行ったら、神経内科の診察は火曜しか出来ないということだった)、明日もう一度別の病院 に行くという。
仕事にかかる。昼は新宿に出て、書評用の本を買い、その足で『王ろじ』のとん丼ととん汁。帰って『編集会議』の単行本の赤入れ。雑誌掲載時には赤入れが間に合わなかったので、今回はゲラが真っ赤になるほど入れた。バイク便で出す。某社編集から電話あり、不景気で彼のいる出版セクションそのものが解散になったとの報せ。予定していた出版が数冊、一気に吹っ飛ぶ。まあ、担当がいろいろ別の社に回すとかなんとか、いろいろしてくれるらしいが。不幸中の幸いは、そこの企画のどれもがまだアイデア段階で、やりかけの仕事が無駄になった、ということがほとんどなく、こちらもそれを収入のアテにしていなかったこと。今年は後半から仕事が前倒し々々になり、予定がどれも遅れまくっているが、それがかえってラッキーだったのである。
小泉首相の国会演説、“進化論”まで持ち出したのが笑える。考えてみれば日本なんて国はこの世界情勢の中ではバージェス頁岩の生物みたいなものかもしれぬ。どんなに繁栄していると思っても、回りの情勢如何ですぐ絶滅しちゃうのである。ならばわれわれに必要なのは、いつ滅んでもよしとする諦念か、もがき、あがき、ジタバタしても生き延びようとする執念か。アメリカが“正義ではない”なんてことは言われなくても誰でも知っている。問題はそんなことではなく、どちらにくっつくのが日本の生き延び戦略にとって大切かということだろう。われわれにドラえもんはいない。心情的にはともかく、政治的にはのび太でなく、スネ夫にならねばならないのだ。
K子の頭痛はインテバンでも治らぬらしい。某社編集さんが明日、一席設けてくれるという予定だったが、これはキャンセルにする。その件で電話をかけたら、実はその飲み会で、彼が異動のお知らせをしようと思っていたとのこと。仕事は継続されるが、今の仕事は彼が全部立ち上げてくれたようなものなので、これは残念である。異動先は今とはまったく異なるお固いところらしいが、スケベ根性を出して、一冊企画案を出しておく。知り合いの編集があちこちに散るというのは、雑文書きにとって、タンポポのタネじゃないが、こちらの仕事先があちこちに増えるというチャンスの一面もある(以上二件、まだ公表ではないらしいので社名人名は出さずにおく)。
それにしても心浮き立つようなニュースがなく、少し鬱っ気になる。鶴岡と明日のジオポリスの打ち合わせ。これもすっかり失念していた。晩の食事も作らねばいかんのだが、運送会社が荷物をこれから届けます、という連絡のあと、待てど暮らせど届けてこないので、買い物にも出かけられない。K子の仕事場に電話してみると、まだ痛みは続いているが、動けないほどではないというので、船山で食事することに。7時半に待ち合わせるが、つらそうなのと口が達者なのが、どうにもアンバランスで、同情したものなのかどうなのか、判断に迷う。あっさりと、刺身、蒸し物とごはん。それにK子の好物の土瓶蒸しをつける。ごはんは栗ごはんで、あまりのおいしさに私はおかわりし、K子は明日の昼ごはんようにそれでおにぎりを作ってもらっていた。