裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

月曜日

ミザリー、キカザリー、イワザリー

 スティーヴン・キング三部作。加藤礼次朗たちとイベント会場のバーで飲む夢。飲んでいた酒の名が“大麻ハイ”というもの。朝8時まで寝る。雨かなり強し。朝食、アボカドとトマト。日記つけ。ネット日記もこの9月で三年目になる。日記は十数年前から断続的につけているが、公開日記という形がこれほど自分の性に会うとは意外だった。よく“あんなに何でも日記で書いていいんですか”と言われるが、もちろん公開してはまずい部分は削除しているし、心にもないことを書いている場合もある。完全に本音のみで構成された完全版日記は私と関係者の全員が死に絶えたらどこかで公開されるかもしれない。もっとも、人間の本音なんてものは案外つまらぬ平凡なものである場合が多いと思う。世の中とのしがらみで言いたいことも言わず、思ってもいないことを言う、その世間的存在としての自分の声が本当の声なのではないか。公開日記を書くという作業は、その、本音と世間との距離や位置関係を、自分で確認する行為でもある。よく、公開日記が途中で中断されたまま残骸のように放置されているサイトがあるが、あれはそういう距離をうまくとれずにしまった結果だろう。

 トロイ・ドナヒュー死去、65歳。まだ65というのが意外なほど、“過去の人”という感じだった。新聞には出演作として『ゴッド・ファーザーPartΙΙ』などと書いてあったが、あの映画での彼は“どこに出てたの?”という程度の役でしかない。ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノ、ロバート・デュバルといったニューシネマ・スターの台頭で、彼のような古いアメリカの二枚目は出番がなくなった、その象徴のような映画だった。私にとってのドナヒューは何といってもTVの『ハワイアン・アイ』。これは北海道だけだったのだろうか、この番組が三十年くらい前、お昼の時間帯にエンエンと再放送されており、学校を風邪で休んだり(本当の風邪だったり、ズル休みだったり)したときの楽しみは、TVで『ウルトラ・ファイト』と『ハワイアン・アイ』を見ることだった。番組中での私のひいきは久野四郎が吹き替えていたポンシー・ポンスのタクシー運転手・キムだった(彼のセリフで“モチコース”という言い方を覚えた)けれど、あのテーマソングの“ジャ、ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ、ハワイアン・ア〜イ”というオープニングを聞くだけで今でもシビれる。死んだ親父が、夫婦ゲンカをして、母がしかめっ面をしているのをにらみつけて、“なんだ、『ハワイアン・アイ』みたいな顔して”と言い(オープニングに出てくるハワイの神像の顔がそういうしかめっ面なのである)、母も含めて家中が吹き出したのも、昨日のような思い出である。

 ドナヒューの死亡記事の詳細をネットで調べていたら、先月25日に『猿の惑星』の特殊メーキャップアーティスト、ジョン・チェンバースが78歳で死去とのこと。新作公開中に死去というのもなかなか。同じ大御所のディック・スミスがリアリズム派だとすると、チェンバースはファンタジック派で、現実の物に似せるのではなく、現実にはないものを想像力で作り上げることに長じていた。『猿惑』の猿だって決してリアルな猿ではなく、猿を演じるロディ・マクドウォールやキム・ハンターの目をしっかり強調して、知性ある猿、というクリーチャーにしていた。技術でははるかに上を行く、リック・ベイカーの新・猿惑が評判が悪いのは、あまりにソレが猿そのものだからではないだろうか。しゃべる猿は猿ではない、新しい生き物の筈なのだ。そういうチェンバースの仕事の中で私が特に好きなのは『ファントム・オブ・パラダイス』のウィリアム・フィンレイの、顔の片面にレコードのミゾを焼きつけられたメイク、それから『怪奇! 吸血人間スネーク』のゲテ趣味全開のヘビ男である。特に後者の、手足がない全身メイク故に、ほとんど体を上にそらせるくらいしか動かせない蛇人間の姿は爆笑もので、この作品にパリ国際ファンタスティック映画祭が特殊メイク賞を与えたと知ったときにはワカッテルネエと大喝采したものだ。私にとってチェンバースは『猿の惑星』でアカデミー特別賞(この時代にはまだ特殊メイクアップ賞がなかった)を受けた人ではなく、『Sssssss』(原題)で賞をとった人、な のである。

 一日じゅう調子悪し。午前中は昨日のイベントの疲れで、午後は気圧で。思えば昨日がポッカリと天候も回復し、イベント日和だったのも私や開田さんの熱意が通じたものか。午前中、いろんな出版社から、全部原稿の催促の電話がかかる。2時までかかって、10月20日の社会薬学会金沢講演の要旨というものを書く。10月20日にしゃべる内容を今から書け、というのは私的にはまるで納得いかず、できればそんなものはパスしたくて〆切を大幅に逸脱させていたら、泣きそうな声で係の女性から電話があり、書いてくれというので仕方なく書く。しかもその形式が字のポイント数から紙の上下の空けの企画まできちんと決められており、メンドくさいことメンドくさいこと。どうしてこのネット時代にメールで原稿を送れないのかとムカっ腹を立てる。原稿書いたり講演したりするのはイヤではないが、それに何か細かいことが附随するのが、この時期はたまらなく神経を傷める。

 これを宅急便で出し、帰りに昼飯をフォルクスのランチですませる。そこから新宿に出て少しばかり用事済ませ、帰宅、ドローンとした調子でへたばっている。過去の日記を見ると、9月という月にはたいてい、そんな感じ。ビデオなど見てダラケて過ごす。ちょっと横になったと思ったらなんと6時まで寝てしまう。芝崎くんからの電話で起きる。マックの調子がまた悪くなったそうな。

 なんとか体調回復し、北海道新聞の原稿書く。『スター・ウォーズ』第一作公開の頃のこと。思えば、この公開が一年先送りになったことが、日本のオタク文化発展の土壌を一気に作り上げた感がある。下地はもちろんヤマト再放送運動などによって熟しかかっていたわけだが、それが、あの世界的なブームに一年も乗り遅れてはどうしようもない、という危機感の中で一気に爆発したのだろう。歴史というものは小さな偶然の積み重ねに大きなうねりが加わって現象となる。調べれば調べるほど面白い。

 原稿、新しいのを一本と、先に送ったもののうち、文言を変更した決定稿を一本、合わせて書き上げる。これが7時45分ころ。8時に家を出る。まだ細雨あり。パパズアンドママサン。ここ、以前親父さんがカウンターに立っていたときは、客のほとんどがNHKの人だったが、息子が主任になってから、彼のサーフィン仲間がほぼ、主体となった。親父さんもサーファーで、息子の友人たちとほとんど対等に話して盛り上がっている。さまざまな親子があるものだ。焼鳥串、味噌田楽、焼きナスなど。ビール2ハイ、梅干焼酎3バイ。

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