裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

兎丸・ビンラディン

 どちらもカリスマ。朝7時45分起床。雨。台風はそれたそうだが、気圧の谷間にあってどうしようもない。朝食、カキフライサンド。ピタパンにはさんで。それと二十世紀。日記つけ、原稿書きはじめるが、日頃の四分の一程度のスピードしか出ない感じである。

 もはや旧聞であるが、アメリカでガソリン・スタンドで働いていたアラブ人が、ビンラディンと間違えられて殺されたというニュースはまことにそのアラブ人に気の毒で、しかしながら、笑えてしまう。殺されたうえに笑われてはいい迷惑だが、笑えるのは殺された方ではなく殺した方だ。そもそもこの大事件のさなかにその張本人がアメリカの片田舎で、ガソリンスタンドで働いていると思うというのが馬鹿である。馬鹿ではあるが、このテロで起こったさまざまな派生事件の、おそらく最末端であろうこの馬鹿な事件の場所に立って中心を眺めると、アメリカという国にいま、全体でどんな国民感情のうねりが起きているかを見ることができる。中心からは末端は茫漠としか見えないだろうが、末端からは中心までの距離がよく測れるのである。

 Web現代やっていたら電話。渋谷税務署から、来月査察に入るという通達。ひえええ。なんでこんな貧乏しているのに調べられねばならんのか。マジに自転車操業なのだぞ。もっとも、貧乏なのは出銭が多いからであり、世間一般のレベルから見ればまあ、稼いでいるうちに入るのだから、疑られても仕方ないか。ひょっとして、西原りえこがSPAであんな連載したから、モノカキをとにかく調べろ、と通達があったのではないか、などと邪推する。まあ、くるもんはしゃあない。

 Web現代と書いてメール。それからに外出、新宿へ行って雑用いくつか。このとき乗ったタクシー、乗ってすぐ、なにか異様な雰囲気を感じる。それが何か、しばらく考えないとわからなかったのだが、ハッと気がついたのは、アクセサリーが何もないことだった。ウインドに幻冬舎の宣伝シールも貼ってないし、シートの背に映画のチラシや笑点の交通安全の広告もかかってない。博物館や美術展の割引券もないし、電光ニュースの掲示板も、カーナビも、何もついてない。昨日、中野から乗ったタクシーの運ちゃんは運転しながらペットボトルで午後の紅茶なぞを飲んでいたが、そういうものを置くやつも一切ない。中古車屋で買ったばかり、という感じの車内であった。ひとつだけ貼ってあったシールを見ると、個人タクシーの運転手さんで無事故を何年だか続けるともらえる、“マスター”の称号の証明シールだった。かなり年配のその運転手さんに、“サッパリしている車内ですねえ”と声をかけると、平然として“ごちゃごちゃ飾るの、あたしゃキライでね”とだけ答える。飾らないにしても飾らなさすぎという感じで、いささか落ち着かなかった。

 雑用すませた後、地下街を歩いていたら、紀伊国屋のところから出てきた、劇団☆新感線のいのうえひでのり氏にバッタリ出会った。“あ、今日うかがうことになってます”と挨拶。いのうえ氏は今日はちょっと所用で劇場にはいけないそうだが、しかしまさにその日、その舞台の演出家に偶然出会うというのは西手新九郎、ひさびさの暗躍。地下鉄の入口のところに、『トラッシュッポップフェスティバル』のポスターが貼ってあった。昨日は、マツキヨのレシートの裏に広告が入っていたのを見せてもらったし、宣伝に案外力入れているなあ。

 帰宅後、原稿にかかるが、気圧の乱れで肩が張り目がくらみ、何も考えられなくなる。ウソのように思うかもしれないが、長年、これで私は苦しんでいるのである。電話やメール、FAXのみいろいろ。トゥナイト2の取材の話をハローミュージックのA氏と打ち合わせ。文藝春秋社から、野平俊水氏のトンデモ韓国本のオビ文の依頼。野平氏が以前亜紀書房から出した『韓国反日小説の書き方』は愛読書のひとつなので引き受ける。あと、『トンデモ本の世界R』、発売3日にて増刷決定。スゴい。

 結局、仕事手につかず、6時、青山劇場に『大江戸ロケット』観に出かける。決して仕事をサボっていったわけではありません。こういうことでもしないと、動かない体に焦慮しながらいるばかりで、精神がやられてしまうのである。このあいだ『野獣郎見参』を観たときには、もう少し派手にポスターなども貼っていたと思うのだが、今回は間近でなければやっているともわからぬおとなしい感じ。やはりあの事件のあとで自粛したのか?

 当日券もどんどん売り出しているようで、いつもの、端の端の、よく舞台が見えない席まで満席の新感線としてはやはり苦戦のよう。とはいえ、常連ファンはあいかわらず。S席にホリプロ関係(だろう)オエライさんの姿が目立った。これらの人たちの中には、前半だけで帰ってしまう人もいたから、社命で観にきたのか、と思う。あわてて山崎裕太の部分を作り足してはさんだパンフレットも痛々しい感じ。

 で、舞台だが。いや、細かい批評はどうでもいい。山崎裕太、エラいぞ。おじさんは感心したぞ。代演とはとても思えぬハマりぶりで、もちろんそれは古田新太をはじめとする他のメンバーがきちんとフォローしたからだろうが、どう考えてもこの役はいしだ壱成より山崎裕太が演じた方がハマっているように思えるぞ。とにかく体が軽い。よく動く。リズム感がある。ノリがいい。若さがある。演技の未熟さが気にならないのは、基本的に彼の演技が“ボケ”を主体としているからだろう。さんまとか、安達裕美とかいう濃い連中のツッコミ的演技を子供の頃から全身で受けてきたその呼吸が、体に染み込んでいるものと思われる。プロレスラーで言えば技のかけられ上手というのがいるが、そんな感じだ。つまりは、濃い連中ばかりの新感線の中に放り込まれるのに、非常に適した役者、なのである。いかに彼の演技が自然かは、同じくホリプロ差し回しの、石垣佑磨の演技と比べてみれば歴然である。おまけに滑舌がいい(これには驚いた)。早口のセリフでときどき聞き取りにくいところがあったが、新感線のベテラン俳優でも、ときどき上滑りすることがある(なにしろ説明的セリフを早口で言う場面が多い)のに、彼のセリフは極めて明瞭に聞き取れる。これは天賦の才だろう。

 今回の舞台が観ていて心地よかったのは、いつもの新感線に比べストーリィがストレートに進み、それほどのドンデン返しドンデン返しの連続がなかったからかもしれない。いつもの舞台に比べ、観終わったあとに残る疲労感が半分である。その分、ものたりないという常連もいるだろうが、新感線入門としては格好の公演ではないか。主役以外での特筆はやはり藤村俊二。その存在感たるや否やべけんやてなもんであった。彼のセリフ回しが、全然力を入れていないように見えるのに一番、劇場の端まで響くのはなぜか、出演者全員、よっく考えてみないといけないことだろう。特に女優さんたち。あの、どの劇団のどの舞台を観てもみぃんな同じに聞こえる若い女優さんという人種独特のセリフ回しの癖が、舞台から人を遠ざけているという部分ってあると思うんだけどね。

 それにしても、会場を埋める客の7割は若い女性だったが、橋本じゅんの“世界で二番目”というギャグに笑ったのが、あの広い会場で私一人だった(みんな、こっちを振り向いて見た)のが少し寂しかった。オタクの基礎教養なのに。曲芸師の天鳳と天々などというギャグもわからなかったろうなあ。してみると、峰岸徹の役が好演にも関わらず驚くほど印象が薄いのも、その演じる鳥居甲斐守という名前から連想されるバックグラウンドに、観客がまるで反応しないからなのかもしれない。私らの世代には鳥居耀蔵と言えば『天下堂々』や『必殺』シリーズで、岸田森の顔と共に稀代の悪役として焼き付いているんですがね(松本清張や山田風太郎まで読んでいることは期待しない)。ここらへん、世代を脚本の中島かずき氏と同じくしている私などだけの秘かな楽しみ、としておけばいいってことか。その中島の世代論は、『クレヨンしんちゃん・モーレツ! オトナ帝国の逆襲』の原恵一と対談しているパンフレットによく表われている。この公演パンフ、『オトナ帝国』のマニアには必携アイテムかもしれぬ。なお、ストーリィと演出にはいろいろ望蜀の想いというか、こりゃいかんだろう、と思える点も多々あるのだが、まあ、今回は山崎裕太ですべていいや、という気になった。

 10時、終わってすぐ飛び出し、タクシーで新宿新田裏。すし処すがわらで、K子と待ち合わせ。白身がハタで、甘味があって柔らかくてまことに結構だった。税金対策が必要なほど稼いではいないが、そろそろ会社組織にするか、と二人で話し合う。 あと、フィンランド旅行のことなど。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa