裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

金曜日

おまえの母ちゃんディーベート

 論争の終わりは大抵罵倒合戦になりがちであります。朝7時半起床。朝食、タラコスパ。明太カズノコで作ったが失敗。プルーン2ケ。雨シトシト。天気もそうだが、野球も相撲もパッとせず、景気悪い話が世上には蔓延。“早くアメリカが戦争をおっぱじめないかな”という世間の声が聞こえてきそうだ。いや、バブル崩壊のIT産業にとっては、まったく今回の戦争が救世主になるかもしれないのである。アメリカはどんなことがあっても戦争に突入するだろうし、世界もそれを歓迎するだろう。人間が平和を希求するのは、自分が儲かっているときだけである。進退に窮しているときには、現状打破のためにカタストロフを望むものなのだ。

 なをきが連載していた、という縁だけで御丁寧に毎号送ってくれている『コミックオールマン』、本宮ひろ志プロデュースの新連載がゲイマンガ(里見満・画)。美青年のゲイが主人公でハードなアナルセックスのシーンもちゃんとある。十七、八年ほど前、小学館にゲイものマンガの原作を持ち込んでアホかお前、と罵倒された経験のある当方にとっては非常に興味深い連載だが、さて、レディースコミック全盛の当時でもゲイネタをやると部数が2割下がるという原則があった(レディコミの読者の2割は男性であり、その2割が買わなくなる)。たぶん9割が男性読者であるオールマンで、この連載がどういう反応をよぶか。

 それでも原稿は書く。微々たるスピードだが必死で書く。昼は寿司屋でもらった稲荷寿司5ケ。食いながら読んだ週刊ポストのテロ特集、落合信彦にいまだに書かせているのもどうかと思う。こないだの日暮里寄席の立川志雲の『阿弥陀ケ池』のクスグリに、“わしは町内のこと裏の裏までなんでも知ってるがな、「町内の落合信彦」言われてんのやで”“そら間違うてばっかりちゅうこっちゃがな”というのがあった。落語ですらネタにされているのである。それはともかく、曽野綾子のエッセイでEメイルを自分はしない、と言い捨てて曰く
「昔からペン・フレンドと連絡を取り合うのが楽しいなどと感じている人は、嫌らしい言葉で言えば決して出世しなかった。ひとかどのプロになった人は、まだ若い時から自分の専門の興味一筋に“凝って”時間を過ごして来たように見える。人生の時間は決して無限ではないのである」
 ひええ。自分一人で興味一筋に生きてると、やれ引きこもりだのネクラだのと悪口を言われ、友人達と連絡を取り合ったりすれば、そういう連中は出世しないと切り捨てられる。どうすりゃいいのよこのオタク、というところか。もっとも、人生の時間は決して無限ではない、というご意見には深く同意。

 頭がなんとも重くなり、アクビの連発。書く仕事を中断し、『宣伝会議』のこないだの新潟さんとの対談が本になるというので、その対談原稿に赤を入れる。新潟さんは、というところを全部“白鳥さんは”に直さねばならない。5時、家を出て後楽園に向かう。飯田橋の駅を過ぎたあたりで、講談社のIくんに渡す図版資料を忘れてきたことに気付く。どうにも頭がボケている。

 雨の中、後楽園。ちょうど、Aくんがブツを搬入しているところ。ケースを並べ、トラッシュポップフェスティバル会場作り。開田さん夫妻、中野監督も来て、展示をやり始める。私はトークのステージ確認。控室を後楽園のNさんが見せてくれたが、遊園地の裏側というのは何か秘密基地っぽくて面白い。どどいつ文庫伊藤さんも本を搬入してくれる。マンガ中心に、いろいろケッタイなもの。ベトナム版のブルース・リー本(『キミもこの鍛え方でブルース・リーみたいになれる!』てなやつ)が珍品で、表紙をめくると、裏がカレンダー。しかも日本製である。いい紙が不足しているので、日本からボランティアで送られたカレンダーを裁断して、本の表紙に使っているのであろう。日本の終戦直後みたいだ。

 中野監督はマネキンに自分の映画で使った衣装を着せている。“妖怪なまはめ”のヌイグルミは、中野監督がデビュー当時に作ったもの。私が初めて彼を雑誌で見たのも、このヌイグルミを着た姿だった。今度の彼の作品は、痴漢を主人公にした連続ドラマ『サワリーマン金太郎』。またコノオトコはこんなことばかり考えて、と思われるかもしれないが、これを考えたのはビデオ会社の方であって、こういうのを撮るならアイツしかおらんだろう、と連絡してくるのだそうである。もっとも、その後で出すアホきわまるアイデアの数々は、やはり中野貴雄。Iくんに結局無駄足させたのは気の毒。『裏モノ見聞録』はアクセス数、家元とタメだとか。

 9時過ぎに鶴岡もくる。自分の展示のことでかなりナーバスになっていて、Aくんに突っ込む。なるほど、私の前では常に芸人の顔しかしていないのだが、ヤンキーの顔というのを初めて見た。これはちょっとコワいかもしれない。私は加藤礼次朗(彼は今日、来ていないが)のパチコレのあまりの濃さに驚き、自分の展示品を一部差し変えることにする。

 10時、開田夫妻、中野監督、K子と連れ立って幸永に行き、ホルモン。後ろの席の若い学生たちが“だからさ、国連派遣軍として自衛隊もその中に参加するんだよ”などと会話している。中野監督はマクドナルドでもこういう会話を聞いたそうだ。まさに世はビンラディンに支配された感じである。われわれも時流に遅れじと、またまたアホな話で盛り上がる。K子が例の会社設立の件で、中野貴雄に会社名を考えてよと頼むと、もう、出るわ出るわ。
「株式会社小さいツ、てのはどうでしょう。銀行で呼ばれるとき“株式会社ッ”って怒られるようなの」
「あと、株式会社テンテン。“株式会社……”と、少し間があく」
「株式会社マエカブ。領収書もらうとき、“マエカブでマエカブとお願いします”」
「株式会社上。領収書が“上様”ですむ」
「株式会社カッコユー。“(株)(有)”」
 こういう話をしてゲラゲラ笑っている人間どもは曽野センセイに言わせれば“決して出世しない”のだろうな。やはり大勢で食べているとうまく、たくさん食べられてよし。冷麺すすって、12時ころ帰宅。代々木の会社に寄るという中野監督を途中ま で送る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa