30日
日曜日
タン塩包茎
初めてのデートで焼肉屋に入った花子さんは、太郎くんに好き嫌いがあるといけないと思い、“太郎くんはタン塩OK?”と訊きました。すると太郎くんは、“なんで知っているんだ!”と言って、真っ赤になり、うつむいてしまいました。さてなぜでしょう? 朝、7時起床。朝食、グリンピースとコンビーフ炒め、オレンジ。和服の稽古。足さばきが一番むずかしい。
読売新聞人生相談欄に、文学者を志すが芽の出ない53歳男性から投書。“自分のことを考えると、意見として時に常軌を逸したところがあり、文学的な思い入れも強くあります”常軌を逸しているから文学者たり得るというのはよくわからないが、要するに平々凡々な人物ではない、ということだろう。事実、たまに新聞や雑誌に意見が取り上げられることもあるらしい。“でも、それ以上に評価されないのは、私自身の才能の問題というより世の中の方に疑問がわいてくるのです”・・・・・・わかるぞ、その気持ち。でもまあ、それを言った時点でダメだけど。およそ勇気の中で最もつらい勇気は、己れに才能がない、と自ら認める勇気だろう。回答者はゴッホの例をあげ、死後に認められる才能もある、となぐさめているが、おいおい、ゴッホはその人に認められない苦痛を37年で自ら終わらせたんだぞ。それを勧めるのか。この投書者はゴッホよりさらに16年を無為に生き、これからも生き続けるのだろう。もっと早いうちに自分の才能を見切るという勇気を持ち合わせなかったために。そもそも文学者たらんとする者が新聞の人生相談から回答を得ようとする姿勢に疑問を持たないようではハナシにならんのだが、それだけにこのおじさん、憎めなくもある。
K子に弁当、冷凍庫のひき肉をダンゴにして、これも冷凍されていたトマトソースで煮込んで。昼はそのトマトソースにさぬきうどんをぶち込んで食べる。柳家金語楼自伝『泣き笑い五十年』(昭和34年東都書房)読む。なにしろ七才のときから芸人になり、才気ほとばしるままに映画、舞台、出版とあらゆることに手を出してきた人だけにエピソードは無尽蔵。私の年では晩年の爺さん姿しか印象にないが、十代のころはアナーキーな芸風で“不良少年”というアダ名で呼ばれ、ナイフを高座に持ち出して座布団をピーッと裂いてしまう、などということをやっていたというのには驚いた。これが大ウケしたというのだから大正時代の客も凄いというかバカというか。古い話であることは中に出てくる志ん生や談志という名前がみな先代であることでもわかる(もちろん五代目の志ん生も出てくるので、少し混乱した)。
NHK『クローズアップ現代』から電話。以前、地方局の仕事で知り合ったディレクター。番組企画の相談で、ちょっとレクチャーする。昼食後の散歩に青山近辺まで出る。アンティークショップで買い物。紀ノ国屋まで行って夕食の材料。帰って少しビデオの整理。ただ散らかしただけに終わる。仕事用の本をざくざく読み、ノート。本なんていくら読んでもアタマはよくならない。あいつとかあいつとかあいつとか、読書量は凄いものがあるがやはりバカである。ちょっと安心。
読んだ資料中に飯沢匡の“昭和40年頃の“テレビ企業の上では芸術運動の展開は不可能”という発言があり、この人の本質がかいま見えたようで印象に残った。これに関連して、テックス・アヴェリー(エイヴリー)のビデオも見返したが、いやそのイメージの常に死と隣あわせの不吉なこと。不吉なものを書かなくてはダメだな、と認識を新たにした。それはそうと、『トゥモロー・シリーズ』の、もう百回は見かえしていると思う作品で、一番印象的だったギャグが入ってないことに気がつき、愕然とする。別の作品とゴッチャにしていたか? 老化現象なのだろうか。
原稿書けず。8時夕食の用意。エビグラタン、水ギョーザ、大根の薄味炊き。酒も三種欲しいところだな。懐かしい大陸書房ビデオで『悪魔のゴミゴミモンスター』。自主製作映画であった。実話である、という設定と、怪獣のデザインからいって、たぶんモスマン事件をイメージしているのではないか。鳴き声がウルトラ怪獣からとられているのがご愛敬。