裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

火曜日

ボティッチェリボティッチェリもうボティッチェリですか

 横須賀ルネサンス。朝7時起き。朝食、カレーとナン。カレーを小皿にとって電子レンジで温めたら、油が熱せられたか、かぶせたサランラップを溶かしてポン、という音と一緒にハネてしまった。

『トンデモ本男の世界』のために買った佐藤まさあき『プレイボーイ千人斬り』、いや期待にたがわず凄い本である。オビに“さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、水木しげる、大薮春彦らとの出会い・・・・・・”とあるが、ウソ八百であって、彼らは点景なみ以下の扱い、全ては自分が劇画人生通じてどれだけ女性とヤリまくったか、の赤裸々というよりは露悪的な記録である。百人近い女性との性交のことをコトコマカに記憶しているのは、メモをこまめに撮っていたのだろう。目線こそ入っているが、そのほとんどの女性の写真が記載されているのも驚く。しかも、その遍歴の中で数少ない、本当に惚れて結婚を望んだのに別のマンガ家に奪われた女性、現在S賀・Mという劇画家って・・・・・・おいおい。知り合いまで出てくるよ。それにしても、シスター・ボーイと間違われたという美少年時代の写真(本当に美形)と、現在の著者近影の落差にはウタタ感慨を禁じ得ない。12歳の中学一年の子との行為まで書いてあるが、これちょっと、いやちょっとでなく、ヤバいのと違うか。

 以前文藝春秋から出た自伝『「劇画の星」をめざして』によると、この佐藤センセイは劇画ブームで儲けて豪邸を建てたとき、食事の時間になると、仕事場の椅子がスイッチひとつでガーッとセリ上がり、天井の穴を抜けて、食堂に上がっていくという宇宙戦艦ヤマトかサンダーバード基地みたいな仕掛けを作らせたそうである。男の夢をとにかくカタチにしてしまう、エラい人というかスゴい人なのである。今回の本、冒頭に
「あなたの女性遍歴と劇画人生を正直に書いてもらいたい」
 と出版社に言われたからこれを書いた、とあるが、たぶん出版社の思惑では女性と劇画を半々くらい、ということだったのではあるまいか。ところが佐藤センセイはその前半のみ、耳にとめてしまったわけだ。なにしろそのすぐ後の文が
「というわけでこれから私の女性遍歴を正直に綴っていくわけであるが」
 と、劇画人生の方はどっかに行ってしまっているのである。

 鶴岡から電話、このところ連日ですな。雑談一束。
・杉浦茂の死。デビュー作のタイトルが『どうもいけねえ』というのが凄い。志ん生に通じるセンス。話の流れで田河水泡が今生きていたら何歳か、ということになり、事典を引いたら1899年生まれだった。去年が生誕100年か、それにしては大して騒がなかったなあ。
・F先生仕事に復帰したらしい。でも仕事をいやがっているらしい。
・田村信と昨日、飲んだとか。サンデーに描いていたころ、評論家にいじめられたという話をしてくれたそうである。曰く“社会を描こうとしていない”“問題意識がない”。いかに評論家という人種がバカかがわかるエピソードであるが、そもそもそれまでの評論というのは文学作品を対象としたもので、マンガをマンガとして評価する評価軸もなければ言葉もなかったのだから、こういうトンチンカンを言い出す連中がいたのも仕方がない。驚くべきことに、現在もなお、マンガの土俵に上がろうとせずにマンガを語ろうとする輩が多々、いるのである。

 昼はウドン。1時、改装工事の作業に古屋兎丸氏が来た。いや、マジにドアをあけたら古屋さんが立っていた、と思ったくらい、その左官作業員さん、顔といい髪型といいソックリだったんですわ。ずっと立ち会うが、途中でK子とバトンタッチ。K子は工務店の責任者を“まだ今日も終わらないの?”と大いにイジメていた。タイヤキ買って、シネカノン試写室。開田さんと待合せ、映画『ブリスター!』試写。今日が 最終日ということだが試写室満席で、追加試写も行われるらしい。監督の須賀くんと久しぶりに再開。数年前、“唐沢商会の『蒸気王』を映画化したい”と突如話をくれたときからのつきあい(もちろんボツったけれど)である。フィギュアコレクターを主人公に、SFや伝奇ミステリを含めたあらゆる映画の要素を詰め込んだ、まさにオモチャ箱のような映画。いかにもCM製作者が作った映画(監督は博報堂社員)という映像は賛否両論別れるだろう。

(以下ネタバレあり)
 私的には映像はオールOK。アメコミをストーリィの中に挟み入れるテクニックは『タンクガール』あたりから学んだのだろうが、それよりうまい。ただ、脚本の未消化が映画としてのレベルをぐんと下げているのも事実。前半、フィギュアコレクターやレアものコレクター、中年SFマニアや造形オタクの生態や思考をだだだ、とマシンガン的に紹介するあたりのテンポは最高なのだが、そこから先が急速に説明不足に陥ってくる。韓国の宮廷彫刻家の末裔がアメリカ製フィギュアの原型を作っている、などというあたり、アジア製ガシャポンの最近の精巧さを知っているものには笑えてしかもリアリティがあるハナシだが、一般には非現実すぎる設定としか映るまい。彼が幻のフィギュアの制作者である、という秘密が明かされるシーンは単純に話の持っていき方が拙く、わざとらしさが目立つ。近未来SFと現代の青春ドラマを交互に描くのはいいが、フィギュアの行方を知る人物の乗った飛行機の撃墜だの、重力爆弾だの、さらに指を代々移植して技術を子孫に伝える謎の一族などという冗談だか真面目だかわからない設定の部分はどうにもおさまりが悪い。ちゃんと造形オタクを脇役として出しているのに、単なるコレクターの主人公が造形師を受け継ぐというのも理屈にあわない。

 何より、最後に主人公は恋人を限定ワンセットとフィギュアに見立ててヨリを戻すわけだが、そこで主人公のフィギュアコレクションは終わりを告げたのかどうか、キチンと描いてないのがよくない。ラストでブリスターパックを開けてつぶやくセリフもアイマイモコで、わかったようなわからんような。もっと単純に、フィギュアコレクターの情熱をストレートに描いた方がよくはなかったか。いや、最後にフィギュアを捨てて恋人を取る、でも私はかまわないと思う。映画のテーマが明確に見えてくるならば。

 悪口をだいぶ言ったが、とにかくオタクならば観にいけ! とは勧められる。最後に語られる日本のオタクへの海外からの熱いメッセージは半可通なオタク批判にココロ揺れているあなたへの強いはげましになるだろう。なにより、オタクをルーティンなデブの引きこもりに描いていないだけでもすでに画期的。帰りに開田さんと“あんなオシャレなオタクはいないよねえ”と笑ったが。

 帰ってすぐ、紹介原稿書いて週刊ポストにFAX。載るかどうかはまだわかんないけど、そのときは他に回すつもり。メールの返事など書いてるうちに8時を過ぎてしまう。タクシーで新宿新田裏すがわら。今日は珍しく大変な混み様。鯛、甘エビ、赤貝、ウニなど。暑いので日本酒ロックで。ちょっとベロとなる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa