3日
月曜日
坊さんカンザス行くを見た
世界宗教会議於ウィチタ。夜中に目がさめる。糖尿病のお父さん、眠れないと言って眠剤出してもらったら今度は大イビキとウナサレでうるさいのなんの。隣の爺さんはまた小水容器ひっくりかえしてる。なかなか騒がしい。フトン頭からかぶってウトウトしながらショーン・コネリー主演の列車アクションの夢など見つつ、6時起床。もう入院して一週間め。早いもんですな。小渕首相が倒れたというニュース、今日は新聞売りが行ってしまったので、喫煙室の新聞で読む。
朝食、8時15分。キンピラ、キャベツ浅漬け、豆腐味噌汁、卵焼きというウルトラシンプルなもの。卵焼きは手をつけず。ご飯半分。月曜なので採血、レントゲンなどいろいろ検査。レントゲンは午前はメチャ込みなので午後にする。回診のときみると、いまだ腫れ引かず、傷口のあたりややネフローゼ気味。血行の悪さが原因とか。
点滴、今日はやや落ちが回復。受けながら昨日島崎くんが持ってきた本の袋に入っていた未來社のパンフレットを読んでたら、ここの社長の西谷能英氏が、小学館社長の相賀昌宏氏にカミついていた。相賀社長が某書店の研修会に招かれて講演した話についてで、要するに相賀氏の言うのは
「出版は文化事業であることはもちろんだが、その前に営利事業であることを忘れてはならない。ともすると出版人は自分の仕事が文化事業であることに自己陶酔し、それが何か高級なものであるという意識のもとに、経営観念が欠如していても当然という観念に陥りやすい。経済が成り立たなければ文化も成り立たないということにもっと思いをはせるべきであり、現実から離れたところに出版というものがあるような幻影の中に安住するな」
ということで、これにヨーロッパ思想中心の、“文化的”出版社未來社々長がカチンとこないわけはない。
「経済的になりたたない場合でも、文化的に価値のあるものは出版に限らず無数にある。最初から経済的に成り立つことを考えたのでは本当に文化的価値のある試みに手を出すことはできない。経済問題を解決してから文化の問題にとりくむ、などというご都合主義は実践されたことがない絵空事である。こちらで国政を論じ、こちらで裸を出すというような小学館の商売は文化などとは呼べない。文化とはそんな節操のないものではない」
というような激語で論駁している。まあ、いつの世も繰り返されている話ではあるし、発言者が片や業界最大手、片や弱小良心的出版社、となるとあまりにもキャラがルーティンすぎて苦笑するしかない。
西谷氏の
「出版における文化性とは読者のニーズにあわせて本を作ることにあるのではなく、読者の未知の知的欲求を喚び起こすような新しい知や文化を創造的に作り出すことであり、そうした力と可能性をもった著者や執筆者と共同で停滞をうち破ること」
という言葉のカッコよさにはイヨと掛け声をかけたくなる。ただし、西谷氏に言いたいのは、良心的出版社の中には、往々にして執筆者たちにもそういった文化的良心を要求し、“こういう文化的事業をやっているんだから、金銭的ペイは低くてアタリマエ”と(コトバにしなくても無意識に)思っているところが多いということだ。まして読者の知的欲求を喚起することもなかなかままならなくなっているのは、読者に対しても、文化をカンバンにイタケダカにこれまで接してきたツケのようなものである。そんな態度でいると、この出版界大恐慌一歩手前の時代に、そのギリギリの文化的出版すら続けていけなくなってしまうゾ、と、相賀氏の発言はそこらのところを踏まえてなされたものではあるまいか。
11時、入院長引くなら仕事の資料などを家から持ってこないといけない、と担当医のSセンセイに頼む。執刀医はMセンセイなのだが、今日は学会で不在。Sセンセイは神経質そうなタイプで、“今の状態ではあまり出て欲しくない”とブツブツ言うが、朝の回診のとき、先輩らしい(助教授クラス?)センセイが“ちょっと外出するくらいダイジョーブダイジョーブ”と安請け合いしてしまったので、自分がダメを出してそれがその先輩に伝わると、というようないろいろなヒエラルキー問題を頭の中でカシャカシャ計算し、“きっと今日の段階で出かけると、明日、足がむちゃくちゃ腫れますよ”などとさんざオドしたあげくOKしてくれる。そのうえ自分が用心のためタクシー乗り場まで車椅子を押していく、と言い出すが、看護婦長さんが笑ってそれを止め、結局ボランティアの女の子が押していってくれた。彼女、どこかの学校とかのクラブでボランティア活動してんの? と訊いたが、そういうのとはまったく関係なく、個人の意志でボランティア活動をやっているのだそうだ。
タクシーで家まで飛ばし、次の週アス、メディアワークス本、光文社などの原稿の資料をかき集める。インターネットも久々にのぞいてみる(病院のモバイルワープロではパソ通のみ)が、どこも大した進展ナシ。2ちゃんねるの例の私への中傷も初めてナマで見てみた。うーむ、糾弾にしろ何にしろ推測ばかりで、いまいち具体性に欠けて迫力不足だね。いろいろ教えてあげるのに、なんで直接裏モノに書き込んでこないかなあ(本当にやましくないならなんで黙殺しない、などと言っているが、それは私が入院中でタイクツだからだよ、君)。
K子と待ち合わせ、昼飯。どうせなら、というので東京ヒルトンのなんとかいうエラそうな中華。フカヒレのスープではじまるランチコース。病院食に慣れた身には舌に味が染み渡るが、胃が小さくなっているせいか、量がどれもこれも多くて閉口。特別輸入の中国茶(1500円ナリ)が香、色、風味、さすがに絶品だった。お茶褒めてちゃいかんか。
帰院予定より30分送れて病室へ。すぐ着替えてレントゲン撮影に行く。包帯とって撮影するが、あれだけ歩き回ってサゾ腫れていると思ったが、大したことなし。終わって帰ったら立川談之助夫妻が見舞いに来て待っていてくれてた。新居となる家を見にいった帰りらしい。本が多くて多くてどうしようか、と頭を抱えていた。オタクの引っ越しの共通の悩みである。睦月さんの今度建てるビル(八紘一宇ビル、と本気で名付けるつもりらしい)の一室を書庫にみんなで金出し合って借りるか、というような話をする。
ベッドに帰ってしばらく読書。学陽書房Hくん追加ゲラ持って見舞い。ゲラチェック用の赤ペンを買ってきてもらう。いろいろと今後のスケジュールの話。隣のお爺さんは社員が来ていて、仕事の指図をテキパキとしていた。“こんなミス、向こうがすると思わないで書類見てるんだから、こっちの間違いを責められても困ると伝えておいてくれよ!”と、毎晩オシッコの容器こぼしてGさんに叱られているとは思えない口調。メール数通。
8時、夕食。サバ照り焼き、タケノコだらけのチンジャオロースー、インゲンとニンジンの茹でたの、それと大根おろし。さっきヒルトンでメシ食った人間にこんなエサみてえなもン、食えるかい、と言おうと思ったが腹は時間と共に減るもので、おいしくいただく。ただ、やはり昼はカロリー過多だったもので、半分残す。糖尿病お父さん、江戸っ子らしくそろそろワガママが出て、冷たくない水は飲めないとか、銀ダラと言って食べさせてもらった魚が銀ダラじゃないとか、いろいろ看護婦とやりあっている。読書、日記執筆、10時消灯。