8日
土曜日
リヒテゐル小平次
タイトルに意味はない。あるとでも? 朝7時起床。ひさびさにテレビを見ながら(短期で退院できると思っていたので貸テレビを申し込まなかった)朝食準備。ハムとニガウリの卵炒め、イチゴ。
朝、薬局新聞一本アゲてK子に渡す。今後のスケジュールなど仕切なおし。病院で読みかけになっていた小谷野敦『新編・八犬伝綺想』(ちくま文庫)読む。昔、福武から出ていたこの元本を読んで、大変に新鮮な知的感動を覚えたものだが、そうか、『もてない男』の前にこれを読んでいたんだな、私は。新たに付け加えられた部分はともかく、文庫版のあとがきがいかにもこの著者らしく、昔のことにイジイジとこだわって未練がましくいじましく、実にいい(ホメているのである)。『もてない男』の本領発揮である。
これは著者初めての本で、出たときには必ずや話題になり、インタビュー依頼もどんどんきて、新聞や雑誌から原稿依頼もおしよせ、ひょっとしたら三島賞も取れるかも、と思っていたのがあにはからんや世間の反響はさっぱりで新聞にも全然書評は出ず、賞など取れるわけもなく、おまけにこの本からあきらかにネタをパクった猿之助スーパー歌舞伎の横内謙介という脚本家もそんなことはおくびにも出さず、つくづく無名学者の悲哀を味わった、とボヤいている。もっとも、“横内の名前自体が数年で忘れ去られてしまった”と、江戸のカタキをうつのも忘れないところなどは、いい根性である。
北海道新聞の新担当、Mさんから退院祝いのお花が届く。こんなことをしてくれた編集は初めてである。入院先から原稿を書いて送ったという異常状況に感心してくれたからだろう。と、いうより、落とさずにすんだ、という安堵感からか? なんにせよありがとうございます。
昼飯はバナナカレー(カレーライスに切ったバナナを乗せるだけ)。東海大学の学内誌編集者から、『サブカル世代としての30代』について語れ、という依頼。ほいほい。そういうことなら100時間でも語れるぞ。とりあえず応諾の電話。なんか、あっという間に通常業務に戻ってしまったな。まあ、忙しいより悪いことはひとつしかない、忙しくないことである、ってのがモットーですから。 仕事は量をこなすべきである、という根拠のひとつに、量をこなしていると逆にひとつの仕事で焦点を絞れる、ということがある。普通、ある対象について、切口というのはほとんど無数に存在する。いいネタを前に置いて、われわれはアレも言いたいコレも言いたいと煩悶する。しかしながら大抵の場合、与えられた枚数というのは限られており、そんなにたくさんのことを言う余裕はない。そこでわれわれモノカキは取捨選択を迫られる。この取捨がスッキリいかねば、原稿のピントがぼやけるのだ。こういう場合、ある程度仕事の数をこなしていると、取捨の“捨”の部分をかなり大胆に行える。ここで書かなくても別のところで使える、という算段もつくし、まあ、いい材料は一回で使い切ることもないから、という余裕が生まれるわけだ。その切捨てによって文章の輪郭がハッキリし、テーマが読者にインパクトをもって伝わる。
ところが、普段あまり仕事をしていないモノカキというのは、そういう欲求がたまりにたまっていて、一回分の原稿の中に、あれもこれも、と、言いたいことを全部詰め込んでしまうことが多い。何かを取材して、そのことを記事にする場合、原稿用紙で10枚以内なら、語ることというのはとにかくひとつに絞れ。例えばある役者の舞台公演のルポを書くなら、その公演が行われるに至った背景、その文化的位置づけ、さらに今日における劇団とは何か、なぜ小劇場がブームか、日本におけるその問題点はなにか、などということは極力最小限に抑え、その役者ソノモノの演技、人物に絞り、そこをたっぷり書き込まねば、読者に強い印象を与える原稿にはならない。言いたいことが山ほどあるのは大いにわかる。また、自分は単なる演劇ファンではなく、演劇の根本問題まで語れる人間なのダとアピールしたい気持ちもよっくわかる。さはさりながら、たかだか10枚、4000文字の字数の中でそれら全て語りつくすのはアナタの文章力では無理というものなのだ。取材原稿とは取材した対象を描ききることが本分であり、アナタの主張をそれにかこつけて語るのは、先様にも失礼になる。そこをわきまえることが大事だ。若手(すでに若手でないのにもいるが)の文章を見ると、その多くがさなきだに少ない文字数の中に情報をブチ込みすぎている。あれもこれもと五目にしたあげく、結果、何を言いたいんだかよくわからない原稿になっていて、自分でもそれがウスウス感じとれるもので、“これについてはまた”などと連載でもない原稿で引きの文章を書いたりするようなミットモナイ真似をする。
これすべて、仕事量、すなわち発表媒体数が足りないということが原因なんです。“あまり仕事をしすぎると原稿内容がウスくなる”などという心配は、実際にウスくなるほど依頼が来てからすればよろしい。若いうちはとにかく営業に回れ。もらい仕事をしろ。その中で、売れる原稿とそうでない原稿の違いは分かってくる。どんなつまらん仕事でも、書かない者は量を書く者に絶対カナワナイのだ。
・・・・・・今日の日記に長文が多いのは、足が不自由でワープロの前から動けない身の上のためである。さすがにこのままでは煮える、と思い、タクシーで京王プラザまで出かけ、行き着けの理髪店で洗髪とヒゲ剃り。まだ抜糸前で風呂に入れないので、髪がもうベトベト。そこからさらにタクシーで、青山の国連大学前のフリマを杖つきながら冷やかす。オモチャいくつか購入。
なをきに退院報告の電話したら奥さんが出て、なんとなをきも昨日夜、胆石の痛みとギックリ腰のダブルパンチで病院へ運ばれた、という。腰のギックリはマンガ家の職業病だろうが、胆石とは意外。まあ、本人と話した感じでは今は全快、という感じらしいが。若いアシスタントと一緒に毎日食事していると油もたくさん取るだろうしなあ。結局、石を溶かす薬を貰って帰ってきたとか。超音波だかなんだかを当てて石を破壊する体外衝撃波破砕療法というのは名前がスゴくて、一度やってもらいたいような気がする。いつぞやテレビで見たのは、超小型のダイナマイトを石にマジックハンドで仕掛け、爆破させるという凄まじいものだった。“爆破しなきゃあ治らない”という傑作な駄ジャレが植木不等式氏の本にありましたな。そのままなをきと小一時間、電話。マンガ家の稼ぎと人生設計の話など。
そうこうしているうち8時まぎわになり、あわてて食事の準備。二週間ぶりくらいである。カツオヅケ刺し、モツ鍋風、酢ゆば。確かにウチは油をほとんど使ってないなあ。もっとも、期間限定輸入のハモン・セラノを後でウィスキーのつまみにした。これは十分に油っこく、塩辛く、しかしながら甘く、ワイルドで奥深く、結構な味。こういうのを食べて病気になるならまあ、致し方ないかも。シャーロック・ホームズのビデオ見る。刑事役で出てきたハゲの役者、どこかで見たことがあると思ったらケン・ラッセルの『サロメ』でハゲの召使役だったデニス・リルだった。この見事なハゲ(波平風)は一度見たら忘れられない。10時半、就寝。