裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

金曜日

油断もスキンもない

 ピルを飲もうね。朝6時起き。SFマガジン原稿、ちょっと書く。7時、朝食。ピタパンに昨日のカニの残りとトマト、シソを挟んで。あとイチゴ。8時、東京医大病院。今日は手術のとき執刀してくれたK先生が診察。傷痕を見るなり、“ああ、いいねえ、うんうん、いい”と溜息のような声をあげる。よほど心配だったらしい。ただし、こないだの先生、抜鋼のときピンを二本、抜き忘れていたことが判明(笑)。まあ、腫れた中に埋もれていたから、私自身気がつかなかった。この抜鋼も処方箋に計算されるのか、と思ったが、さすがに入ってなかった。

 帰ってSFマガジン。11枚のうち残り9枚をだだだだだだだだ。鶴岡からの電話をはさんで11時、書き上げてメールする。休む暇なく、続いてホラー雑誌の実録猟奇原稿をだだだだだだだだ。12枚を3時間で書きあげ。大したもんである。まあ、昨日までにスケジュール通りきちんきちんと仕事していればこんなだだだ、とやらんでもいいのだけど。特にホラーは、4時ジャストが最終校了で、送ったのが2時、というキワドさだった。こういうことはこれきりにしないと。そのあと、友人のYくんが以前の勤務先の四国から讃岐うどんを送ってくれたので、肉うどんにして遅めの昼食。東京のうどんとは段が違う。

 学陽書房Hくんから電話。『創』編集部と一進一退とか。ここまで創のS編集長がかたくなとは思わなかった。まあ、私の本を自社で出せば売れる、と思っているからゆえのこだわりなんだろうけど。困ったものです。やはり私がキッチリと言わないとラチがあかんかな。ダ・ヴィンチからビデオ受取りにくるので手渡し。講談社から、立川志加吾『風とマンダラ』書評の件で電話。

 その『創』原稿、これも今日必着とか。GW進行、最近はどこも早くて。4枚強だが40分で片付ける。即効メール。これで本日の執筆枚数400字詰めで27枚。まあ、これで限度か。体力消耗してガックリ。六本木に買い物に出る。トンデモ本原稿用の書籍をABCで、その他の資料をあおい書店で。われわれ70年世代には懐かしい麻田奈美のヌード写真集が再刊されていた。美少女ヌードのさきがけ、などと言われた伝説のものだが、今見ると、なかなかどうもたっぷりとした体格。はっきり言えばデブである。時代はあらそえない。今の子はスリムだねえ。

 伊藤くんがほんやら堂掲示板で私の『B級学』を批判しているようだ。なんでも私がアカデミズムを目のカタキにするのが気に入らないらしい。それはかまわない。私もあえてアカデミズムに対して激語を飛ばしているわけだから、これに関してアカデミズム側から反論がくることは予想のうちである(伊藤くんやほんやら堂はただのアカデミズムオタクであって、関係者ではないけどね)。しかし、マンガが大衆文化などではない、という伊藤くんの論は、ナスは野菜でない、と強弁するようなもので、もし、それが証明できるのであればこれはこれまでの常識をくつがえす画期的な論となるはずだ。是非、そこをしっかり語ってほしい。なにしろ、当のアカデミズムが、マンガを大衆に根差したロウカルチャーであり、ハイカルチャーと対比することを前提として(ジャクリーヌ・ベルント等の著作を参照)、その距離が近いか遠いかということでカンカンガクガクやっている現状なのだから。椹木野衣によれば、純粋美術系の一部アーティストがプロレタリア芸術としてマンガという表現法を選択し、そこにおいて未来派からダダイズムに至るまでの方法論がマンガの中になだれこんだ、ということだが(私はその移行の段階でキッチュ化が発生した、と見るのだがこれは余談)その説をとる彼にして、マンガ=芸術論を自明のこととして語るのは「欺瞞的」と吐き捨てているのである。

 実は伊藤くんからのB級学批判には秘かに期待していたところがあった。私のB級学はその性質上、戦後の貸本・赤本時代を現代のマンガ文化の起点とし、商業原理にのっとったキッチュ文化としての発展の面をマンガの本質とした視線から語られている。しかしながら、私自身本の中でも言っていることなのだが、マンガには確かにもうひとつ、そのアナーキーさがアートとしての前衛の部分に抵触している面があり、この二者はマンガを語る際の車軸の両輪として機能していかなくてはならない。ところが、アカデミズムが現在“スリ寄って”いるのはマンガの大衆芸術としての側面ばかりであって、心理学、哲学、フェミニズム、アートなどの各分野がマンガのヒサシを借りて己れの専門をその中で開陳しよう、というさもしい根性でしかない。その証拠に、現在のアカデミズム内部で、マンガそのものを研究している者がどれほどいるか。先に挙げた各分野の専門家が、“素材として”マンガを利用している例ばかりではないか。専門的に現代マンガを研究しようとした大塚英志は学外に出なければならなかったのであり、学生集めのために最近雨後のタケノコのように出来ている各大学のマンガ講座は、そのほとんどが呉智英から鶴岡法斎にいたるまでの、外部の講師をひっぱって来ざるを得ないでいるのだ。この状況下で、純粋に表現芸術学としての現代マンガの流れを伊藤くんが語ったならば、それはおそらく日本でも数少ないアカデミックな正統マンガ論として成立する(そのようなアカデミズムであれば私は素直に頭を下げて聴講に行きたいと思う)と考えていたのである。

 さりながら、ほんやら堂掲示板とか『広告』などでなされた伊藤くんのB級学批判は、ただ大衆文化的マンガ論を感情的に排除するだけであり、論理性に欠けた誤読と視野狭窄の産物にしかなっていない。アカデミズムに取り上げられただけでマンガがダメになる、と私の言ってもいないことを“正確に”引用しているようだが、その批判として語られている“おカミやアカデミズムに触れられたくらいでエネルギーを失うような作り手は、所詮、それまでのもの”が正論であるならば、大衆文化と定義されたくらいのことで低次のものにとどまってしまうような作り手はしょせんそれまでのものであろう。そもそも、大衆文化としてマンガを見ることがマンガを低く位置づ けること、などという決めつけは、それ自体、鼻持ちならない高慢な差別 的思考であり、およそ大衆文化のルーティン性に“現代”を見出したポップ・アートのファンを自称する身にも似合わないと思うがどうだろうか。

 ほんやら堂のような人によくある特長だが、時代の先端にあるものにこだわっている人というのは案外、時代そのものを見渡す目を失っているようだ。大衆文化とアカデミズム批評との関連、という設問の答に平野啓一郎を持ち出す(平野の小説はどう考えても大衆文化を指向したものじゃなかんべえ)ようなトンチンカンだから何をか言わんやである。伊藤くんの
「1950年代からのマンガ論、マンガ評論のリスト中にマンガを非難したものが見あたらないから、マンガはアカデミズムから批判されてない」
 という意見など、まさにその“時代を見る目”の喪失を如実に表しているものだろう(見あたらない、というのがそもそも不思議で、教育学などの立場からマンガを難じた論文などいくらもあるのだが)。例えば60年代当時の児童文学者たちの言論記録などに目を通してみよう、というような目配りの発想がない。いや、現代マンガの代名詞的存在である手塚治虫が繰り返し々々、自分が識者からいじめられてきた経験を語っている、ということを、私はちゃんと自著の中に述べているのに、それを敢えて無視しているのは、彼の論の目的がマンガ大衆文化論を排するのではなく、唐沢俊一という個人を排することであるからだろう。こういう私的心情に目を曇らせている者に、冷静な批評などを求めても無理なのかもしれない。

 さて伊藤くん、批判や論駁を私は歓迎する。ただ、論には論で対抗してきてくれることがやはり望ましい。アカデミズムによって批評されることにより、よりよいマンガ状況がもたらされると言うならば、それはどのような状況であるのか。高い位置に置かれるマンガ文化とはそもそもどのようなカタチをとるものであるのか。それを君は具体的に示すことが出来るのか。大衆という用語を不可視な定義できない不安定な用語と決めつけているようだが、それではオルテガから始まる大衆社会研究における大衆の定義というのは否定されているのか。言葉尻をとらえた部分的批判でなしに、まず、君の想定するマンガとアカデミズムの親密な関係上におけるマンガ論を、ある程度まとまった形で発表するところからでないと、真摯な批評とは言えないのではないだろうか。かつて君の弟弟子だった男は、すでにマンガ論の著作を完成させ(その質がすぐれたものであるかどうかはまだ読んでないので保留するとして)、私とほぼ同じ論点の大衆文化理論で、アカデミズムの牙城の一角たる早稲田で講師になっているのである。ほんやら堂なんかでブイブイ言わせているうちに君、早い話、差をつけられてしまっているんだよ。

 ・・・・・・以上、“いつも唐沢は伊藤剛に対しアテコスリのようなことばかり書いている”と思われてもなんなので、珍しく正面から反論してみました。まあ、原稿書きのノルマを果たしたあとの筆休め。

 8時半、『船山』。旬の魚介と野菜をたっぷり味わう。桜海老、春鱒、鳥貝、タケノコ。タケノコはすりおろして、山芋とあわせて蒸してある。タケノコの味で食感がまるでタケノコでない、不思議な食べ物。老人になってもタケノコが食べられるから安心だな、というだけのものだが(笑)。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa