裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

月曜日

埴輪武士だよ人生は

 大魔神。今日は8時病院だから、と昨日早寝したら5時に目が覚めてしまった。3日分の日記を井上デザインにメール。月替わりのワク作りがめんどくさいとK子が投げてるので、当分委託。一行知識掲示板などに書き込む。ネタ元は先日青山で買った希少動物図鑑など。7時、ピタパンで朝食。K子のぶんも作り置きして、7時半に病院へ。そうしたら、まだ窓口は明りもついておらず、受付は8時半、診察は9時からとなっている。退院の時、月曜8時に来てクダサイと言われたのに〜(入院患者の診療時間と外来の診療開始を間違えたのね)。

 それでも早起きのジジババで待合室は賑わっている。ウルズラ・ヌーバー『傷つきやすい子供という神話』を読んで時間つぶす。幼少時のトラウマがその人物の後の人生を支配するという理論に対する、ポジティブなアンチテーゼ。過去の無力だった時代の出来事に今の自分の不幸の原因をおっかぶせる、というある意味簡単至極な方法に世間が飛びつくのは無理ないが、こういう万能理論にはどこかウサン臭さがつきまとうもので、そこらへんを鋭くツイている。

 小学2年だったか3年だったかのころ、私はミッション系の英語塾に通わせられていた。通いはじめて一年目くらいに大規模な英語劇の塾祭が企画されて、われわれは一カ月以上ものあいだ、その舞台の猛訓練をさせられた(私は開幕前に出て英語で来賓に挨拶する役だった)。親たちのところには塾祭を開くにあたっての寄付金募集が塾長(当時60代くらいの女性)からいっていたそうだ。そして、いよいよその塾祭の当日。なぜか朝からの開幕が遅れに遅れ、昼過ぎになってやっと始まった。私が最初に壇上に上がったが、子供心にも親たちはガヤガヤと落ち着かなかった。塾長がいつまでたっても現れず、家に電話しても連絡がつかない状態だったのだ。先生方の挨拶や来賓祝辞などのセレモニーもなく、あれだけ一生懸命準備した塾祭はアッケなく終わってしまった。親が帰りに“塾長先生はもう生きていないかも知れないわね”とつぶやいて、初めて私は何かあったことを知った。・・・・・・真相はすぐ知れた。敬虔なクリスチャンであった塾長が、寄付金はじめ、塾の金を持って逃げたのである。上品な、優しい老婦人であったが、どんな人物でも人間は犯罪者になり得る。

 当然のことながら、塾はそれきりになった。一カ月ほどして、塾長の息子夫婦が、家にあやまりにやってきた。逃げた塾長がつかまったのだった。一軒々々、生徒たちの家をあやまりに回っていた息子夫婦は、ほとんどの家で親たちから痛罵を受けたそうで、かなりやつれた顔をしていた。“このたびは・・・・・・”と頭を下げる二人を制して、母は言った。
「塾長さんの行為が許されないことだということは別にして、いろいろ事情があったことと思いますし、息子のあなたがあやまるスジはありません」
「・・・・・・しかし、純真な子供たちの心を傷つけたかと思うと、それが申し訳なくて」
 彼もクリスチャンらしい息子が言いかけると、母は笑いながら手を振って言った。
「子供なんてそんな複雑な事情はわからないし、(ト私の方を指さし)バカだからすぐ忘れます。子供なんて案外傷つかないもんですよ」
 ・・・・・・母の言は正しかったと思う。本当に私は、それからすぐ、そんなことがあったことすら忘れてしまった。こうして書いているのは、もう社会人になってから、母に“そう言えば俺はなんであの英語塾をやめたんだっけ?”と何かの折りに質問し、そのときの話を母から聞いたからである。

 従って、この記憶も後から作られたものである可能性が高い。しかしながら、私がそれまでこのことをすっかり忘れていたのは、この記憶が思い出したくないものとして抑圧されていたからでは決してない。私は、クソ面白くもなかった英語塾に翌日から通わなくてよくなったことが心底うれしかったのだから。母の“子供なんてバカだから、すぐ忘れるものだ”というセリフのみは明瞭に刷りこまれて、ソンナモンカ、と思ったのを覚えている。あのときに塾長先生が金を持ち逃げしなければ、今の私の英語力はもう少しマシなものになっていたかもしれないが。

 9時過ぎ、やっと診察。それも、赤チン塗っただけで“また水曜に”と帰される。腫れが完全に引いてない、ということだが、サージカルテープで止めたところはほぼ腫れも引いている。新式の、ホチキス式装置でやった縫合が合わなかったことは確実なのだが、そういうことには触れたくないらしい。“なんでこんなに腫れが引くのが遅いんです?”“うーん、いろいろ複合的な理由が・・・・・・やっぱり出歩くからじゃないかな”“でも、一番ひどかったのは出歩いてなんかいない、手術翌日ですよ。むしろ動くようになってかなりよくなったんだから”“・・・・・・まあ、いろいろ複合的な理由が・・・・・・”なかなか医者イジメも楽しい。もっとも、酒飲んでほっつき歩いていては確かに治るものも治らぬ。

 帰ってメール数件、シャワーのみ許可もらったので髪を洗う。電話学陽書房、大和書房。学陽書房の装丁に使う写真を探す。ちょうど、以前『アミューズ』だったかの古書店探訪記事のとき、カメラマンさんにプライベートに撮ってもらったものが大量にあったので、それを渡す。取りに来たHくんと少し話。やっぱり刊行は6月アタマになるそうな。電話さらに角川春樹事務所、小学館、メディアワークス。昼飯を食い損なう。2時、『ダ・ヴィンチ』インタビューで東武ホテルへ。そこの喫茶店で軽食でも、と思ったら、上階に部屋をとってそこで、ということ。昼食はアキラメる。インタビューはB級バカホラーについて。インタビュアーが無暗にホラーにくわしい女性で(後で聞いたら季刊のホラー小冊子を編集しているんだとか)、どんどん話を飛ばせる。小説、映画、マンガでそれぞれにバカ作品を紹介。あまり濃くすると誰も知らないものばかりになり(雑誌ではこれはタブー)、かといって薄くしすぎるとマニアにハナで笑われる。案配が難しいがやはり途中から血が騒ぎ、誰も知らないようなマンガの話で盛り上がる。もちろんここはカット。2時間ほどしゃべりまくって何とかマトメ。編集のSくんとちょっと、これからのお仕事の話をする。

 東武を出て、パルコブックセンター。雑誌何冊か。『噂の真相』にまた東浩紀叩きネタ。平野啓一郎にムヤミに敵愾心を燃やし、挑発しているとやら。小谷野理論がここでも応用できそうですな。筒井康隆の“俺は金持ち”という感じの露悪的エッセイが実にイイ。肉まん買ってかえってコーヒー入れて一ケ。明日までにやらねばならぬ原稿、山積だが、話しすぎて気力を失った。

 SFマガジン、フィギュア王など雑誌原稿用の資料をネットと書庫で検索。これがなかなか面白い作業で、熱中。ゲラゲラ笑いながら資料読みすすむ。8時の待合せを失念するところだった。小雨の中、出てNHK前のソバ屋『花菜』。肉豆腐、タチウオ塩焼、野沢菜漬けで酒かなり。最後におろしソバ一人前をK子と半分つ食べる。帰宅10時。Dちゃんから電話。ブックTVで彼女の画集を紹介する件。

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