18日
火曜日
フィヒテ屍拾うものなし
タイトルは観念論的。ゆうべ寝つかれず、3時ころやっとウトウトしたところを、5時に電話で叩き起こされる。母からで、親父、死んだかと思ったらそうでなく、パパがああなったのは私のせいだとか、リハビリの人があまり頻繁にくるので、看護婦さんが手を出せなかったのでは、とか、混乱したことをかきくどく。この時刻に電話をかけているのも、たぶん頭から時間の観念がなくなっているのだろう。小渕首相からフランク永井までを持ち出して、ああいう風になったらパパがかわいそうだ、と泣く。なまじ頭のいい女性なので、いろんな不安をどんどん想像しちまうのだろう。こういうときは、頭のブレーカーが早く落ちちゃう人の方が幸福。。大丈夫だよ、心配ないよ、人間そう簡単に脳死にはならないよ、と50回くらい繰り返して受話器を置く。それから先寝られなくなり、6時起き。K子は寝かせておいて一人で朝メシを食う。イカゲソが残っていたのでサンドイッチにするが、変てこなもの。
実録猟奇原稿(親父が生死の淵にあるときにこういう原稿を書くというのもなかなかオツなものである)一本書いて状況を図示したものと一緒にK子に渡し、早川に図版をバイク便で出し、シャワー浴びて、9時に家を出る。今日は国会見学。官能倶楽部の内藤みかさんが社民党の保坂展人議員と知り合いで、その縁で見学させてもらえるのである。国会議事堂前、議員会館の待合室で、睦月、安達OB、開田夫妻といういつものメンバー。
「お父さんの具合、いかがですか」
「脳に酸素が行ってなかったらしくて」
「植木不等式さんもこないだのと学会例会のとき、変な頭痛がすると言ってたよ」
「“脳腫瘍だったらノウシュヨウ”とか言ってた」
「本当に脳に酸素が行ってないんじゃないのか」
「あの人は死ぬ間際の遺言も絶対駄ジャレにするね」
「“僕は癌だ、ガーン”とか」
「“ケッカクここまで生きてきたのに”とか」
やがてみかさんも到着、議員会館内へ。もっと厳重な身体検査などされるかと思ったが、何もなし。同じピンク色の鉄製ドアがずらりと並んだ、何のことはない団地のような感じ。この部屋は所属政党、当選回数などに関係なく、一律同じ大きさの部屋に空いたところから入れさせられる(でないと引っ越しだらけになる)。聞いたことのない新人議員の隣に森喜朗、などという名札の部屋がある。中は二た間で、6畳6畳。ほとんどの部屋がドアを開けっ放しにしているので中がのぞけるが、同じ間取りで内装がそれぞれ個性が出ているところが面白い。基本的に、自民党系の議員の部屋は応接室的作りで、革新系は事務所、といった雰囲気。
保坂議員の部屋は土井たか子の部屋の隣。保坂夫人がやってきて、土井さんの好きなおまんじゅうを買ってきたから差入れてきた、とか言っていた。ご近所のおばさんつきあい。この夫人の案内で、議事堂内まで、議員会館の地下の通路を通っていく。岸政権のとき、国会がデモにとりまかれたので、脱出用に掘ったものだという説明をされたが、ホントか。確かに飾りっけのない、ただ通路というだけの通路。そこをくぐって議事堂内に入ると、明治の建築らしい、重厚なアール・デコ調装飾。エレベーターの昇降指示器や、照明のスイッチ、火災報知機などのデザインひとつ々々が凝っていていい。天井はあくまで高く、やや薄暗めの照明も威厳があって、しかもところどころ和洋折衷のキッチュさがある。日本有数のキッチュ建築と言えるのではなかろうか。政治好きの安達Oさんが熱心に保坂夫人に質問をあびせていた。
議員食堂で昼食。国会内の食堂(一般も入れる地下の食堂でなく、関係者同伴でないと入れない方)に行ったのだが、モアチェーンだったのに驚いた。寿司屋と洋食屋が入っていて、寿司の方の日替り定食950円を食う。スシが6ケ(まぐろ、鯛、イカ、タコ、玉子、いなり)にオカズ(これがよくわからない)のホッケ塩焼、刺身、カボチャの煮付けがつき、さらにうどんがつく。議員食堂というからもっと豪華なものを食べてると思ったが、デパートの食堂(昭和40年代)といった感じだった。これから議会に出席する保坂議員も顔を出して、挨拶。私より二つも年上の筈なのに、やたら若い印象。この人のパンフレットの似顔は西原りえ子が描いている。彼女と同郷で、昔、飲酒で停学になった彼女を助けて抗議活動をした縁だとか。
やがて議会開始時刻になり、入口の廊下に立って見学。みかさんが有名議員が通る たびにキャーキャー声をあげる。アイドルの入り待ちみたいだ。海部元総理、田中真紀子、公明党の何とかいった議員など。そのあと、外で写真撮影。開田さんがやたら撮影しまくっている。怪獣の絵を描くのに国会は必須アイテムだからな。議員会館地下の売店で田舎ものになりきってオミヤゲを買う。小渕元総理のテレカが売っていたので、そろそろレアアイテムになるだろう、と思って買った。東京タワーのおみやげと基本的に同じパターンのグッズだが、あそこに比べると半額近い安さ。
そこで解散。開田夫妻は本日の銀座での絵画展の準備に出かけ、他のみんなはそれまでの時間つぶし。私は渋谷までとって返して、シネカノン試写室で五月末から行われる中川信夫回顧上映の試写。今日は『女吸血鬼』。昔、池袋文芸座オールナイトで二度ほど観た(一度は中川監督の舞台挨拶があり、“本日はどういう趣味の方々かよくわかりませんがよくおいでくださいまして”などと言ってコップ酒を飲んでいた)のだが、いつもこの作品だけ途中で寝てしまい、全編通したことがない。ただし、本日も極端な寝不足なので、寝ないか心配。配給会社の人が声をかけてきて、名刺交換したので、グースカイビキをかいては申し訳ない。
せまい試写会場は満員。冒頭のB級極まる大金持ちの描写から、中川監督、楽しんで安っぽい恐怖を演出している感じ。後半、少しダレてウトウトしたところはあったが、寝込みもせず、ラストの気の抜けた活劇も大いに満足。終わって出ようとしたら
「唐沢さんですか」
と声をかけられる。インテリオタクの典型的な風貌の人で、
「斎藤環と申します」
おや、これはまた、意外なところで意外な人物と。名刺交換し、中川信夫お好きですか、というような立ち話しばし。“私、『四谷怪談』は大好きなんですが”“あ、あれは名作中の名作ですけれど、今日のはちょっとB級で”“ちょっと、どころじゃないですよ”(笑)。
「実は先日、太田出版のHくんからご著書を見せていただきまして」
「存じてます。日記をいつも拝見させていただいてますから」
これにはオドロいた。まったく、どこまでこの日記読まれてるんだ? しかも、つい数日前に言及した本の著者とこんなところでバッタリ出会うとは。まあ、オタク同士行くところが似通っているのは当たり前だが、メッタなことは書けないな。
「書評、よろしく。ツッコミ大歓迎ですから」
と言われて照れる。もっとお話したかったが、絵画展があるので、またいずれ、と別れ、一旦家に帰って荷物などを置き、編集部との連絡済ませて銀座へ。ロイヤルサロンギンザの『ビースト展』。初日はいつでもオープニングパーティ風に酒やおつまみを並べるのだが、あやさんが準備のとき“うちもなにかおつまみを用意しましょうか?”と言ったら、レオの親父に“開田さんとこはあやちゃんがつまみや! 色っぽい格好してきたらそれでええ!”と言われたとか。胸のあいた黒の衣装でお客さまを接待していた。らむくんの紹介でデータハウスの編集長と名刺交換。ひえださんも来て、レオさんの若き日の作品であるタロットカードに見入っていた。
開田さんへのご祝儀で、『電子の花嫁』を、購入。オリジナル怪獣の絵で大変気に入ったのがあったのでどちらにしようか最後まで迷ったが、とりあえず汎用的な女性の絵にする。らむくんのイラストにもいい感じなのがあった。今度買おう。
6時、母が親父の病院から帰ってくる時刻なので北海道に電話。なんと
「もう意識もすっかり戻って、オドロイタとか言ってるのよ。お医者さんが“脳に影響もなくてよかったね。家にずっと置くと奥さんが大変だろうから、これからはひと月に一週間ほどは病院であずかりますよ”と言ってくれて。そうしてくれたら、私も旅行とかできるから、いいわ」
などとノンキなことを言っている。今朝、人を電話で叩き起こしてわめいていたのは何だったんだよ。どうにも、気が抜けたオチであった。今日の中川映画か。
8時、ジョン万次郎で打ち上げ。睦月、安達ズ、風間九郎諸氏は〆切があるので参加せず。ポーランド語教室終わったK子も駆けつける。眠気がかえって意識をハイにして、いろいろくだらぬギャグを飛ばしていた記憶があるが、覚えてない。