28日
木曜日
カマ親分
「うふ〜ん、ロバちゃ〜ん」(声・加藤精三)
※原稿チェック 『社会派くん』対談 アニドウ上映会
朝、かなり体調思わしくなく七転八倒。
そんな中で断続的に睡眠を取り、夢を見る。
ニューヨークのセントラル・パークみたいな広大な土地(日本)に
屋敷を持っている資産家の息子になる夢。
ただし資産家らしいところは私には全然なく、土地の入り口に
一家の事務方の仕事をする人間が仕事をするビルがあって、その
ワンフロアを自分の住まいにして住んでいる。
近所の子供たちがそのビルを見学に来るが、私は廊下で毛布に
くるまって寝ていて(部屋がオモチャなどでいっぱいのため)、
子供たちに浮浪者と間違えられる。
8時半起床。
日記つけなど。
9時半、朝食如例。
原稿チェック4回目。
がりがりとやる。
最初の頃のテープ起しでは自称が
「私、唐沢俊一」
などとなっていて、誰かさんじゃあるまいしと全部書き換えていた。
この数回のものはよし。
1時半、完成してメール。20枚程度の原稿だったが、かなり
書き直した割にはずいぶんと捗がいった。
呼吸が苦しい中、ストレッチして入浴、それから弁当を使う。
しばらく休んで読書。『天皇の秘教』続き。
藤巻氏の記述は基本的に神秘的、怪しげなものに惑溺しない
ところがいい。ひょっとしてこの人ビリーバーでは、と思える
荒俣宏氏とはそこが違う。
mixiの不備で、24日にアップしたはずの訃報がこっちの
日記に反映されておらず。仕方ないのでここに書く。
六代目三遊亭圓生門下・生之助22日死去。73歳。
整った顔立ち、きれいな高座姿、多少早口だがしゃっきりした口舌、
いかにも六代目圓生に気に入られそうな噺家としての
スタイルで、事実気に入られ、昭和48年の圓生の御前口演にも、
付き人として弟子の中では圓楽と二人だけ、付き添っている。
http://ginjo.fc2web.com/96omikidokkuri/gozenkouen.htm
↑圓生の談話だが、これを読むと驚いたことに当日、御前口演から
帰ったあと、仕事を入れているのですね。しかも霊友会! たぶん、
皇室よりギャラの払いがよかったからだろう。ここらへん、長年の
つきあいのあるTBSの出口一雄プロデューサーが圓生のことを
表現するのに
「三遊亭はこれだ」
とこぶしを握って突き出すしぐさをした、というエピソード
(京須偕充『圓生の録音室』)が彷彿とされる。
いや、圓生はよろしい、生之助である。
三遊亭圓丈『御乱心』によれば、それほど圓生に可愛がられた
生之助(真打昇進も兄弟子のさん生〜後の川柳〜より先)で
ありながら、方向音痴の気があり、圓生が倒れた千葉の
病院に道に迷って駆けつけられず、臨終に間に合わなかったとか。
「ワリイ、ワリイ」
とやたら恐縮する姿が圓丈の目で描かれ、この人の好人物ぶりが、
他人の目線と自分の立場を計算ばかりして動く、嫌な奴ばかり登場する
この『御乱心』の中での一服の清涼剤になっていた。
その後、落語協会に復帰後、師匠ゆずりの端正な彫琢をされた
芸で講座に上がっていた。それはそれで好きな芸人さんだったが、
何か“昭和”で時が止まっているような、そんな感じが聞いていて
伝わってきたものだ。
自分を可愛がってくれた師匠が亡くなった時点で、この人には
もう芸の変化は必要なくなってしまったのだろう。
古典の世界を守るのに、それは必要なことでもある。
しかし、思えば師匠の圓生は死ぬまでいろいろと実験精神を
失わなかった人なのであるが。
それにしても、あの事件当時“若手真打”だった生之助がもう73歳か。
時の流れをしみじみと身にしみて感じてしまう。
4時、新宿『らんぶる』にて社会派くん対談。
雨、ときおりパラつく。
訃報の多さに村崎さんも呆れ気味。
終って、中野までタクシーで戻る。
途中で電話、某女史より。
某氏の病状について、ちょっと愕然たる話を聞く。
ただ愕然たるばかりでなく、いろいろと算段せねばならぬこと多し。
いま呆然としている場合ではない。
中野でちょいと虫養いに蕎麦をたぐり、
芸能小劇場。アニドウ上映会『なみきのいえ』。以前、同じシャレを
日記タイトルにしたことがあるが、別個に考えていたらしく、
今回は『つみきのいえ』にちなんで、“海面が上昇するアニメ”の
特集上映。
いつものメンバーも久しぶり、まるさん、さざんかQさん、
++ungoodさん、それに植木不等式さん。
植木さんとちょっと例の件ごそごそ。
上映やがて開始、最初は洪水や潜水夫のニュース映画。
それと、『十戒』の予告で、セシル・B・デミルがずっと話しまくる
というもの。上映前の雑談で、この映画に出てくるビンセント・プライス
の役名が“バカ”という、という話などしていたが、ちゃんとデミルが
「Baka played by Vincent Price」
と言って証明してくれた。
なみきの、懐かしいPAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)
の話などに笑った。
他に声優陣がいま見るとやたら豪華な『海底少年マリン』、
村田安司の、タコの描写が何とも奇妙な『三公と蛸〜百万両珍騒動』
(1933)、ジャン・フランソワ・ラギオニーの、これまた
幻想的かつちょっと意味不明の『ノアの箱船』(1966)
などが印象に残った。ラギオニーは確か作品集DVDを持っている
はず。探してみないと。
その後、ちょっと頼みごとなどし、いつものメンバー(上記)
でいつもの『金龍門』へ。オトウサン、喜んでくれた。
話題いろいろ。映画のこと、アニメのこと。
栗本薫はいかにして壊れていったか、など。
某氏のことが気になって何度も携帯を見る。
久しぶりの金龍門のシャオヤンロウに舌鼓。
ニラみそ切らしたとて、気をつかって微塵切りのニラが出る。
11時半ころ、別れてタクシーで(ワンメーター)帰宅。
早いのでホッピーイッパイだけ飲みつつ、
皆神さんと連絡など。
*金龍門のオトウサンと。