裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

火曜日

赤影のアン

「マシュー・ガスパートは飛騨の孤児院から、赤毛の忍者を呼んだ」

※原稿チェック

朝9時45分起床。
午前中の体調、極めて悪し。
ゆうべ飲みすぎたか?
そんなに飲んでないはずなんだがなあ。

朝食、ジュース、スープ、紅茶。
クロレラ錠にアミノ酸錠。
自室に戻り、大急ぎで某広告代理店原稿。
テーマとネタを結びつけるのに手直し二回ほど。
分量の少なさにちょっとてこずる。

昼は鴨つくね弁当。
味付けよく、美味。
食べてあとはひたすら、原稿チェック。
残り1/3だから昼間のうちに片づくか、と思ったが
夕方になってもいっかな完成せず。
まあ、分量は確かに倍くらいになってはいるが。

業務連絡、オノから。
仕事は水物、と思えること多し。
それにしても、早く新事務所を定めたい。

夕方、ちょっとくたびれてベッドで少し休む。
岩波書店『全集・黒澤明3』が出てきたので、
『殺陣師段平』の脚本を読む。
驚いた。
前の日記でDVDの感想として、
「いかにも黒澤脚本らしいところは、一番の泣かせどころである
お春の死、その4年後の段平の死を直接には描かず、雪の中の“忌”
の文字、娘のおきくの話で処理しているところ」
と書いたが、段平の死を黒澤の脚本はちゃんと書いていた。
お春の死は直接ではないが、脚本よりも完成フィルムでの
演出はより、ドライであった。
脚本では、名古屋から帰った段平が兵庫市などとのやりとりで
お春の死を知るのだが、映画では、文盲の段平が、お春の死を
告げる電報の内容を知らずに澤正にたてつき、自分を引き抜きに
来た男(加藤嘉)に読ませて初めてその死を知るのである。
さらに段平の死、台本では段平が最後の殺陣をつけ終えてガクッと
事切れるシーンを見せているが、映画では、そのつけた殺陣は
娘のおきくが口移しに澤正に伝え、画面切り替わりですでに
亡くなっている段平のわきで兵庫市と氷屋の婆さんが涙ぐんで
いるところがインサートされるにとどまっている。
これでストーリィがぐっと立体化された。

私が“さすが黒澤”と感心した場面の演出は全てマキノ正博の
つけたものだった。
マキノ監督は“脚本なんてもんはアラスジじゃ”と豪語して
役者にも渡さず、今日の撮影シーンの脚本を読んで組み立てた撮影プラン
をそこらの紙切れにメモし、それをもとに口立てで役者に台詞を
つけ、演出すると潮健児の証言にあるが、黒澤明脚本に対しても
それをやったのだろうか?

もともと、黒澤はこの脚本をかなりマキノ向きに“通俗に”
書いた形跡がある。原作にある台詞なのか、最後の段平の
娘・おきくの
「大将はわが子の手も握らんと、刀握って死にました」
という台詞など(、マキノに対し、
「あなたこういう台詞好きでしょう、さあどうぞ」
という感じで挿入してある。
結局マキノはこれ、使ってない。
あえて意地になって黒澤風に撮っている感じさえする。

しかし、マキノ自信の脚本によるリメイク『人生とんぼ返り』
にはない、構成の異常な緊張度はやはり黒澤のものだろう。

『殺陣師段平』は1950年の作品、1952年の『生きる』は
黒澤がマキノに影響を受けてああいう演出をしたとも考えられる
わけか。……まあ、ひょっとしてこんな発見、映画史の中では
常識なのかも知れず、私も調べて書きつけているわけではない。
これは心覚えのメモ日記である。読む方もそのつもりで。

原稿チェック起きだして続き、結局夜の11時までかかって
2/3のみ完成、バーバラに送る。
夜食、イカと中トロの刺身(美味)、カモ湯豆腐(これも美味)。
夜さり、バーバラから送った原稿絶賛のメール。
不思議な感覚。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa