裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

火曜日

カルビ、嵐のように

「この取り調べが終ったら焼肉でも食おうじゃないか」

※上野下町風俗資料館『森下正雄追悼紙芝居大会』

朝6時目を覚ます。
ゲホゲホはなし。
ただ、タンのみからんできて不快。
外は今にも降り出しそうな雨催いの空。

ベッド読書。長谷川町子全集『エプロンおばさん』3巻。
2のような、露骨な時代描写はないが、よく読むと裏に当時の
状況があって初めて理解できる作品、多し。
今回の収録作品は昭和37(1962)年〜38(63)年の
間に描かれたものが中心らしく、例えば『二人の刑事』という
作品は1961年からTBSで放映が始まった『七人の刑事』の
大ヒットを受けたパロディ、リズ・テイラーという名前の猿が逃げ出して、
リチャード・バートンという名前の牧師さんのところに駆け込んだ
というのは、63年の映画『クレオパトラ』で共演した二人が
大恋愛に落ちたというニュースから発想されたものだろう。
エプロンおばさんが帰ってきた下宿人に
「エイガなにみたの、サラリーマンもの? キングコング?」
と訊いて、若い下宿人が
「ノー、ノー、洋画ですよ、どうもボク等に云わせると日本物はねえ」
と答えている。キングコングは洋画だろう、と思うところだが、
このキングコングは当時((62)に公開された東宝映画『キングコング
対ゴジラ』のことのようだ。この作品、観客動員数1255万人を記録し、
『エプロンおばさん』の中にも登場するほどの知名度を誇ったのである。
パズルを解いているみたいで面白い。まだ数ヶ所、何によったアイデア
なのか、年代が合わないものとかがあり、また収録も必ずしも
年代に忠実ではない疑いもある。今後少しづつ楽しみに読み解いて
いこうと思う。

9時半、母の部屋にて朝食。
バナナリンゴニンジンジュース、カブのスープ。
自室で日記つけなど。

ゼーゼーと呼吸荒く、息苦しいが熱等はなし。
大丈夫だろう、と出かける。
地下鉄乗り継いで上野、雨の人手の中、下町風俗資料館にて
森下正雄追悼紙芝居大会。

昨年12月に亡くなった紙芝居師・森下さんの追悼で、佳声先生
の呼びかけで東京・大阪、そして仙台の紙芝居師たちが合同で
大会を開催することになったもの。東京から森下さんのお弟子さんの
永田為春さんや森下さんの息子さん、それに佳声先生、
大阪の三邑会から古山千賀子さん、大塚珠代さん等、そして仙台の
大衆紙芝居ネットワークのメンバーが揃って出演。

客席は超満員で、後ろの方になんとか席をとる。弟子のスズくん、
山形造形大の吉田先生、坂本頼光くんなどの姿がある。
森下さんの息子さんが顔が森下さんそっくりだったり、お弟子さんが
演じる『ライオンマン』を佳声先生のと比べてみたり。
仙台は若い女性が二人が今日は演じていたが、声のハリが小さすぎる
ことを除けば、頑張っていたと思う。仙台に保管されているという
街頭紙芝居を特に複製してもらって上演したという『赤胴赤鬼金之助』
という演目がなかなか結構。

大阪三邑会は今日は古山さん。いかにも大阪という感じの語りで、
三邑会ならではの、面白グロテスクな絵柄の作品を。
『少年院長先生』のナンセンス、そして『泣くな奇太郎』という
作品は、『鬼太郎』シリーズのまさに原型という作品。
金に困った悪人・赤目青太郎(このネーミングがすごい)が、
金欲しさに親友を騙して狩に誘い、谷底に突き落として殺してしまう。
友人の飼っていた猟犬のクマも撃ち殺し、その罪をかぶせて報告。
友人の妻は身重だったがそのショックで心臓マヒを起して死亡。
村人たちが谷底を探すと、落ちた衝撃で顔がつぶれ、目が飛び出した
無残な死骸となって友人は発見される……というところまでだったが、
この先、奇太郎が墓場で死骸から生れ、飛び出した目に父親の
魂が乗り移って……となれば、もうまんま、鬼太郎誕生である。

佳声先生は最近よくかける『国性爺合戦』、それと大会の大〆メを
マンガ紙芝居『ドンちゃん』。弾丸自動車(スナップ・ボラードの
喜劇映画からのインスパイアか?)に乗ったドンちゃんの大冒険(?)
自動車を発明した博士が白人なのになぜか中国風のアルヨ言葉だったり
先行きがまったく見えぬ紙芝居クオリティ。いや、笑った。

吉田先生とその奥さん、東大のスタッフさんと挨拶。
頼光くんなどと、三邑会の紙芝居ばなし。
先日の三邑会の大阪での紙芝居展に、公演の翌日で行けなかった
のが何ともくやしいが、連絡とって、ぜひ塩崎コレクションは
見せていただこうと話す。

伊勢のHさんもいらしていて、話す。ついに伊勢に常設で紙芝居を
始めたとのこと。今度名古屋で講演の仕事があるのだが、
ついでにぜひ伊勢神宮にも行って見てきたいものだ。

下町風俗資料館の方やその他いろいろ、名刺交換。
出て、喫茶店で佳声先生ご夫妻囲んでちょっと話す。
頼光くんは頭を坊主にしていて、どうしたのと訊いたら、
「トンデモ本大賞の新作サザザさんを作るために山ごもりしようと
思いまして」
と。あはは。
吉田先生と、研究費を使っての調査のやり方についてちょっと。

終って、みんなと別れ、アメ横ビル地下に行く。
日本で最もアジアを感じられる場所、かも知れない。
豚の足だの胃袋だのがそのまま積まれ、聞いたこともない魚や
調味料、菓子類が並ぶ。おまけに安い。イイダコが皿にいっぱいで
500円、頭をとったウチワエビが同じく1000円である。
マッコリの紙パックとウチワエビ、それに茹で落花生を買う。
茹で落花生も日本の1/3の値段。

地下鉄乗り継いで新宿、そこでも小田急で買い物。
体調は不良でヒーハー言っているのに、夜食用の買い物を
するのには寄り道もいとわないところが何とも意地汚い。
さすがにそこからはタクシーで帰宅。

アニメのバットマンや実写のバットマンのDVDを見ながら、
ウチワエビのあおった(軽く茹でた)の、小田急で買った
鶏手羽の唐揚げ(塩味)で夕食。マッコリサワー、ホッピー。

夜10時、NHKで『ザ・ライバル サンデーvsマガジン』見る。
われわれの世代には涙の物語。いい話だった。

しかし、いくら周囲のセットを作り込んでも、人間たちが昭和30年代
にはもう、絶対的に見えないんである。
いや、骨格が違う、足の長さが、顔の作りが昭和と今ではまるで違う、と
いうことはまあ仕方ない。

あの頃の人間はね、みんなタバコやたらふかしていた。
眼鏡もやたら多くて、みんな黒縁だった。髪は後ろを刈り上げ、
ポマードをそれはそれはべったりつけていた。
あ、ついでに言うと金歯を堂々と前歯にしていた。。
それが普通だった。
おしゃれな背広着たサラリーマン、これは30年代にはまず、
いなかったと思う。

見終わって寝る。就寝前におまじないで喘息用の錠剤を。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa