8日
金曜日
オマハの清志郎
♪こんな朝に、上陸してくるなんて〜(ロンメル元帥・談)
※トンデモ本大賞下見 週刊現代原稿 トツゲキ稽古
母が出かけていることもあり、10時半までグッスリ。
咳はほとんどなし。最近は咳より息切れが主な愁訴になってきた。
朝食はイングリッシュ・マフィンにスモークト・サーモンを
はさんで、ミルクティーと共に。
入浴などすませ、日記つけ。
12時半、家を出て池袋。トンデモ本大賞開場下見。
時間ギリギリに到着する。
途中でミヤッキーと落ち合い、会場前で待っていたS井さんと
一緒に豊島区公会堂打ち合わせ。
こないだ(演芸会)のときの担当さん。
ほぼ去年と同じ機材なのでそう難しくも無し。
ただ、演芸会以降、CDの再生デッキが新しいものになった。
「やっと予算が下りて買って貰えました」
と担当さん言うが、この会場(昭和27年竣工)、あまりの古さに
来年は存在するのだろうかと使うたび不安になるのだが、新機材を
購入するくらいだからまだ当分は大丈夫だろうとS井さんと話す。
出て、近くの手打ちうどん屋で昼食とりつつちょっと打ち合わせ。
池袋三越は昨日が最後の営業日であった。
店を出たあたりでちょっと雨がパラつくが、そのうち本降りになる。
山手線で新宿、丸ノ内線で新中野。
30分ほどベッドに横になって休む。
自室で週刊現代マンガ評原稿を書く。
字数調整、今回はさほど苦労せず1時間ほどで完成、
編集部にメール。
5時半、家を出て中野富士見町。
VAD二回目稽古。
稽古始めるあたりで、雨あがりの空に、見事な虹が出る。
ほぼ東京全域で見られたようで、他のマイミクさんの日記にも
多く写真が載る。私たちが見たのはまだ出始めのとき。
二重になっていて、稽古そっちのけでみんなベランダに押し寄せる
ようにして写メしていた。
で、稽古。私とコンビの北村さんの部分はOK出る。
北村さん、ほとんど舞台の上に出ずっぱりなのだが、その飄々と
した顔と演技、他の出演者がハマったらしく、みんな彼の
一挙手一投足を笑いながら見ている。
芝居のときはいいが、稽古場の隅で待っている間、かなり
体調の衰えを感じる。やはり一日のうちに下見、原稿、稽古の
三連チャンはこの年齢になると応える。
10時、撤収。前の稽古場では平気で10時半過ぎまで稽古を
していたので、10時撤収が早く感じる。とはいえ、ルナのように
9時撤収だとその後飲もうか、になるのだが10時だと帰りの足を
考えて、みんな早々と帰路につく。
帰宅、サントクで買ったホタルイカでギリシア風サラダを
作って食べる。あと、茹で落花生で酒。
輸入DVDでヒアリングの稽古。英語字幕が出るので非常に
ありがたい。中学生のころ、こういう教材がないかなあ、と
思っていたものが実現している。
漫画家・やまだ紫氏、5日、脳内出血で死去。60歳。
数年前、まだ青林堂の例の分裂騒動が起きる前に、白取くん(夫)
から電話があり、やまだが分泌系の病気なのでいい病院を紹介して
欲しい、と頼まれた。医者をやっている伯父に頼み込んで、
当時の日本では最高の技術を持った医院を紹介してもらえる
手筈となり、電話で報告した。
電話でではあったが、やまださんと長くしゃべったのはあれが
最初で最後だった。
その後、向うにもいろいろ事情があったらしく、結局私の
紹介したところとは別の病院で手術を受けることになり、
夫妻はそれをずっと気にしていたらしい。
別段、気にすることはないのに、と思っていたが、今回の死の
きっかけとなった脳内出血は、その分泌系の病気の手術から
来た糖尿病が原因ではないかと考えられる。あのとき、無理に
でもすすめてこちらの病院に行かせていれば……という思いも
ふと脳裏をかすめたが、それはあまりに牽強付会、我田引水が
過ぎるだろう。
ただ、運命の糸はその後、主に夫の白取くんと私の仲を
へだてさせ、彼もまた、妙な思い込みから私との間に戸を
立てることとなった。それもまた、やむを得ない。
人間関係がどうしても、彼ら夫婦と私を親しくさせなかったので
ある。そのしこりは、いまだに私の心の中に残っている、と
言わねばウソになる。向うも残っているだろう。
ただ、これだけはウソもいつわりもなく堂々と言える。
私はやまだ紫のマンガの大ファンであった。
ガロに連載されていた『しんきらり』を毎号、なをきと争って
読んで、
「今回も怖かったねー」
と話し合った。
二人の子供を育てるまだ若い、ちょっと美人の母親の日常。
女性作家らしい繊細な目で、しかも、その後の若い女性作家の
ように子育てを特別なことととらえず、あたりまえのこととして、
それが日常の平凡の中に埋没するその寸前ですくい取り、
原稿用紙の上に結晶化させたといったおもむきの作品だった。
そんな作品がなぜ、“今回も怖かったねー”なのか。
なにげない日常の中に、ふと忍び込む孤独感、不安、そして殺意。
そういうものが必ず作品の中に、すっと差し込まれるようにして
描かれていたからだ。特に、家庭に無理解な夫のことを描くとき、
それは如実となった。こんなこと(心理)まで描いていいのかな、
とすら思った。
やがて、この作品を描いていたとき、やまだ紫はすでに離婚して
いた(最初の夫と)ということを知る。そのとき逆に、その、
もう束縛の無くなった状態で描いた作品が、ここまでの抑制を
効かせていた、ということに驚いた。
ストーリィのテクニックにはプラスの技法ばかりでなく、
マイナスの技法もあるのだな、とつくづく感じ入った。
その後のやまだ紫さんの活動に関しては、私には何も言うべき
言葉もない。ただ、あの、ガロをむさぼり読んでいた80年代の、
やまだ紫はじめひさうちみちおや近藤ようこや鴨川裕仁や谷弘兒と
いった人たちの作品を、毎月、あたりまえのように読めるという
贅沢な状況に何の不思議さも感じなくてよかったという時代が
夢のようであり、その時代を過ごすことが出来た、というだけで
私は彼女に満腔の感謝を捧げねばならない。
これだけは確かだ。
黙祷。