11日
水曜日
ウラ!ウラ!ウラ!
「♪トララ、トララ、トラ、トラの、ハワイは日本のためにある」
※原稿書きひたすら
朝8時起床。
クリーニングの届ものに起される。
喉が、というか肺が苦しくゼイゼイヒューヒュー。
当然鬱々。これは飲み鬱である。
9時半朝食、如例。
弁当貰って、自室に戻る。
さて、今日は是が非でもD社書き下ろし、2章はやらねば。
と、いうわけで原稿書き。
本日はサントクでの買い物以外、どこにも出ず、
ひたすらキーを打ち続けていた。
NHKの収録、東中野のスタジオだかお店だかになる模様。
本の紹介番組で料理をすることになるとは思わなんだ。
昼は弁当、ほほ肉の牛丼。うまいうまいと半分食べたところで
思いついて、冷蔵庫に残っていた(K子がこれを処分しなかったのが
不思議)カレーをかけて、なか卯のカレー牛丼風にして
食べる。ゲテで結構。
5時に一本目書き上げ、息をつく。
担当に送ったあと、気分転換にサントクに買い物。
カーズのクラッカーがまた入荷していたのでつい、
ひと箱買ってしまう。
帰宅、冷蔵庫の中のネギ、豚スペアリブ、それに干し椎茸で
台湾風おでん(豆油肉)。今日はネギを細かく切ってトロケる
ようにしてみる。二本目の原稿書きながら、倦むとときおり
鍋の中をのぞく。
原稿がりがり。人と人の意外なつながり、年代と事件の納得できる
つながり、それらを組み合わせてひとつの“時代”を浮き彫りに
していく作業。
ひょっとして……と思い調べたものが果たして、になったときの
快感は大したもので、これがときおりあるから書き続けられる。
もっとも、調べてその末にまったく見当外れ、ということも多い、
いや、大半はこれである。見当外れであることを人から指摘されて
頭を掻くこともしばしば。しかし、“思いつき”のない、単なる
実証だけの文章は無味乾燥になってしまうんだなあ。
物書きで食って行くというのは因果な商売で、この突拍子もない
思いつきをどれだけ思いつき続けられるか、で営業可能期間が
決まるところがある。マスコミで活躍する論客で途中から
オカシクなってしまう人が多いのは、脳にこの思いつきを強制し
続けてきた職業病じゃないかと思う。
11時ちょい過ぎ、二本目完成。まあ、予想通り。
煮上がった豆油肉(タウユウバア)、醤油の味を薄くしたのが正解。
セロリの薄切りを散らして、それで酒。どぶサワー1杯、
ホッピー3杯。
飲みながらVHSで(てっきりDVDが出ているもんだとばかり
思っていたが)森一生『怪談蚊喰鳥』。79分の小品ながら
大映怪談映画で一番好きな佳作。船越英二の演技をひたすら堪能する
作品であろう。怪談ばなしというのは基本、怪談が発生する根本に
色と欲がからまるが、常磐津の師匠役・中田康子の存在が、
その色と欲の中心となり、色は受け持つが金のない遊び人の小林勝彦
(コロンボシリーズでジョージ・ハミルトンの吹替え担当)、
金は持っているが色の面で女が相手にしてくれない按摩役の船越英二
の、3人の配置が面白い。中田の亭主気取りでいて、小林に
ぶん殴られて面罵されて、ほうほうのていで逃げ出しながら、
またしゃあしゃあと立ち戻ってくる按摩・徳の市のしたたかさ。
人間関係がひらりひらりと、蝙蝠が飛ぶように裏表が変わる
ところから、題名を“蚊喰鳥”とつけたのだろうか。
最後の最後で、それまでまったく出てこなかった白塗り二枚目の
お役人(丹羽又三郎)が登場して事件のあらましを解説し、
「げに、恐ろしきは人の欲」
などとスカしたことを言って去る。いったい誰だこの人、と最初
見たときは思ったが、そのうち、この演出はヒッチコックの
『サイコ』で、最後に突然シモン・オークランド(『事件記者
コルチャック』のビンセント編集長)の心理学者が出てきて、
二重人格の解説をする、あのシーンのいただきなのではないかと
思いついた。サイコの日本公開は1960年、この映画が作られたのが
1961年、時期もあっている。
その頃よく会っていた映画評論家の先生にそのことを話したら
ハナで笑われたが、私は今でも、この直感は正しい、いや、
この“思いつき”は面白い、と思っている。
2時、就寝。