2日
日曜日
統幕長で逢いましょう(自衛官)
オオハクチョウで逢いましょう(バードウォッチングの会)
胃拡張で逢いましょう(消化器内科医)
喧嘩口調で逢いましょう(野党と与党)
「チョワー、アチョー」で逢いましょう(ブルース・リーファン)
※『ヒーローソング昼話』
朝、9時20分起床。
30分朝食。
バナナジュース、スープ代わりに温泉卵を乗せたご飯、
軽く一杯。
フランク永井死去の報。
“ムード歌謡”という、要するに
「キャバレーとかナイトクラブで歌われる甘ったるい歌を総称する
昭和の歌謡ジャンル」
を代表する一人。その代表作『東京ナイトクラブ』はタモリが
『東京ホストクラブ』としてパロディしている。
ビートたけしも『西銀座駅前』の
「ABC・XYZ、これがおいらの口癖さ」
という歌詞に“そんな口癖の奴がいるか!”とツッコミを入れていた。
ギャグの両巨頭からネタにされるくらい、ポピュラーな存在だった。
昭和32年のサラリーマンの平均収入をそのままタイトルにした
『13800円』なんてユーモラスな曲もあったし、『16トン』
の日本語歌詞の達者さは特筆ものであった。
『公園の手品師』なんかは、発表当時より今の方が評価が高い歌なのでは
あるまいか。
中田の伯母が彼を贔屓にして、
「今度紹介するわよ。もう、あたしになついてなついて」
とある時、フランク永井の行きつけという焼鳥屋でご馳走して
もらったときに御機嫌で言っていて、どんな人なのかと実は興味を
持っていたのだが、その直後に自殺未遂。
確か伯母はその後、お祓いしてもらいに行ったと記憶する。
で、その記事を検索していたら、リーガル秀才氏死去(23日)の
ニュースも見つけた。81歳。先に亡くなった天才氏(04年、80歳)
と共に、寄席をプロデュースしているとき、ずいぶんとお世話になった
コンビだった。あれは横浜の紅葉坂での会だったが、トリに頼んで
いた談志が急用で早上がりにさせてくれ、と言ってきて、ヒザで
上がるはずだった天才・秀才にトリをとってもらったことがあった。
そのときの二人は、
「困ったもんだな、あの人も」
と言いながらも、張り切って高座をつとめてくれて、
「落語と違って漫才のトリはいいよぉ!」
「そうそう、短いしね」
「いや、トリなんだから少しは長くやろうよ」
「でもお客さんも早く帰りたいだろうし」
「いや、せっかく入場料払ってきてくださっているんだから」
「モトとろうっての? しみったれな」
などと客を沸かせて、一時間、たっぷりと演じてくれた。
思えばあれが私の聞いた漫才の最長記録だった。
ちょっと袖で聞いてふるえたのを覚えている。
豊饒だった昭和の時代、われわれを楽しませて
くれたお二方のご冥福を祈る。
11時半、阿佐谷まで。
ロフトAにて『ヒーローソング昼話』。
満杯の盛況。
NHKのYくん、アニソンファンの女性を紹介してくれる。
先般の放送のときに無茶苦茶熱いメッセージを送ってくれた
人で、何と佐賀から今日のためにやってきたとか。
Yくんは次の収録があるので、冒頭15分でNHKに戻るという
ことだったが、結局前半終了の2時までいた。
オノ夫妻、jyamaさん、その他マイミクさんも多々。
トークの内容は後でまとめる予定もあるので、割愛。
しかしまあ、三人とも毒舌爆発、NHKでは絶対できないトーク
内容とあいなった。
腹巻猫さんに全体の解説をお願いし、田中さんには楽曲の解説、
私は司会進行を努める。
終って、ちょっといろいろあって、それから
沖縄料理『瀬戸海人』で打ち上げ。
佐賀の女性ファン、しら〜さん、IPPANさんなどと。
田中先生、ここの料理と酒をお気に召して、泡盛を
さんざん過ごし、話題もまたさらに外へ出せないものに。
そこから、かなり酔って、しかし収録終えたYくんも
また、最初の店で中座された腹巻さんも戻ってくるというので
(みんなどんなにヒーローソングに関しては語りたいことか)
じげもんに場を移し、12時までえんえんと話し、飲み、
わけがわかんなくなる。
タクシーで帰宅、いろいろ思いもアタマの中で交錯して、
とりあえず酔いにまかせて寝る。