裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

水曜日

駐輪されて黙っているか

今だ出撃マッハバロン(その程度で?)

※マガジンハウス社インタビュー

目覚めが7時ころ。
寝床で読書。講談社メチエの本など数冊平行して。
朝9時半起床。
伊予柑とソーセージパンとミルクティーで朝食。
日記つけてから入浴。

今日は3時事務所で取材、“写真撮影があるので櫛だけでも
入れてきてください”とオノから指示があるが、
風が凄まじく、髪などすぐ乱れてしまいそうである。

電話とメール、ちょっと凄まじくハッピーな気分になる
内容のものあり。完全に個人的なことではあるが。
私はやはり前向きな姿勢の人が好きなんである。
あと、こないだのことについて数名から感想。
これまたわかってくれているものばかり。

昼はまたまたカツオ丼。
マグロのヅケ丼でないのは、脂が胃にもたれるからか。
さりとは歳なこと、とは思うが。

出かけようとして、車中読書用の本に悩む。
昨日、地下鉄車内でスティーヴンソン『宝島』は読了。
構成がつくづく上手い。
謎の男、ビリー・ボーンズが語り手・ジムの前に現れて、
この男が真の主役かと思って読んでいくと、そこに黒犬だの
盲のピューだのといった怪人物が続々と出現し、それらが全員
片づいたところで、一本足で肩にオウムをとまらせた
ジョン・シルバーが真打ちとして登場してくるあたりの上手さ。
味方側にリブジー先生、スモレット船長など、頼りになるオトナを
何人も描きながら、最終的に彼らを救うのがジム少年である、と
いう少年もの独自の痛快さ。

海賊ものであるから、登場人物がどんどん死んでいくのだが、
その“退場のさせ方”の巧みさ。
イズレール・ハンズの最期は少年読者に悪夢のように焼き付く
だろうし、今回読んだのでは、大地主トリローニ氏の従僕の
レッドルース爺さんの、最後まで律義な死に方が印象的。
※※
大地主は彼のそばにどかりと膝をついて、子どものように泣き
ながら、彼の手に接吻した。
「先生、わっしは行くのでごぜえますか?」彼はたずねた。
「トムや」わたし(唐沢注・リブジー医師)はいった。
「おまえはほんとうの故郷(くに)へ行くんだよ」
「わしはさきに鉄砲でやつらに一発くらわしてやりたかった」
「トム」大地主がいった「わたしをゆるすといってくれないか?」
「そんなもってえねえことが、わっしからあなたさまにいえますか、
だんなさま?」というのが彼の返事だった。
「だが、それでようごぜえます、アーメン!」
しばらくのあいだ黙っていたあとで、彼は誰か祈祷をあげてくれまいか
といった。「それがしきたりですからね」彼は言い訳するように
つけたした。それからまもなく、それ以上は一言もいわずに、
死んでいった。
※※
今回このシーンが一番印象的で(それまではレッドルース爺さんなんて
いう登場人物がいたことさえ忘れていた)、それは、一生を
狩場の猟番として勤め、自分の主人を無条件に尊敬し、場違いな航海に
連れ出されて海賊に殺されても(だからトリローニ氏は彼に許しを
乞うているのである)なお苦情ひとつ言わずにしきたりを守ることの
方を気にして死んでいく老英国人の生き様に、歳をとってはじめて共感を
感じることが出来るようになったからだろう。
名作には必ず、歳をとって読み直して初めて気がつく、
大人のための仕掛けがあるものだ。

結局、何も持たずに家を出て、タクシーで渋谷。
オノとざっと打ち合せ。
すぐ、マガジンハウス某誌から取材クルーやってくる。
まずは写真を撮影し、それからインタビュー。
いろいろ話すが、さてどこまで向うの期待に応えられた
やら、ちょっと自分で不満あり。

終わって仕事に戻る。
某件につきなんと素早い反応、というメールあり。
それから書評用原稿書きかけるが、まだまとめられる
段階でなし。

事務所を出て、東急ハンズに向かう坂を下っていったら、
何か暗い。道筋にあった、中国雑貨の宇宙百貨が閉店していた。
最近は滅多に入ることもなかったが、キッチュ系商品の宝庫で
(渋谷には他にも何店か宇宙百貨があるが、この通りの店が
最も商品のキッチュ度は高かった)、以前『鳩よ!』で
(この誌名も懐かしいが)キッチュ商品の連載をしていたときには
本当に世話になった。奥の画廊で行われるポップ系のアーティスト
たちの展示も楽しみのひとつだった。
この坂道の無国籍性の、ひとつの象徴みたいな店だったと思う。
無性に寂しくなる。本当に、早く渋谷は出ないといけない。

東急ハンズで買い物。
フライパンのフタと、フライパンの中に敷く焼き網(焼き過ぎを
防ぐためのもの)、それと蒸し器用の台。
一ヶ月前から買おう買おう買わなくては、と思いつつ、
今日やっと購入する。
それから東急本店に出向き夕飯の材料を買う。
せっかく焼き網等を買ったのに今日はそれを使うような食材でなし。

バスで帰宅する。
途中で“カラサワ先生!”と声をかけられる。
見ると、談之助の結婚&長男誕生披露目パーティで
余興をやった“めおと楽団ジキジキ”の香子さん。
「今度、ぜひ落語の会に行かせてください!」
とのこと、ちょっと恐縮。
最近、音楽系の人たちとの交流さかん也。何か面白いことを
してみたいな。

帰宅、ひと仕事しようと思ったがテンション別方向に
行っていてかなわず。
蒸篭を使って、豚肉、豆モヤシ、黄ニラの蒸し物、
それと釜揚げ桜エビ(最近頻繁だが、旬のものは食べ飽きるほど
食べたい)のおろし和え、鶏肉のカシューナッツ炒め(惣菜)。
蒸し物を作るとき一緒に花巻も蒸して、ジンギスカンのタレとか
カシューナッツ炒めに合わせて食べる。
酒は蕎麦湯氷割り二杯。

DVDで『アウターリミッツ』ボックス、
今日からちびちび楽しみつつ見ていくつもり。
今日は第一シーズン第一話『宇宙人現る』と第二話『もう一人の自分』。
どちらも今見るとツッコミを入れまくりたいという気になる
ストーリィなのだが、それを成立させてしまっている
60年代テイストの魅力の強さに、今更ながら驚嘆する。
ラジオ電波の出力を上げた程度でアンドロメダから地球にまで
電送されてしまう宇宙人とか、アメリカ大統領候補のコピー人間
を作って入れ替わる、という方法が全身可塑剤を注射して、
タイヤキみたいな型を顔に押し付ければ終わり、という安直さとか、
今だったらその基本アイデア自体の非科学性を野暮なマニアに突かれて
終わり、になりそうなものを、“センス・オブ・ワンダー”を
旗印に、思考実験としてのその先の人間ドラマを描く作りになっていて
これはとにもかくにも
「世界は変わりつつあり、どういう変り方になるにしろその変化に
追いついていける思考の柔軟性をSFなどで学ばねばならぬ」
という、SFドラマに社会全体のニーズがあった当時のドラマ、
なのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa