裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

水曜日

南無阿弥陀仏ダイエット

念仏を唱えることで、痩せます!

※『創』原稿チェック 『FLASH!』キャプション原稿(別の)

ゆうべ見た『プッシーキャッツ』がよほど印象的だったのか
その夢を見る。レイチェル・リー・クックが実はガリでブスな
近眼の女の子で、バンドでステージに上がったとたんに
キュートな女の子に変身する、という夢。
そのブスの子の役で、小学校の頃の同級生のTちゃんを
出演させていたのが気の毒。Tちゃんはそんな容貌の気の毒な子では
なかったんだが、夢ではかなりディフォルメされていた。

8時起床。
『創』対談原稿が送られているので、そのチェック。
最中に朝食の電話、母の室に行く。
タンジールオレンジ、イチゴ。
アスパラガスのスープ。
イージス艦“あたご”の事故、思わず“あたご一枚下は地獄”とか
つぶやいてしまうが、ぶつかったのが最新装置搭載の
イージス艦というところで世論はもう完全に誘導されてしまっている。
「なんで世界最高のレーダーを持った船が漁船を探知できないんだ」
という嘲笑コメントが目立つが、イージスシステムは対空戦闘用
ですがな(ここらへん、マイミク日記も軍事マニアであるなしで
まるで反応が違う)。何か、“天文の観察に熱中のあまり井戸に落ちた”
タレスのエピソードを思い出してしまった。

“なだしお”事故のときに立川談志が
「だいたい、潜水艦の通るとこで釣りしてちゃいけねえ」
と世論を敵に回すようなことを言っていたが、これはある意味正論である。
7700トンの護衛艦が、7トンクラスの釣り船のあちこちに点在する
海域を航行するというのは、自転車が前後左右に走り回っている広場を
大型トラックが横断するのに等しい。
事故海域近辺では護衛艦も釣り船も、あまりにお互いの存在に
慣れ切ってしまって警戒感を抱いていなかったのではないか。
なだしおのときの遊漁船もそうだったし今回の清徳丸乗組員も、
せめて救命具を身につけるという最低限のことさえしていれば
最悪の事態は免れたのではないか(清徳丸は漁船仲間の危険連絡にも
反応していなかったという。どうも無線を切っていたらしい)。
いたましさに胸を痛めながらも、そんなことを考えた。

しかし個人的に笑ったのはネットの次のニュース。
※※
<脅迫>サイバーエージェントブログに「射殺」書き込み逮捕
毎日新聞
インターネット広告業大手のサイバーエージェント(東京都渋谷区)のブログに、藤田晋同社社長(34)の名前を挙げて「射殺します」などと書き込んだとして、警視庁捜査1課は21日、静岡市駿河区高松、無職、滝井啓有容疑者(32)を脅迫容疑で逮捕したと発表した。

容疑を認め「個人投資家に(サイバーエージェントの)株を買うよう勧めながら、下落した。(ブログにアップされた)宴会風景の写真にも腹が立った」と供述している。

調べでは、滝井容疑者は今年1月2日未明の約1時間、サイバー社のブログに「ゴミ社会をネット上に作った藤田晋へ。お前を殺していいですか。本気です」などと書き込んで脅した疑い。

滝井容疑者はサイバー社の株を1株約15万円で100株購入したが、その後株価が下落し、売却時には1株約6万5000円になっていたという。

藤田社長は04年に女優の奥菜恵さんと結婚、05年7月に離婚している。【川上晃弘、古関俊樹】
※※
……最後の一行に、記事を書いた記者の殺意が込められているような
気がするのだが、どうか。

自室に帰りチェック続き。
今回のお題はキャラクター設定のこと。
岡田さんの
「世の中ってまるまる解釈して受け取ることはできないから、
みんなストーリーにして受け取るしかない」
という発言が面白い。その“ストーリー”の持ちネタが
非常に貧弱になってパターンが少なくなっているのが
現在の状況なのだろう。
10時半に完成させてメール返し。

それから今度は光文社の『FLASH!』原稿。
飛び込みの方である。
キャプション200文字9つ(実際に使うのは誌面の関係で7つ)
だが、なかなか大変であり、調べるのが面白くもあり。
昼は弁当、カマス干物とえびすめ、キャベツ炒めという
脈絡のない取り合わせ。この脈絡のなさが家庭の味というもの。

単行本、連載、企画等の原稿催促、何と四個所から同時に
あり、どこにも平身低頭。おかしいなあ、今年は何でこんなに
正月からつまっているんだろう。この調子ではあっという間に
一年が終わってしまいそうだ。

朝日新聞から届いた今回の候補本のリスト、テキストファイルで
送ってきてくれているのだが何故か開けない。
“このファイルは、別のテキストエンコーディングで保存されているか、
テキストファイルでない可能性があります。”
ではじかれてしまう。
今日は委員会に出られないので、4時までに私の欲しい本を
メールしなくてはならず、仕事場に送ってもらったFAXを
読みに、事務所へ出て、そこから担当Kくんにメール。
とはいえ、すでに予定原稿がかなり詰まっているので
少なめに出しておく。

そこから地下鉄銀座線で上野まで。
東京文化会館で二期会公演『ワルキューレ』。
好田タクトさんの御好意でチケットを手に入れられたもの。
さすが二期会、という人気。
会場に来ている人々の顔が私の普段見たりつきあったりしている
サブカル系の顔とは人種が違うのではないかと思えるほど。
私もかなり場違い系の顔でウロウロしていたのであろう。

『ワルキューレ』に関してはもはや説明の必要もないだろう。
今回のジョエル・ローウェルスの演出・装置は余計な装飾を
廃し、光と闇と、最小限の舞台装置・小道具の中で、この
壮大な悲劇を現代に通ずる観念的なものとして演出している。
衣装も古代と現代の折衷である(小栗奈代子の衣装。新感線の
『メタルマクベス』もそうだったが、最近のこういうクラシック演劇の
現代風上演ではなぜみんな登場人物にコート風のものを着せたがるかね)。
ヴァルハラへの門を、戦士たちが次々と無言のまま階段を上り
くぐっていく(第三幕ではジークムントが入っていく)演出は実に
よかったが、入口のデザインが幾何学的すぎるような気もした。

オペラ素人の私にも歌手の技術の充実は充分にわかる。
第一幕は正直言って、それまでの仕事の疲れが出て、油断すると
落ちそうになったが、第二幕第三幕、ことに第三幕のウォータンと
ブリュンヒルデ(横森照彦と横山恵子)のやりとりの歌唱力と
声量には圧倒されざるを得なかった。
とはいえ、横山恵子は声の迫力と共に体格も迫力あって、
残念ながらオペラ鑑賞に慣れない私には“美しき戦いの女神”には
どうしても見えない。
「ホヨトホー!」
の連呼も、映画『何かいいことないか小猫チャン』の冒頭で
オペラ歌手が浮気した亭主をこの歌を歌いながら追いかけまわす
という傑作シーンをどうしても連想してしまって、
素直に感動するよりは笑ってしまうのである(やはり
私はこの会場の人たちとは人種が違うな)。

しかし、休息含め4時間45分(6時開演で、終演が10時45分!)
の長丁場をダレさせずに、声もかすれずテンション上げっぱなしで
通すのは本当に凄い。終演後拍手と共にブラヴォーの声が
ひっきりなしだった。
日本人によってのワグナー歌劇公演が難しいとされていたのは
テーマや音楽的能力というより体力の問題だったのではないか。
いや、演じ手ばかりでなく、聴衆にとっても。
それはテーマ解釈にも言えていると思う。

今回の演出は、特に三幕はテーマを親子の葛藤というところに
絞り込んでいる。ウォータンは人間の女と自分の間に出来た息子である
ジークムントを戦いに勝利させ、双子の妹ジークリンデと結婚させよう
とするが、正妻であり結婚を司る女神フリッカの嫉妬(しかし正論)
に負け、ジークムントを殺すことを娘のブリュンヒルデに命じる。
父を愛するブリュンヒルデはジークムントを助けようとするが
ウォータン自身がジークムントを殺し、ブリュンヒルデは
ジークムントの子供を宿したジークリンデを逃してやる。
娘を溺愛してはいるが、神々の掟を破ったブリュンヒルデを
ウォータンは罰せねばならない。だが、最後にブリュンヒルデの
願いを聞き届け、炎の中に眠るブリュンヒルデを目覚めさせる
ものが類いまれな英雄であることを約束する。
それが成長したジークリンデの子、ジークフリードである
ことを、もちろんウォータンは知っているのである。

かなりドロドロとした近親相姦の話であり、実際、演出家の
中には最後のウォータンとブリュンヒルデの仲までをも近親相姦的に
描く人もいるという。日本人についていけないと感じさせるのは
こんなところかも知れないが、しかし、実はこういう演出は
20世紀以降にこの曲を伝えるための、カムフラージュなのでは
ないか、という気もする。
このオペラの製作の背景には、もっと禍々しいテーマがあった
のではないかとのカンぐりが以前から私にはあるのである。
それは、純血主義へのあこがれと、血の乱れによる民族の滅亡への
予感と恐怖である。

ウォータンが近親相姦である息子と娘の婚姻をあれほど願うのは
自分の血(DNA)の確保のためである。
自分の娘と孫の結婚を認めるのもそれである。
何故そんなことをするかというと、自分とフリッカの結婚は
入り婿に等しい政略婚であり、かつ、フリッカとの間に子供はない。
正式な神の王の座の跡継ぎはフリッカの血筋のものに与えられる
ことになるだろう。ここで自分の血は絶えてしまうのである。

だからこそ、ウォータンは自分の血を残すことに固執した。
しかし、その血を残すために、ウォータンは、神とでなく、
人間との血の混淆を行わねばならなかった。
神と異り欠陥のある人間との血の混淆は、さまざまな食い違い
すれ違いを生み、結局、この世界に大いなる黄昏が訪れる。
19世紀末に生きたワグナーの深層心理には、このような
終末思想感が深くただよっていたことだろう。
ワグナーの終末思想は諦念を基底にした世紀末的ロマンチシズム
だが、やがてその思想は、自らを神と合一させたヒトラーにより、
民族の浄化と劣化した血の撲滅という幻想に突き進んでいくことになる。

現代のワグナー劇において、このような血の問題を
取り上げることが少ないのは、やはりワグネリアンたちにとり、
ワグナー=反ユダヤ主義者という連想を観客や世間に与えることが
好ましくない、という本能によるものなのではなかろうか。

終演後何度もカーテンコールが繰り返されたが、
完全にカーテンが下りると、今度は二階席への拍手が巻き起こった。
何かと思ったら、美智子皇后陛下がご臨席になっておられたのだった。
台覧の舞台を観たのは初めての経験である。
観ながら“女系における血の問題”などと考えていたら、
まさにその問題の本家のような方がお見えになっていたのは
西手新九郎なるかな。

出て、銀座線で赤坂見附、丸ノ内線に乗り換えて四谷三丁目。
丸正で買い物して、タクシーで帰宅。
運転手さんがかなりのインテリで、出版業界の現状など、
いろんな話をする。
帰宅して、メールやりとり。
朝日新聞の本は希望のもの上から二冊がとれたのでまずまず。
夜食、鯨肉のミニステーキ、マカロニサラダ。
DVDなど見ていたら就寝が3時になってしまった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa