裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

22日

金曜日

ブラス思考

絶対に金管楽器奏者になれるさ!

※角川クロスメディア取材

夢で日本橋の三越に迷い込む。
もちろん私の見る夢なので今の三越ではなく、どこにもない
昭和のデパートである。
迷っていろいろ歩き回っているうちに、帽子を無くしてしまったことに
気がつく。
困ったな、と思って一階の出口付近に行くと、遺失物コーナーがあって
そこに嬉しや、無くした帽子が置いてある。
係の女性にその帽子、私のなんですがというとその女性、
「あら、存じ上げています。うちで講演していただきましたよね」
という。以前やった三越カルチャースクールのことらしい。
住所を訊かれたので新中野のところ番地を教え、受け取って帰ろうとすると
「その住所を証明できるものをお持ちでしょうか」
と言われる。さて、名刺をと思ったがこれは渋谷の仕事場の住所である。
葉書がかばんの中に、と思って探すが、渋谷に来たものばかりである。
何か中野に来た伝票とか書きつけがないか、と必死になって財布の
中やかばんの中をひっかき回すが、どうしても見つからない。
次第にあせり、必死の形相になってくる。
やがてやってきた遺失物係の女性の同僚が
「今日は預からせてもらって、明日にでもまた証明になるものを
持ってきてもらえば」
などと言うので、思わず
「だまってろ、ばかやろう」
と罵ってしまう。

……そこでベッドの上で寝返りを打って半覚半醒になったところで
「そうだ、財布のカード入れのところに健康保険証が入っていて
それに中野の住所が書いてある」
と思いつき、目が完全に醒める前に大急ぎでもう一度夢の中に戻り、
係の子たちに提示してことなきを得る。そんな感じで、朝9時まで。

9時15分、母の室で朝食。
ニンジンとタマネギのスープ、
タンジールオレンジ、バナナ。

ありがたいのは便通が毎朝快適なこと。
食事やセックスの快楽はみな書くが、便通がいいときの
快感というのも、おさおさ劣るものではない。
まして歳をとっての一番の問題はこっちなのだから、
これが快適ということは本当に健康に感謝しないと
いけないと思う。

ダン池田氏死去の報。
私の記憶にある最も古いビッグバンドのバンマスは
スマイリー小原(チャーリー石黒はちょっと古過ぎて記憶にない)、
次がこのダン池田。
歌謡番組のオープニングは、緊張の中、バンマスが大きく腕を振って
ビッグバンドの演奏がババババーン、と響き渡る、というのが
昭和のテレビの“決まりごと”だった。
音楽業界の人が追悼で日記を書いていたが、
それによるとビッグバンドというのはストリングスがなく
その部分をホーンセクションが受け持つ。
従って演奏的にはかなりうるさく、荒っぽい。
しかし昔の歌謡曲は歌詞が印象的でメロディーが簡潔で、
しかもお茶の間向けだったからそれでもちゃんと聞けた、と。
歌謡曲に音楽志向が強くなっていってから、
ビッグバンドは少なくなっていったそうだ。
これを逆に言うと、今の歌謡曲はよくある歌詞と複雑なメロディーで
一般大衆を置き去りにして特定のファンだけに伝えるものに
なっている、ということか。

『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』で芸能界の裏側を暴露したことで
芸能界の一線からホされたわけだが、あれは私が読んだ限りでは
暴露というよりは憤りの本だった。都はるみ、水前寺清子くらい
までの歌手は、リハーサル時に必ずコピーした譜面を自分でバンドの
全員に手渡し、よろしくお願いしますと頭を下げたという。
それがアイドル時代になって、急に歌手たちが傲慢になっていった
(田原俊彦や岡田有希子の態度の悪さをクソミソにこき下ろしていた)。
そういう“時代の劣化”に、黙っていることが出来なくなって
その憤懣が一度に噴出した、という感じの本だった。

今日のスケジュール、いきなり3時から角川クロスメディアで
インタビューというのが告げられて驚く。
こっちから行くとは思わなかった。
写真撮影もあるとのことで、あわてて服を選び直したり。

家を出て、中野までバス。
中野から総武線、東中野で降りて大盛軒で焼肉麺。
ここの主人は私が25年前通っていた時の人と同じなのだろうか。
年齢がちょっと不詳ぽい。
焼肉麺というのはホイコーローと半ラーメンの組み合わせ。
この前行ったときは、ああこういうのは若い時代の食い物で
今食べるもんじゃないな、とか思ったのだが、
今日は久しぶりのせいか大変に美味く、何か昔にもどった
みたいだった。

もう一回総武線に乗り直して飯田橋。
富士見町を歩いて角川書店ビル。
なんかホテルみたいな建物でびっくりした。
私は基本的に編集部に足を運ばない物書きなので
(たぶん、今の第一線の物書きのうち、一番出版社の場所とかに
疎い人間なのではあるまいか)驚きのあまりそこに入ろうとしたら
目指す角川クロスメディアはその向い側のビルだった。
これまた内部が凄え豪華。

会議室でしばらくインタビュー仕事。
編集者二人(最後には三人)とライターさんが一人、
カメラマンさん一人がつく豪勢なインタビュー。
ただし、用意されていた映像(YouTube映像紹介の
インタビュー)がちょっとショボく、かつ、DVDに落とす
段階でミスがあったらしく、しかもリストにある映像が全部
入っていないという状態で、ロクな話も出来ず。
「YouTubeに直接つないで私の方で検索しましょう」
と申し出たが、会議室はネット環境でないのでそれも出来ず。
結局、私の方でリストを作成しなおすことにする。

角川書店を出て、飯田橋近辺を少しブラつき(飯田橋は仕事場
を今の渋谷に決める前の第二候補くらいだった。つまり、ここらの店が
私の行きつけになっていた可能性もあるということである)、
新宿まで。車中読書がスティーブンソンの『宝島』(新潮文庫)。
今更なにを、という感じの本だが、こないだビデオで『宝島』を
見て、そう言えば児童書の翻案以外、この原作を読んだことが
なかった、と気がついて、さっそく古書店で一冊100円のを
見つけて買って読んでいる。改めて、その面白さに大感心。
それ以降の冒険ものの原点だけあって、構成が見事だし、
登場人物たちの配置、登場シーンの描写のまあ印象づけのうまいこと。
都筑道夫が確かどっかの児童書の解説で、この作品を物語作りの
教科書、と書いていた。
そして、翻訳の佐々木直次郎の文体の古風さ(まあ、戦前に亡くなって
いる人なので古いのは当然だが)と、丁寧な訳注が実に嬉しい。
昔はこの訳注ばかりを書き写したノートを作っていたほどだ。
あれ、復活させようかな。

渋谷の事務所に帰ったら、ちょうどバーバラがセクシー寄席を
見に出かけるところであった。郵便物を整理していたら
電話がなって、知人の某編集者から。
なんと! と驚く内容。
で、それに関し頼みごとをされたが、さてどうするか、いい話では
あるがちょっと頭をひねらないといけない。
『ピンポン!』から出演依頼あり。
スパモニが終わるのを狙っていたか。

もう一仕事して、と思ったが、時間を見たらもう6時になっていた。
外出はそれだけで半日をつぶすな。
急いでバスに乗り込んで(ドンピシャに来た)新中野。
少し今日の飲み料を仕込もうと酒屋で買い物して出たところで、
オノと談笑夫妻に合流した。

佳声先生から、長野公演成功のお礼で送られた牛肉を食べようという
会である。マドが遅れてくるというので、待つ間にフィッシュ春巻
だの牡蛎と小松菜炒めだのという前菜食べつつ、いろいろ話。
母は自分のスープがリクトのお気に召したようで非常に喜んでいた。
マド、知りあいの葬式から駆けつけてきて、さて、とお待ちかねの肉。
焼肉風にタレをつけて食すのと、バタ焼きでポン酢と大根おろしで
食すのと。サシの入った柔らかな肉で、みんな食うわ食うわ。
大皿山盛りの肉があっという間に無くなり、追加で自室から
持ってきたイノシシ肉まで焼いて食った。
バレンタインのチョコレートもいただき、当然コレも酒のサカナに
して飲む。

話題は落語家仲間のこと、テレビのこと、ソルボンヌK子のエピソード
(やはりこれが一番ウケる。某編集者に吐き捨てた一言の話に
談笑が身体を二つに折って笑っていた)などなど。
話題つきず、ふと気がつくと、もう12時を過ぎていた。
私も酒が進んで、ちょっとベロ。最近では珍しい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa