裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

日曜日

短気の歌

「ああー、もうイラつく、この調べじゃないっての!」

※トンデモ落語会

朝6時目覚め、寝床の中で、きのう仕事場の棚から出てきた、
NIFTY-SERVE時代(95年)の会議室のログのプリントアウトを読む。
たぶんFMISTYの中だろうと思うが、『あやしげな会議室』
というところで、噂や都市伝説、伝承などを持ち寄ろうという
コンセプト。

ニフの頃の、書き込み者の馬鹿丁寧な挨拶や、持って回った
言い回しが懐かしくもあり、今のネット書き込みに慣れていると
ちょっとイライラしたり、という感覚もあり。これは、電網上で見知らぬ
人と会話することに、この時代の人間が多く及び腰であった
ことが原因だろう。これから12年、ネット上の文章は洗練されたとは
お世辞にも言えないが、少なくとも、ネットで不特定多数と
つながる、ということが日常になり、みんな、ネットに不必要な
緊張ナシに臨むことが出来るようになったということだろう。
その分、傍若無人な輩も増えたが。
なお、ネタはいずれもどこかで聞いたり読んだりしたようなもの
ばかり。

8時半起床、入浴。
9時朝食、母に東急ハンズで買った窓拭き用の道具を貸す。
なかなかのスグレモノである。
イチゴ数粒、リンゴ3切。
ホワイトアスパラのスープ。

体に思った以上の疲れがたまっている感じ。
本当は今日の午前中は事務所に行って大掃除という予定であったが、
急遽それは正月休みに回すことにして、明日の体力を温存。
正月中の寝酒のアテの豚モツ茹でなどを作る。
バラエティ・ミート通販の店をネットで見つけて、面白がって買った
豚タン・レバ・ミノ・コメカミ等を冷凍庫から取り出し、
茹でこぼしてアクを取り、ショウガ・ネギ・唐辛子・ホールペッパー・
八角・ベイリーフ等、あるだけの香味料と一緒に3時間ほど茹でる。
これを包丁でトントンと細かく切って、自家製ネギ味噌などをなすって
むさぼり食うのである。
無心にアクを掬っているうちにハッピーな気分になる。

買い物、近くにある酒の安売り店で、正月用の飲み料である
日本酒、紹興酒、ズブロッカ、焼酎などずらり買い込む。
全部飲み切るわけではないが、酒飲みというのは酒が豊富にあれば
あるだけ幸せになるのである。“めくらの小せん”として有名な
初代柳家小せん(明16〜大8)は、臨終の見舞客にも酒を持って
こさせたという。気持ちはよくわかる。

2時、家を出て、丸ノ内線で新宿、山手線にて恵比寿。
恵比寿ガーデンプレイスにて、コミケのために上京した金成由美さんの
歓迎食事会。幹事IPPANさんのお気に入りのガーデンプレイス
『味の小路』のとんかつ屋『武蔵』にて、私、しら〜、IPPANさん。
おみやげのいつもの梅干をいただく。
串カツつまみつつ、体を考えてノンアルコールにしようと思ったが
エビフライなど見ると、つい、と生をイッパイのみ。
元・裏モノ会議室常連の金成さん(この人の書き込みはニフ時代から
完成されていて凄かったなあ)らしく、某一家問題になみなみ
ならぬ感心を持っていたので、落語業界におけるあの一家の位置
などをレクチャー。金成さん、
「これで東京に出てきた甲斐が」
とヨロコんでいた。

4時ころ出て、山手線で秋葉原まで行き、つくばエクスプレスに
初乗りして浅草まで。恒例のトンデモ落語会。
浅草についたとたんに焼肉の匂いが駅構内に充満。
大江戸線の築地市場の魚の匂いもそうだが、要するに最近の
駅は地下深くに作ってあるから、客が体にまとって持って入る空気が
逃げ場なく滞留しているのであろう。

東洋館で『円丈・喬太郎の会』などをやっているのを尻目に
木馬亭に到着、驚いたことにすでに満席状態。補助椅子になる。
それどころか、あとからあとから入ってきて、ついに高座に
客を上げる。130人定席のこの劇場に、200人は入っている。
楽屋で白鳥、談之助夫妻(息子にも)挨拶。
談之助、“明日のコミケ準備で大変なのに、やれば満員になる
からって味をしめちゃってブラックさんがどうしてもやりたがる”
とボヤいていたが、これだけ入れば私だってやりたがる。

ゲッベルスの法則で、人は詰め込まれた状態では興奮し、
簡単にラポールがかけられてしまう。今回もサラの快楽亭から
鯉朝、談笑、白鳥、談之助と全員バカ受け。
逆に後半は笑い過ぎて客がくたびれて少し笑いがウスくなった
ほどだった。ことに鯉朝の、某師匠ホモネタの『干物箱』は
客席でQPさんがのけぞって笑っていたのがよく見えたほど。
談笑も白鳥も、某師匠の急速な老けとボケをネタにしていたが
これは聞いて私がひっくり返った。
他人事じゃない、二十年後には私もそうなる。
トリの談之助の某師匠一家ネタは金成さんの上京をなお、充実
させたことであろう。
壇上で三本締め。

藤倉珊さんが持ってきた『社会派くん』にサイン、さらに
「まさかこんな偶然があるとは」
と驚いているファンに『新・UFO入門』にサインせがまれる。
私がこの会に来るとはまったく知らずに、来る前に書店で買って
読みながら来たのだそうである。

打ち上げは快楽亭の最近のお気に入りだという浅草の
感動ホルモン。30人で予約していたというが、50人以上の
参加人数となるので、席の確保が一大事。
なんとか詰めて全員座って、さて乾杯。
睦月さんとしら〜、そのマイミクさんの席について、
久しぶりに睦月さんといろいろ話。
睦月さんはマントにステッキという怪人スタイル。
2007年は25冊出した、という睦月さんの話に仰天。

その他、いろいろ席移ってダベり、飲み、笑い。
鯉朝さんとクズ映画の話、談笑とは“落語ブームと世間では
言われているが、このブームは外の業界で作り出されたもので
あって落語界はまったく対応できていない”という話。
「どうすればいいんでしょうね」
と談笑言うので、
「司馬遼太郎曰く、“革命には三つの段階があり、第一期は思想家、
第二期は革命家、第三期は技術家を必要とする”なんだけど、
今の落語界は談笑さんみたいな革命家が先に出てしまって、理論武装
に必要な思想をアジる思想家がいないんだ。今からでも誰か仕立て
あげないと」
と言うと、後ろで飲んでいた談之助をつかまえて
「この人、この人!」
という。来年は思想家を一人プロデュースかな。

感動ホルモン、安くてなかなかの味。特にマルチョウ(脂肪のついた
小腸)のうまさは、睦月さんのマイミクさんと何度もおかわりを
したほど。あとは黒ホッピーを際限もなく。
NHKエンタープライズのAさんに、某件でちょっと話。
先日の特撮マニアックトークは本当に評判よく、あちこちで
絶賛された由、聞いて恐縮するが気分悪くはない。
裏話でエーッというような噂も。

10時ころ、明日も早いからとお開き。
談之助さんとちょっと軽く、と、しら〜と三人で雷門通りまで
出て、すでにどこも店じまいの状況なので、中華そばの
店に入って、揚げギョウザ、枝豆などでビール。
大晦日、わが家に談之助一家も来たいというので、母に電話して
連絡しておく。さて明日、というので麺も食わずに出て、
タクシー相乗りで帰宅、ちょうど12時。

で、明日の準備などをして、ふと予定を調べようと思い、
携帯を出そうとしたがポケットにない。かなり焼酎をやっていたから
どこかで酔って忘れてきてしまったらしい。
この年末の大失態に、頭がカーッとなる。まだ大掃除で起きている
母の部屋で、感動ホルモンに電話するが、すでに店は閉まって
いるようで、出ない。脳をうんと働かせて、最後に電話したのが
ラーメン屋から(母のところ)だった、と思い出した。
忘れたのならあそこしかない、と、思うが、しかしかなり酔って、
しかもそこで支払ってくれたのが談之助なので、レシートも
持っておらず、飛び込みで入った店なので店名や電話も確かめよう
もない。

普段なら諦めるしかないところだが、人間、脳漿を絞れば何かしら
アイデアが出てくるもの。うーんと記憶をたぐって、店に入る前に、
看板に“支那麺”と書いてあったのを見て、談之助とちょっと
放送禁止的な会話を交わしたのを思い出した。
これはキーワード足り得る。急いでネットで“浅草 支那麺”で
検索すると、ラーメン『錦』という店が、電話番号ばかりか、
個人のラーメン食い歩き日記で入り口あたりの写真も見つかり、
ああ、ここ、ここ! と飛び上がって、また母の室に飛び込んで
電話し、忘れ物がなかったかと確認すると、
「ありますよ。店は五時までやってます」
というラッキー(例えあってももう店を閉めるとこ、というような
店ではなすすべもなし)さ。

急いでタクシー飛ばして、晦日の深夜の浅草を走り、
『錦』に飛び込んで携帯が自分のものだと確認できたときの
安堵感はちょっとないものだった。
そこからトンボで自宅に戻る。
タクシー代かなりかかったが、携帯のない年末年始を過ごすことを
思えば微々たるもの。
しかし、私という男はポカから窮地に陥るが紆余曲折、
善後策に走り回って結句、致命傷は負わずにすむ、という経験の
いかに多いことか。
そういう意味で年末にふさわしい厄落とし事件であったような
気がする。就寝は3時。3時間眠れるか、どうか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa