5日
水曜日
ブードゥー一直線
呪術の道に命をかけた、男の意地が火と燃える。
※『ピンポン!』出演 どどいつ文庫さん
朝8時半起床、入浴して9時朝食。
リンゴ、甲斐路葡萄、青豆のスープ。
服の選定、ギリギリで変更して大慌て。
9時半、オノと一緒に迎えのハイヤーでTBS。
もはや案内もなく控室入り。
お花のお礼を述べる。
今日の特集はヒートショックで、宮崎さんが医薬品のCMに
出演している関係上、健康関係のことがやれない(契約にそう
いう一条があるそうである。悪い結果が出て“クスリのんで
いるのに”とか言われることを恐れるのだろう)ので、
私一人になる。
話がはずみやすいような解答にする。ヤラセではないが、
実際のところを少しずつ強調。ひどい結果が出てしかめつら、
という顔も写真に撮る。スタッフが、宮崎さんNGで青くなって
いたところなので、如実にホッとしていた。
昨日、石原伸司さんから電話があってしばらく話したのだが、
彼はプロデューサーから、バラエティのような番組などに出て
コメディアンまがいのことはしちゃいけません、キャラクターに
傷がつきます、と言われたのをいまだ守っているということである。
エライなあと思う。私は、テレビの仕事は所詮余技という
考えなので、頼まれればホイホイとなんでもやってしまう。
反省はするのだが、現場で“自分が折れれば”スムーズに
行くという場面があった場合、つい“いいですよ”になる。
次からはもう少し我を張ろう、と思いながら、ずっと来てしまって
いるんである。
その健康診断のコーナー、ゲストの木下先生のハキハキした
解説もあって好評。私の不健康キャラも際立った。
あとでディレクターから平身低頭の体でお礼を言われる。
確かに身を投げ打ってウケをとったという状況かもしれぬ。
オノ曰く、モニターを見ながら福澤さんのマネージャーが
私のキャラクターとコメントにやたら感心してくれていたそうだ。
そういう話を聞くと、じゃあまたサービスして、と思ってしまう。
小市民なことである。
ハイヤーで渋谷。
公演通りで降ろしてもらい遅い昼飯を、と、チャーリーハウスに
入った。すると、壁に張紙が。
「昭和五十年から三十二年にわたり多くのお客様に支えられて営業して
参りましたが都合により十二月末日で閉店させていただくことになりました。
皆様の長年のご愛顧に心より御礼申上げます」
今年は何たる魔の年か、トツゲキラーメンに続きチャーリートンミンまでが
幻の味になってしまうとは。
思えばチャーリーハウスの名を初めて知ったのは1981年。伊丹十三の
編集する雑誌『モノンクル』の記事で、渋谷ホームズに編集室を置いた
伊丹氏が、そこを訪れた南伸坊氏に
「チャーリートンミンはめちゃくちゃに美味い!
あなたも一回、ココロミてみなさい」
と勧めた、という一文であった。
それ以来私は頭の中に、渋谷のあるチャーリートンミンなる幻の食べ物の
味を思い浮かべて過ごしてきた。
実際にそれを口にする機会を得たのはそれから7年後の1988年。
渋谷区の住人になった私は、税金の申告に渋谷税務署に赴き、その帰りに
入った店が(出てから気がついた)、他でもないそのチャーリーハウスで
あったことに感動を覚えた。伊丹氏の舌はさすがに確かで、その
チャーリートンミンの味は、いかにも渋谷という洗練と、香港の大衆性を
合わせ持った希有な味だった。
それから数年して、今度はそのチャーリーハウスに歩いて3分という
場所に住まいすることになり、頻繁に通うようになった。
いつの間にか顔を覚えられ、女将さんに
「テレビ見ましたよ」
などと声をかけられるようになった。
「ハッパン、リャンコ」
などというこの店独特の調理場への指示も耳慣れて、渋谷での私のランチの
定番となった。
私のお気に入りは月曜日の定食の牛肉旨煮かけご飯で、真っ黒な旨煮が
どろりとかかった飯の上に、生卵が落とされ、さらにグリーンピースが
ちらされたそれは、大げさに言えば、食べている最中はあまりにうまくて、周囲の物音が
聞こえなくなるほどだった。
残念なのは、例の狂牛病騒動以来、チャーリーハウスがその定食を鶏肉の
メニューに変えてしまったことである。
カウンターのところに見事に蒸し上げられてかかっている鶏も食欲を
そそり、この肉とキュウリを和えた一品で紹興酒をやるのは、閉店時間
が早い(夜8時まで)なのでなかなか機会がなかったが、これもまた、
渋谷に住む者の特権と言っていいぜいたくだった。伊丹氏の真似をして
「一回ココロミて見なさい」
と、何人の人に勧めたか。
“東京に住む”ということは、私にとって“チャーリーハウスに通う”
ということだった一時期が確かにある。ジァンジァンなく、新楽飯店なく、
東急プラネタリウムなく、細雪なく、大盛堂書店なく、いままたチャーリーハウスまで
なくなる渋谷は、私にとり、もうほとんど住んでいる価値のない街に
なってしまった……。
事務所で連絡事項いくつか。
こないだコメント原稿書いた『東京人』から、そのコメントの
中で触れた神保町『ボンデイ』が、お礼にと招待券を託されましたと
送ってきた。確かに自分はボンデイ派、と書いたが、その一行のみで
ある。これで招待券をいただいては申し訳なし。
どどいつ文庫さん来、彼との著作も早く話を実現させないとなあ。
原稿仕事にかかるが、不捗。
背中(肩甲骨と肩甲骨の間)が痛む。
ハードスケジュールのせいか。
切り上げてタントンマッサージに行く。
なんでも私の日記を読んで、坂本頼光くんが、NHKの仕事の
帰りか、この店に寄ってくれたそうである。
お礼を言われてしまった。
施療終わって、バスに乗ろうとしたが寸前で逃す。
じゃ、と駅前まで歩いて、始発から乗る。
途中で夕飯の用意でも、と東武の地下の食品売り場に
行くが、前の改装から、さらにいっそう使いにくくなっていて、
鮮魚売り場にしろ野菜売り場にしろ、まるで実用的でない
高級品店になっている。
渋谷は本当に、日常のある街ではなくなってしまったのだな、
という感じ。
事務所の引っ越しをそろそろ具体的に考えなくては。
駅前からバスに乗って帰宅。夜食はこないだ荻窪のスリーエイト
で買った鶏肉の冷凍を戻して鉄板焼き。
それから鱈の和風シチュー。パンをひたして食べる。
YouTubeで、ブルーザー・ブロディの映像をずっと
見ているうち、1時過ぎになってしまった。