24日
月曜日
限りなく孔明に近いブルー
「蜀の行く末を考えると、わしはブルーじゃ」
※企画原稿(途中) 十二月大歌舞伎
朝5時ころ起き出して、大掃除で玄関に段ボールを置いて、
そこからあふれ出して床に山を成していた書籍を、
紙袋に小分けし、一回ごとに事務所へ持ち帰ることが出来る
ようにして(十袋以上になったが)奇麗にする。
それでくたびれてまた眠って、
9時15分近くまで寝る。
母からの携帯で起こされたが、眠いので半までまた寝て、
そのまま朝食の席へ。
朝刊が半分の厚さになる。
年末なるかな。
これまでは主に(談笑が出るということもあって)8チャンの
特ダネ! を見ていたが、いろいろあって10チャンの
スパモニを見、なるほどこういう番組か、といろいろ考慮。
足腰がちょいと痛む。昨日の大掃除のせいであろう。
トシだなあ、とは思わない。若い頃からこの程度の体力なのである。
『デスノート』をパクったという作品がネットで話題に。
あれ、『デスノート』自体、水木しげるの『不思議な手帖』との
類似を指摘されてなかったっけ、と思ったが、よく関連記事を
読んでみたらカット(構図)の酷似だったわけか。
某知り合いからメール。
別件だったが、それにからめて報告があった。
彼は東大出で、彼の話題を知人間でするたびに、みんな
“アタマいい人なんだよね”とまず言ってから本題に入るような
人物であるが、なんと、こないだシャレでMENSAの入会テストを
受けたら受かってしまったということである。
MENSAとは高知能人間で作っているグループで、
JAPAN MENSAのサイトには
「全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主で有れば、
誰でも入れるグループです」
とイヤミなことが書いてある。
日本を支配しているのはこのMENSAたちである、というような
陰謀論説もあるほどのところである。
で、受かったのでその関東支部例会に出てみたら、
かなり寂れている印象だったとか。
彼曰く“アタマのよさは日本社会では何のプラスにもならないんだ
なあ”と。
昼は弁当、焼きタラコに卵焼き。ノリカツブシ飯。
企画原稿、遅れに遅れているのをバリバリ書く。
書き出してみればやはりノる。
ある意味、この企画に世間がいま、乗ってきてくれているわけ
なので、ちょっと頑張ろう。
とはいえ、今日は4時から母と歌舞伎見物である。
3時に一旦中断させ、母と共に家を出る。
地下鉄で銀座まで、そこから日比谷線に乗り換えて東銀座。
十二月大歌舞伎。今回のチケット手配をしてくれた(売りつけた
とも言う)快楽亭に挨拶。歌舞伎座の建替え問題はどうなりました、と
訊いたら、先代社長が亡くなったおかげで資金のめどが立たず、
無期延期になったようです、とのこと。
いささかホッとす。新橋演舞場にしろ国立劇場にしろ、
外人を連れてきて喜ぶ建物ではない。やはりこの外観でないと、
と言うと快楽亭、
「田舎の人もみんな感動しますヨ、“東京の銭湯はこげに
デカいかノ”って」
と。確かに、考えてみれば和洋折衷のかなりキッチュな建物。
路上なかかの混雑、そりゃ勘三郎玉三郎橋之助三津五郎福助海老蔵
という凄い顔ぶれならまあ、当然のことか。
快楽亭からチケットを買ったのは、母へのクリスマスプレゼントの
意味合もあるが、この顔ぶれでのチケット(しかもかなり正面のいい席)
がイチゴーという、その値段に驚いたためもある。
今回、獅童の弟子の蝶紫という役者が名題になって、その祝いで
役者扱いのチケットが快楽亭のカオで手に入ったのである。
ところが、その役者扱いのテーブルが実に小さく、目立たない。
あるスジから聞くところによると、蝶紫は家柄としては大したこと
のない獅童の弟子のため、玉三郎海老蔵という大看板との序列の
関係で、大きく名前を出すことが出来ないそうであるが、ここらへんが
歌舞伎の旧弊なところで、わざわざチケット買って来た客の便宜を
考えれば、名前の札くらいは受付に出してくれてもいいだろうと思うし、
モギリの担当のメガネっ娘のねーちゃんが気がきかないというか
プロのくせに知識がないというか、中村蝶紫と名前を言っても
知らなかった。おいおい、と思う。担当の女性(獅童の事務所の子か)
が、ちゃんとこちらの名前を把握してくれていて、事無きを得る。
席についたら、母の隣に川上史津子ちゃんが来た。
母に彼女をどう紹介していいか悩む。エロ短歌の、とも言えないし。
こないだの東洋館での話になる。
快楽亭曰く、坂本頼光くんが、私の落語を聞いて発奮して、自分も
やりたい、と言い出したとか。
本日の演目は『菅原伝授手習鑑』、舞曲『粟餅』、そして有吉佐和子
の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の三本。
『菅原伝授……』はだれがどうみても江戸時代の服装や風俗で
菅原道真と藤原時平との争いという平安時代の話であるとするあたり
にバリバリの無理があるところがいかにも歌舞伎。
武部源蔵役であるが、まだ海老蔵には早過ぎないかと思う。
顔はいいが、如何せん勘三郎、福助と比べると貫目が足りぬ。
とはいえ、出たとたんに“いずれを見ても山家育ち”と定番セリフを言い、
菅秀才の首を差し出さねばならぬ悩みを言って
「せまじきものは宮仕え」
と言ったあたりで、歌舞伎の醍醐味は味わえたが。
勘三郎の松王丸はさすがで、福助の千代と共に観客の涙を
誘っていた(母もハンカチで泪をぬぐい、史津子ちゃんは号泣して
いた)が、やはりクサい。“うまいだろう”とまでは言わぬが
“自分はうまい”が前に出過ぎる芝居である。
落語に『菅原息子』という噺があり、オチは松王丸のセリフの
もじりで、息子と親父が相撲をとって、息子が勝ったのを
「女房喜べ、せがれが親父に勝ったわやい」
というのであるが、これはこの『菅原伝授……』の松王丸の
「女房喜べ、せがれがお役に立ったわやい」
が観客の常識として浸透していないと通じないシャレである。
当然のことながら、この噺、現在ではほとんど高座にかけられない
ネタになってしまっている。
十五分の休息中に、母と3階のカレーライスカウンターに行く。
おじさんが一人で大忙し。しかしながら、ここの雰囲気も
おじさんのベストに蝶ネクタイの服装もクラシカルでよし。
カレーの味がまた寝惚けたようなクラシカルで、母が
「実はこういうカレー、案外好きよ」
と喜んでいた。
休息時間あけが三津五郎と橋之助の舞踊『粟餅』、踊りはさすがに
大したものだが、餅の曲搗き、曲投げなどの芸が見られると
思っていたらそれはナシ。
顔は橋之助の方がいいが、三津五郎の腰の下がり具合に感心。
母は史津子ちゃんにいろいろ歌舞伎のことを教えていた。
それからいよいよ『ふるあめりかに袖はぬらさじ』。
ダーリン先生がこの芝居の玉三郎を絶賛していた。
ダーリン先生らしく、“笑いの間”に注目していた。
喜劇の人に笑いで褒められるんだから大したものなんだろうと
思って期待して観ていたが、いや、それ以上。
凄いとか上手いとかいう段でなし。
“存在感”が違うのである。
勘三郎のような芸達者、獅童のような人気者との共演だが、
見終わった後、印象としては玉三郎しか残らない。
独り芝居かと思えるほど、その存在感が凄い。
前半1/3で姿を消す七之助の亀遊が、逆にそのはかなさで
なんとか拮抗している、というくらいであった(七之助、
素顔はどうにもやせぎすで不幸顔で気に入らないのだが、
いや化粧すると美人のなんの)。
帰りに多くの客たちが話していたが、タイトルが『ふるあめりかに』
なのに、亀遊でなく、言わば傍観者であるお園を主人公にした
作者のドラマの視点作り方の上手さ。泣ける芝居を泣かせる演出でなく
笑わせながら進行させていく手際の見事さ。
泣かせて笑わせる芝居で、たとえばセレソンDXが人気を博しているが
まだまだ深さが違う、と思わせた。
玉三郎演じるお園は海に千年山に千年の年増芸者で、意地はあるが
そこは浮世の流れに身をまかせないと食べてはいけないという
“生きて行く知恵”も身につけている。だから逆に、世間に迎合
することなく、自分の愛に殉じて死んで行った薄幸の女郎への
憧れがあり、またその女郎をネタにして(攘夷女郎として
有名になってしまった彼女の一代記を語って商売にしている)
いる自分への罪悪感もあり、といった複雑な心理を、
はっきり言って玉三郎はそうは深く表現していない。
それは原作にあるストーリィで十分伝わる、と割り切って、
ひたすら、客を楽しませるプロとしてのお園のしたたかさを見せる。
そこでこの役に凄みが出た、と思う。
それにしても、私の母や伯母など、玉三郎がまだ七之助くらいの頃、
“あれは背が高すぎて女形としては色気が出せない”と言っていた
もんであるが、今日びは獅童も七之助もデカいデカい、玉三郎が
目立たない(彼らの障子戸からの出入りのたびに、頭がぶっつから
ないかと気が気でなかった)。歌舞伎役者も変わったもんである。
してみると、その獅童よりデカい彌十郎のアメリカ人イリウスは
適役である。彼らより頭ひとつデカくなくちゃいけないのだ。
とにかく感服の芝居であったが、ただし、幕間が長くてダレがくる。
ここらは宝塚や新感線などの、スピーディな場面転換法をもう少し
考えて取り入れるべきなのではないか。
あと、偶然だがこの間見た、『最後の誘惑』とのテーマの相似にも
思いを馳せる。
「何が真実かは問題じゃない。大衆が何を求めるか、が大事なのだ」
は、マスコミにかかわるもの全てが考えなくてはならないテーマ
だろう。そう言えば、アベサダ事件があったとき、彼女が石田吉蔵を
殺した待合『満佐喜』はその部屋に二人の写真を飾り、宿泊時に
来ていた浴衣やドテラ、読んでいた雑誌などを展示して金をとって
見学させたというし、定が逮捕された旅館『品川館』の主人がまさに
お園のように、見物客にそのときの様子を語って再現して大儲けした
そうである。事件当時4つだった有吉佐和子の脳裏に、この作品を
書くとき、そのことが思い浮かばなかったか?
終わって、快楽亭と飯でも、と思っていたのだが史津子ちゃんと
デートらしく、さっさと帰っていった。私と母とで、ビックリ寿司
に入ってちょいと酒。鯛、コハダ、ウニ、イカなどつまみ、
日本酒ロックで。母曰く
「ところで、今日のチケット手配してくれた蝶紫さんって
どこに出ていたの?」
と。私もわからなかった。どうも岩亀楼の女郎の一人らしい。
疲れもあり、タクシーおごって帰る。いいものをたっぷり見せて
くれるのはいいが、現代の社会のテンポにハマるためには、
もう少し上演時間を縮める必要がありゃせぬか。
早い話、今回は『ふるあめりかに』一本でいい。
帰宅、明日、談志家元にインタビューする編集者Tくんから、
何をおみやげに持って行ったらいいか、の質問。すぐ談之助に
電話してレクチャー受ける。甘いものは基本的に(神田精養軒の
マドレーヌ以外)ダメ、肉か酒(高級酒)がいいのでは、と。
朝日新聞のこのあいだの“年末の三冊”に反響メール。
返事など書きながらホワイトアスパラガスの缶詰開けて、
ホッピー一杯飲んで寝る。