28日
金曜日
恐怖の百合子
「ゆっくりと揺れながら、小池百合子の顔が次第に近づいてくる……」
(エドガー・アラン・ポー作)
※打ち合せ2件
朝、というかまだ夜中の3時半、目を覚ます。
ワインの酔いで二日酔い甚だし。
そのままベッドの上で悶々とする。
4時過ぎ、やや楽になって、寝ながら週刊誌など読む。
“表舞台から消えた人々”なんて記事を読むと、
芸能人にならないでよかった、と思わざるを得ず。
6時半、風呂を入れて入浴。
日記つけなどネット作業。
肩凝りは昨日のマッサージでだいぶ軽減したが、
気圧の低迷と連日の緊張(打ち合せ連続による)で
背中が痛み出している。
8時くらいにもう一回寝る。
9時15分、電話で起こされ、朝食。
リンゴ三切、ラフランス(洋梨)4切。
麻黄附子細辛湯、いつもは一回二服(もともと老人用のクスリなので
私のような年代だと一回に数服分を服用)なのを三服にする。
今日を乗り切れば、とりあえず仕事分野では責務を全うできる。
10時半、家を出て地下鉄で赤坂見附まで。
そこから複雑な坂道を歩いて(坂の文字がつくだけあって、
赤坂というあたりの地形は上下左右に複雑極まる)A社へ。
訪問時間をこちらからH氏に指示して、返答メールがなかったので
大丈夫かと思ったが、準備していれくれた。
O社長、“風邪ひいちゃって”としわがれ声で出てくるが、
機嫌は大変によく、私の企画を読んで“大変面白い”と
褒めてくれる。もちろん、まだこれは叩き台であって、
いくつか改善の指示。
最初、私の企画にしては金がかかりすぎないかと思っていたのだが
「そんなにかからない。十分経済的にペイ出来るし、また膨らませようと
思えばいくらでも膨らませられる内容になっている」
と言われて喜ぶ。
Hさんも、最近の日本の企画の中ではベストと言ってくれる。
思えば最初にHさんにこの企画をプレゼンしたのは去年の暮も
押し迫ったの30日、カフェミヤマで、であった。
ちょうど一年(に、二日足りないところが笑えるが)しかし、
延ばしに延ばしたもの。
まだまだ先は長いが、なんとかスタートラインに立てたという感じ。
正月に改訂版を仕上げ、松あけにでももう一度打ち合せを、という
話になる。
赤坂見附まで商店街を通って戻る。
ルートとしてはA社に行くのもこっちを使った方が楽なのだが、
道に迷いそうである。
昼をなにがな、と思い、駅前の古い感じのレストラン『河鹿』
に入る。露骨に昭和という感じ。
店内に、もう毛も抜けて禿げかけた鹿の首や、ウミガメの剥製が
飾ってあるところといい。
そして、頼んだAランチといい。
皿に盛られたライスを箸で食う、洋食なのに味噌汁つき、ハンバーグ
にカニクリームコロッケという取り合わせ、まさに昭和。
皿の上のスパゲティナポリタン、パセリまでなら驚かないが、
デザートのつもりか単なる色どりか、サクランボのシロップ着けには
まいった。一応食べたが、味などほとんどなし。
あ、テーブルクロスまで昭和だ。
いや、これが板橋とか千歳烏山とかにあったらこうまで驚かない
のだが、赤坂見附ってところが。
あとで、近辺にある東急エージェンシー社員の友人に訊いたら、
二十年前から全く店構えも味も変わってないのだとか。
A社の企画関係で来年から赤坂見附にはしょっちゅう足を運ぶで
あろうから、ここも頻繁に利用するかも。
たぶん、ビフテキで日本酒が飲めると思う。
渋谷に帰り、センター街のABCマートで靴を買う。
年末バーゲンだったので1足分の予算で2足買えた。
続いて東急ハンズに寄ってヒゲソリを買う。
シッククアトロの刃を買おうとしたら、なんと5枚刃という
のが出ており、つい、買ってしまう。柄(もちろんバイブ機能つき)
と共に3000円也。
そのあと、コンビニで買い物、それからもう一回思い出して
東急ハンズに戻り、掃除用具などを買い、仕事場マンションに
戻る。かなり汗をかいた。着替用Tシャツがあったので
湿ったシャツを替えられたのは快適。
しかしくたびれた。くたびれるほどの仕事量ではないが、
やはり今月に入って以来の年末仕事ラッシュで、疲労がピークに
達しているのだろう。
また、最大の懸案事項だったA社との打ち合せが無事に
終わり一気に気が抜けたのかもしれない。
しかし、まだもう一つの大きな懸案事項である小学館クリエイティブ
の打ち合せが残っている。
もうひと頑張りである。
3時、どどいつ文庫さん来。
オノは銀行でコミケ用のお釣り銭を崩そうとしたら長蛇の列だ
そうで遅れるとメール。一人で応対。
くたびれていたのでロクな話も出来ず、申し訳ない。
「しかしすごいですねえ」
とか言われるが、どどいつさんこそ別な意味ですごい。
先日、しりあがりさん、こんとうじさんとやった座談会が掲載
された神奈川新聞が届く。やはり私は偉そうな態度であるが、
内容はかなり面白い。
4時半、時間割。行く途中に見たらチャーリーハウスのドア前で
写真を撮っている人がいた。私もドアの写真を撮りたいな、と
思うが、こないだもう最後の挨拶をしてしまったので、
いまさらまた顔を合わせるのもテレ臭く、あきらめる。
時間割最終営業日。
小学館クリエイティブのお三方、それからジェオM社長。
こちらは私とオノで、新企画の、今日は一番キモになる部分の打ち合せ。
これまでは私主体で打ち合せしてきたので(もちろん経過連絡は
してきたものの)、ここでジェオがそれでは……というような
ことになると、ジェオ、小学館双方に対し義理を欠くことになる。
ことに杉ちゃん&鉄平は新譜『電クラ2』をこないだ出したばかり。
販売記念コンサートで日本中を回る。
こっちの制作スケジュールとのスリ合わせが出来るかどうか。
これも不安材料だったが、制作とのスケジュールはぴったり。
ジェオの方の協力方針も非常に好意的で、ホッとする。
いろいろとあと、販促のためのアイデアを出したが、その中で
全く別件でこちらが進めていた件と、うまい具合につながりが
出来そうな事実もわかり、また、クリエイティブさんの方で
こっちが出したアイデアを別件で応用できるかも、と興味を
しめした一件もあり、なかなか今後が楽しみになってきた。
ジェオ、クリエイティブの面々に早めになるが年賀状を手渡す。
正式に出すのが(コミケ作業などで)遅れるための急場の策であるが
ジェオのMさん
「あっ、この手があったか」
と。ドタバタで儀礼ごとが遅れるのはいずくも同じ。
とにかく、年末のギリギリに大事な打ち合せが二つも重なり、
一応どちらもまず、無事に済んで、ホウッ、と大きな息をつく。
来年が楽しみだ、というか、この二つが動き出すと今の予定以上に
すさまじいスケジュールになりそうだ。
まあ、“まだ来ていない仕事ならなんぼでも出来る”というやつで。
体がもつうちに動いておかないと。
平山亨師曰く
「働けるうちに働いておかないと、そのうち働きたくても働けなく
なっちまうんだぞー!」
である。
事務所に帰る道すがら雑談、某人の悪癖の話にオノ、大受け。
「知りたくもなかったっスよー、そんな話!」
と大笑いする。
事務所で最後の残務片づけ、プロント・プロントの次号の
コラムのテーマ決め。担当S氏にメールして、本年度の
東文研営業は終了。お疲れさま、という感じ。
今日は早めに帰って休もうと、オノに大晦日よろしくと
挨拶してバス帰宅。サントクはもう、お正月対応一辺倒。
鳥鍋の簡単なのを作り、ビールとホッピー。
ビデオで『ドキュメント連合赤軍「あさま山荘」事件』。
この事件が不可解なのは、佐々淳行もビデオの中で
「不気味だった」
と言っているが、立て籠った連合赤軍メンバーが、人質をとっていながら
何らの要求も政府や警察サイドにしようとしなかったことである。
いったい彼らはこの事件を起こして、何をしようと思っていたのか。
いや、全共闘運動そのものに対し、調べれば調べるほど不可解なのは、
彼らはいったい、あのような闘争で本当に日本に革命が
起こせると思っていたのかということである。
いま、当時の全共闘世代が当時を振り返って語る内容のほとんどが、
「あの時代の空気に乗っていた」
ということであり、明確な革命への道筋など、全く見えていなかった、
いや、見ることが必要だとも思っていなかったのである。
東大紛争のとき、私は小学2年生か3年生であったが、そんなガキの
目からも、あれは革命というよりは単なる不良の大暴れにしか
見えなかった。機動隊に一気に蹴散らされなかったのは、
当時の後藤田警視総監が、国民に与えるイメージを考慮して、とにかく
腫れ物を扱うように対処したからに過ぎない。
ゲバ棒だの投石だの程度で革命が起こせたら苦労はしないのである。
本当に革命を起こそうというなら、まず敵より強力な
軍事力を持たねばならない。ロシア革命の成功は軍を
掌握したためである。日本の頭でっかちな左翼インテリは、革命思想
のみを学んで、革命戦術を学ぼうとしなかったのである。
なべてプロジェクトというものは、最終的な目標(どこまで到達
できれば成功か、というレベル値の設定)と、その目標を達成する
ための道筋の具体的な青写真を絶対に必要とする。
連合赤軍メンバーは革命という言葉に酔い、ただ反権力闘争を
突発的・散発的に起こすだけで、その騒ぎが全国的に波及すると
信じていた。波及させるための連絡システムも統括部門も作らず、
ひたすら思想性のちょっとした相違で対立し、罵倒合戦を
繰り返し、5流24派などという細かなセクトに分派していった。
明治維新が成功した最大の理由は、それまで互いにいがみあって
敵対どころかことあるごとに相手をつぶそうとしていた薩摩と長州の
二大派閥が、感情を超えて利害で手を結んだことである。
団結して力を大きくすることなしに革命は起こせない。
あさま山荘に立て籠った連合赤軍メンバーは、すでに仲間同士
総括で殺し合い、革命の目的も道筋も失ってしまっていた。
要求を出そうにも、そもそも何を要求すべきかがわからなく
なっていたのだろう。そこにあるのはただ、感傷的な
革命戦争での散華へのナルシスティックなロマン。
そのロマンや、若さゆえの殉教へのあこがれも理解できる。
できた上で、“これじゃダメだよな”と思ってしまうのである。