裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

月曜日

ど貧乏ガエル

どっこい生きてる、ドヤの中〜。

※東大講義

朝、例によって夢を見たがよく覚えていない。唯一覚えているのは、女性に向かい
「大事なのはテンポだよ」
と言うと、その女性が、
「わかりました、つまり、大事なのはテンポだってことですね」
と答えて、
「いや、それじゃオレの行っていることをオウム返しにしているだけだ、もっと別の角度から切って表現しないとダメだろ」
と言って口論になるという、世にも無意味なやりとり。

朝食は9時。スイカとコーンスープ。
日記つけ、いろいろと準備。午前中は今日の東大講義用の資料作成。昭和30年代のメディアについて1時間半で語れ、というのはそもそも無理な話なので、どこに焦点をあてるか、が眼目となる。映像の組み合わせも意外なものにして、そこから結論を導き出したい。

中野貴雄さんが007のいろんなYouTube映像を日記にアップしていて、嬉しくなって、自分でもハロルド・坂田などの映像を探してしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=a7Fb1xrGgnc&NR=1
↑さすがジェームズ・ボンドも手玉にとったハロルド・坂田ことトシ・トーゴー。まだ青二才のスタン・ハンセンを余裕であしらっている。

http://www.youtube.com/watch?v=CDVfVVIE2DY
↑こっちはブルース・リー対オッド・ジョブ……あ、リーじゃなくてブルース・リ、か。ミゼット俳優とコンビで帽子を投げてるところがイカす。

http://www.youtube.com/watch?v=MPMDqdm5oAA
↑オッド・ジョブ人気で出演したんだろうヴィックスせき止めシロップのコマーシャル。これは昔出ていたLDの特典映像でも見た。

http://blog.goo.ne.jp/nnakazawa/e/4d0dd5ddcc9abdae42facd1e8e432dc4
↑ハロルド坂田の一生

http://www.nileport.com/products/details/847/1.asp?id=847
↑ハロルド坂田の弟

あと、ジョン・バリーの音楽でいろいろ検索していたら『007のテーマ/ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・バリー』ってCDがアマゾンで引っかかって、別に買う気もなしに(007映画のテーマは大体揃えているし)曲目を見ていたら、『オーソン・ウェルズ劇場』のテーマが入っていた。前から探していた曲なのでユーズドだったがあわてて購入してしまった。私にとっては思い出深い作品なのである。

昼は弁当、焼き鳥で。やっと入手した某DVDを見て、その逸材のウワサにウソがないことを確認。他とはあきらかに段が違う。10年前だったら業界が大騒動になっていただろう。

3時半、家を出て事務所。バーバラといろいろ確認事項。さて仕事、と思ったら、カバンの中にある、と思い込んでいた資料がない。このあいだ、取り出して家に置きっぱなしにしていたらしい。耄碌である。

書庫にもぐって資料探すが、いろいろと取りかたづけられていたりして出てこない。いっぺん、書庫の大々的な再整理が必要である。

5時45分、家を出てオノとタクシーで本郷の東大まで。こないだ、時間がかなりギリギリだったので、今回は余裕を持とうと思っていたのがまたギリギリになる。Y先生、門の前で待っておられる。申し訳なし。
「はしかは大丈夫ですか」
と訊かれる。早稲田がはしかの流行で休校になったとか。

“東京大学大学院情報学環コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム”の一環としての講義。今日の眼目は、“資料にYouTubeを使う”であった。このあいだのロフトプラスワンで、こっちが次々に“あれ”“あれも見たい”“あれ、ある?”というリクエストに次々にさいとうさんがその画像を探し出してきてくれた、あの快感が忘れられず、講義で使ってみようと思い立ったのである。

だが、こちらのモバイルとの相性が悪いのか、なかなかYouTubeにつながらず。東大の人がやってくれたがダメ、Y先生のパソコンを使うがこれもダメ。デンパ環境がよくないらしく、受講生から
「この教室、扉をあけておくとつながりやすいようです」
といった、最新設備を備えた最高学府とは思えぬ状況の発言もあり、ちょっとあせる。なんとか、学生が貸してくれたパソコンでつながったが、時間をだいぶロスしてしまった。

講義は、昭和30年代という文化をくくるのに見逃せない60年安保闘争のことをまず、ニュース映像で前知識として見せ、続いて、それを雑誌、新聞などの印刷物マスコミがどのように報道したか、そして反安保、学生運動の激化などという、30年代の政治状況の激しさにも関わらず、それらが形骸化し、民衆レベルでの保守化、親米が強まり、結局“インテリ層と一般大衆の感覚の乖離”が如実になっていった状況を、テレビというメディアの茶の間への浸透、そこで画像として送られたアメリカ製ホームドラマなどの影響、を中心に語る。映像はYouTubeで、当時のホームドラマの代表作、『パパは何でも知っている(FATHER KNOWS BEST)』を見せた。講義自体は面白がってくれたようだが、ちょっと硬くなりすぎたかもしれない。

講義後、女の子の受講者が、大変面白かったです、と言って、いろいろと質問してきたのに答える。この子がかわいかったので今日は価値ある日となった。また、持ってった30年代の大衆紙を男の子たちが
興味深そうに手にとっていた。あと、廊下で白夜書房のE氏とちょっと話。某海外書籍の翻訳の話、それから、次に出すというモンティ・パイソンのスケッチみたいな趣向の本の話。

オノとタクシーで中野まで。いろり庵に行こうと思ったが今日も閉まっている。どうやら本格的に閉店してしまった模様。じゃ、と次々に知っている店に行くが、月曜ということで閉まっているところ多し(金竜門は開いていたが、二人でシャオヤンロウはちょっとキツい)。結局、味王で息をつく。

生ビールが講義で嗄れたノドに染みて美味。豚肉甘みそ炒めの北京ダック風、揚げ豆腐、白身魚のタイカレーなどなど。薬味がネギとパセリばかりなので厨房の人に“香菜はありますか?”と訊いて、別皿で持ってきてもらう。
「チョット、ね?」
と向うが言うのに、オノがすかさず
「いえ、たくさん!」
と。エライなあ、こういう態度は。

雑談いろいろ、どうしようもない人間関係のこともいろいろ。しかし、私の一年は普通の三年分くらい、いろんなドタバタが起きるなあ。明日、考えてみれば誕生日。12時、単独でタクシー。メールのみ確認して寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa