裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

日曜日

女囚そそり

多岐川裕美、たまんねえなあ……。

※と学会例会

明け方、無茶苦茶に面白い夢を見る。私はなんと王族の血筋である。もちろん日本人のままだから皇族なのかもしれないが、日本の皇族ではなく、ヨーロッパの王族のイメージ。住んでいるところが壮大な宮殿なのだが、古びていて、廊下などに見学者のためのおみやげコーナーなどがあるレトロな雰囲気。
私は高貴な一族の中では不良のC調野郎なのだがそれだけに行動力があり、従兄弟の結婚に際して起きたトラブル(相手をマフィアみたいな暴力組織が脅している)の解決を一族の長に依頼されて、交渉におもむく……というストーリィであった。

目が覚めて時計を見たら5時半。夢のストーリィを反復しながらまた寝たら続編を見る。私がその夢のストーリィを話したらそれを知り合いの落語家が高座にかけ、そうしたらその王族がなんと実在していてその高座を聞いており、楽屋にやってきて……というストーリィ。『亜空間要塞』と『亜空間要塞の逆襲』みたいな関係の続編であった。

起床、8時半。9時、朝食。小ぶりなメロン。甘さはかなりなもの。それと冷製の豆スープ。

10時45分、家を出て、事務所に。今日のと学会例会のネタ、昨日取りにいけなかったので。発表の持ち時間考えると、あれもこれも、というのは避けねばならず、いろいろ考えて大ネタ一点とそれに組み合わせる補助ネタ一点、それとつかみネタ一点を選択。つかみネタは、いっぺん家を出て、昼食用の弁当をコンビニで仕入れてから気がつき、また事務所にとって返してカバンに詰め込む。時間がこれでなくなったので電車はあきらめ、タクシーにするが、5分も遅れずに
会場着。

今日は前回のようにゲストと発表が押せ押せ、ということもなく、案外余裕を持って発表できた(まずまずのウケ)。Hさんの発表(紹介)した、自分のマックをライトセーバーにするマックセイバーがアホで笑える。もとは、モバイルの落下や傾きを警告するセーバーなのだが、その際の警告音が、あのライトセーバーのビューン、という音なのである。従って、こういうこと↓が出来るわけである。
http://www.youtube.com/watch?v=knOKowQCFTY&eurl=
かえってこれで遊んでモバイルを壊してしまう使用者の方が多くはないか?

ゲストに『幽』ライブの常連さんなどもいらっしゃり、また佳声先生の息子さんも今回から正会員になり、いつものように楽しい時間を過ごす。本郷さん、橘川さんからは珍しいインド産マンゴーなどいただいた。と学会が発足して十数年、こういう業界でこんな長期にわたりひとつのことを楽しむ活動が続けられてきたのは作家としての幸せだろう。

もちろん、と学会に入会したのはUFOやオカルト関係の本が好きだったということが大元になっている。そういう主張の持つ非科学性のナンセンスをもっと暴きたいと思う考えが根本になっている。しかし、そこでそういう研究の本山ともいうべきジャパン・スケプティクスとかではなく、ある意味何でもアリ、のと学会(あきらかに活動としては通俗派)の方に最初に関わったのは、私自身の資質からいって幸運だったと思う。これは、札幌でアニメ・SFファン活動をしていたとき、正道派(作家やプロデューサーのインタビューや作品研究などを中心とする)であったSZ(シャドー・ゾーン)という会の方でなく、そこから派生した、パロディやキャラ追っかけ、ツッコミ、B級作品発掘なども活動に取り入れたSS(スカーレット・スカーフ)の方に何故か入会したという“偶然”と、シンクロしているような気がする。このあいだ、ミクシィに、その当時の友人がいて、私のことを書いていたのでちょっと往時の私を思い出した。彼は、私が最初にSSに誘ったのだが、やがて本流のSZの方に活動の拠点を移し、現在もつきあっているのは当時のSZの方のメンバーたちらしい。私とはまったく逆である。私はハナから、脇道、ちょっと外れた方向性というものが好きな男なのだろう。あるいは、そういうオーラを出している男なのだろうと思う。

オカルト否定、あるいは懐疑主義の根底にあるのはヒューマニズム、人間賛美の思想だと私は思う。人間がオカルトやUFOなどの超常現象信仰に走るのは環境が人を愚かにさせているからであり、科学的精神(=真実の追究)を普及させることにより、人間はより進歩した素晴らしい存在になれる、という思想だ。プラトン主義に近いものがあるのではないか、と思う。そのポジティブさにひかれ、若い頃の私は、徹底した懐疑主義者となった。今でもその魅力にとらわれている。

しかし、同時に、私は、UFOに、オカルトに、宗教に走らざるを得ない、弱者としての人間の存在にも、ある共感を持つ。社会との軋轢に打ちひしがれている人間にとっての、ある種の精神的救いは、この社会の存在基盤そのものだって確固たるものではない、いつかはその根底がくつがえされるに違いない、という期待だ(そのくつがえされた社会が自分にとって理想のものという保障はどこにもないのだが)。そして、いかに環境を整備しても、その環境になじめぬ人間は、ある一定数、必ず出てくる。さらには、真実に背を向ける人間もある一定数、出てくる。キルケゴールの原罪論みたいなものだ。

真実は、そこへの到達への努力を人間に求める。研鑽を人に強いる。精神的強者は、そんな努力など何でもないことだとつい、思いがちであり、他人にそれを強要しがちだ(長嶋は監督時代、若い選手に“なぜあそこの場面でホームランを打てないのか”と怒ったそうである。しかし、野球選手が全員長嶋ではないのだ)。弱者にとり、この世界の真実は、目を向けたが最後、自分の卑小さ、どうしようもなさを認識させる、恐ろしいものなのである。例え真実や理想がその眼前に呈示されたとしても、必ず、そこから目を背け、背けることで安寧を得ることを選ぶ人々がいる。もちろん、その弱さにつけこまれることにより、ある時はそれが犯罪につながり、ひいては戦争につながることだってある。そう、だから犯罪も戦争も、人間の世界からはなくならない。愚かさは罪だ。しかし、罪だから人に愚かでなくなれ、と迫ることが、絶対に肯定されるべき正しさを持っているとは、(いろいろ悩んだすえ)今の私には思えない。愚かしいものを否定するのでなく、逆に楽しんでしまおう、というスタンスを私は愛するし、それは弱さ罪深さを含めてあるがままの人間を愛するということではないかと思う。懐疑派、いや、と学会の中でもこういう考え方は異端だろうが、その異端を異端として認めてくれるB級好きなみんながと学会なのだ。ここに私が加わったのは必然なのかな、という気がするのである。

発表終わり、大会のことを少し報告。前回(前々回か)の発表で『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ』の字幕を作って発表した会員のMさんに、その字幕CDロムを借りようと思っていたのだが、本日は不参加らしく、受け渡し面倒くさそうだなあと思っていたら、なんとそのときMさん、そのCDロムを忘れていったそうで、預かることが出来た。何という西手新九郎。あと、例会記録係の片瀬さんから、今後の記録について提案あり。

開田夫妻、談之助さんなどとタクシー乗りあいで秋葉原へ。ちょうど神田祭の真っ最中で、人がゴッタ返している。いつもの万世地下で打ち上げ。大食いというより飢えたオオカミの群れのような状況をいつも呈するわれわれの胃袋をおもんぱかってか、握り飯が今回から加わったのが笑える。難民への炊き出しみたいだ。

大賞の件を出演メンバーとちょっと打ち合せ、志水さん談之助さんなどにコーナー出演依頼。発表者のみなさんにもよろしくと挨拶。笹公人さんなども2次会にはいらっしゃって、『オタク論!』にサインを求めらる。即興で短歌を書きつけるも不出来。

2次会終ったあと、例によってチャイナで三次会、植木不等式氏、しら〜氏、明木先生各氏と。五粮液いただきながら、なんだかかなりフいたような気もするが、上がったテンションの中で記憶は雲散霧消。

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