14日
月曜日
夢の頭突き
ステージで歌っているユンナさんに暴漢が襲いかかり、いきなり頭突きを食らわせ……。
※企画打ち合せ 『プロント・プロント』原稿 銀座博品館『立川談笑独演会 銀座夜話』
朝、また明瞭な記憶に残る夢。シャンソン歌手になって、死んだ女性が2時間だけ恋人のもとに戻る、という歌をうたっていた。
8時起床、入浴。ネットでいろいろ。少しネットしすぎと思う。もっと本を読まねば。映画を観ねば。われわれはそれが仕事だ。
9時朝食。今日、独演会のはずの談笑が『特ダネ!』に出ていた。大変だねえ。朝食、メロン小の残り、豆のスープの冷製。母に、母の日と誕生日のお祝いにどこか美味いてんぷらでも食べに行こう、と誘うが、家に皆を呼んでご馳走する方がいいらしく、少し口論。
日記のダジャレがどうしても思いつかず、しばし呻吟。あれは、作れるときは三つも四つも一度に浮かぶものなんだが。何とかひねり出して検索してみると、過去の自分の日記でもう使われてしまっていたり、あるいは受けが全く思い浮かばなかったり。
昼はレタスと牛肉のヤキメシ。チャーハンでなくヤキメシ(司馬遼太郎が、なぜかカタカナ表記のこの“ヤキメシ”を使っていた)という感じ。
↓宴会芸について調べていたらこんなのがあったが、
http://www.youtube.com/watch?v=YQ23Q-4zTi8
不覚にも英語で十年間(decade)がすぐ単語として出てこなかった。こんな芸やってるやつにに負けるとは。
4時、家を出る。車中読書で岩波新書『ダルタニャンの生涯』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004307716/karasawashyun-22
読了。ラストでの著者(佐藤賢一)のまとめである、ダルタニャンの魅力とはつまるところフランス17世紀の魅力であり、それは“公私混在”の魅力だった、というくだりに納得、感心。これはダルタニャンに限らず歴史小説の主人公全般の魅力に相通じるところがあるだろう。“私”の感情がそのまま“公”での活動に直結し、そこに明確な区分がない。そこでは“公”の権威というものは失墜せざるを得ず、主人公の“私”の意識が万能となる。これがロマンだ。われわれ近代制度の下で生きるものに、そのような公私の混同は許されず、それは現実は小説と異なり、公私混同はロマンばかりではなく腐敗や独裁をも(いや、そっちの方を主に)生み出すからであり、だからこそ人間は公私の別を明確にした法治国家を作り上げたわけだが、しかし、その代償として失ったロマンを人々はノスタルジーの中で永遠に懐かしむ。それ故に過ぎ去った歴史の話にわれわれは限りない愛着を感じるわけである。
ついでに言うと、“三銃士”の“銃士(Musketeers)”が、“マスケット銃兵”という意味だったことを改めてこの本で気づかされた。マスケット銃を支給された兵士・部隊のことを銃士と言ったのだ。考えてみれば、チャンバラばかりやっている話なのになぜ“銃士”と呼ばれるのか不思議に思わなければいけなかったのであった。先込めのマスケット銃は戦争でこそ有効だったが、普段の武器にはならず、護衛や決闘などでは剣をつかわねばならなかったのである。
時間割。しら〜さんからの紹介で、角川書店の編集Oさんと打ち合せ。Oさんがいま、やっている仕事数とその量を聞いてひっくり返る。よく死なないものだと思ったら、やはり体壊したそうだ。しら〜さんも驚いていた。
しかしながら、その仕事量のせいで、いろいろとフックを持った編集さんだった。こういう人に、フツーのお仕事の話をふっても面白くないと思い、このあいだ、ハッシーやなべかつさんと飲んで話したときに“こういうのやれたらおもしろいねえ”と言っていた企画を話してみると、なんというかかんというか、渡りに舟というか魚心水心というか、来たかチョーサン待ってたホイ、というか(ちなみに、この“来たか長さん待ってたホイ”は夏目漱石の『道草』に出てくる文句である)、そういう企画を探していたんです、と向うが身を乗り出してくる。あとはいいですねえ、いいですねえ、と、神経痛がお湯に入ったような案配となった。なべかつさんの説明に
「ほら、“コンパクト・ミーツ・ラグジュアリー”の……」
と言うと、Oさん
「ああ〜! 知ってます!」
と。CMってのはやはり認知度高いねえ。
とにかく、こっちがこんなに話がスイスイ通っていいのか? と思うほど話がトントン、といった打ち合せ。もやもやと浮かんでいたアイデアが一気に形を成したという感じで、ちょっと興奮した。
モノカキがモノを書くのは当たり前で、それは医者が手術をするとか、役者が芝居をするとか、カメラマンが写真を撮るとかと同じで、それはナリワイであり、大事なことではあるが興奮することではない。興奮していたらシロウトである。こういう、本来の仕事とは別の方面での企画が通るときは本当に興奮する。
1時間ほど話して、じゃあ企画書みたいなものを作って送ります、と約して別れる。あれとこれをこう結びつけて、と頭の中でアイデアがカチャカチャと組み合わさっていく。ただし、Oさんがマジで倒れなければ、の話だが。
そのイキオイで仕事一本、『プロント・プロント』片づける。今日は談笑の博品館での独演会だが、出ないといけない時間ギリギリ。急いで出て、博品館でオノと待合わせ。オノが母親との温泉旅行でおみやげに買ってきてくれた酒を、そのまま楽屋への差し入れに。
いつもの常連さんたちと挨拶。名古屋からゆめすけさんも駆けつけていた。
「今日は満席ということで談笑さんテンション高いです」
とのこと。なんと昨日まで韓国、それから今朝はテレビ。体力がないとやってられない。アスペクトのK田さんはいつものように本の販売。やまぐちんさんが女性連れで来ていたのにオノが反応。
で、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を本格的に三味線と太鼓で演奏したものを出囃子に、談笑登場、高座での御辞儀が本寸法になって、カッコよくなったな、と感じると共に、昔の、巨体をヘチャヘチャ、と突っ伏すような、あの御辞儀が懐かしくもある。
博品館も二度目で、もういつもの日本橋亭的なノリ。ウルトラマンコスモスとか。“睦月影郎のケンペーくん”なんて出てきたが、どれだけ銀座の客にわかるか?
あと、今日は家元を隠し技で出すはずが出なくなった、という話。家元が昔紀伊國屋ホールの落語会で、予告した『包丁』を完成できなかったので、今日はホンモノをひとつ……と自分でメクリを返して、圓生に演じてもらったというのの再現、の筈だったが、こないだの独演会で聞いたらいろいろあってやめたらしい。
まず演じたのはこのあいだの独演会でかけた『看板のピン』であったが、これは談笑の持ち味である“古典の解体と再構築”のモデル話として最適なのかもしれない。古典の方にある、“素人が真似をして、うまく外にピンを出せるのか?”というツッコミポイントをきちんと演じていた。
いくら開口一番とはいえ、10分くらいですぐに終って、次がゲストの談春。いきなり
「旦那様、竹次郎という方が……」
と、『ねずみ穴』を始めようとするクスグリ。その後、“絶対談笑がやらないネタで”と言うので何をやるかと思ったら『桑名船(鮫講釈)』。あれ、談笑はこのネタかけているよな、と思うが、比較対照例として聞くと非常に面白い。と、いうか本寸法な五目講釈(ネタ中では“総合講釈”と言っていたが)。談之助などの、最後が三波春夫になってしまうネタを聞いたあとでは地味に聞こえたし、適当に力を抜いたネタではあったが、客演としての位置ではこれでいいのである。いつぞやのゲストはそこがわかっていないのかあるいは嫌味か大熱演していて、野暮に感じたものだが、そこはさすが談春師。
で、休息のあと、座布団が色変わりして談笑の『ねずみ穴』。いきなり“『ねずみ穴、改』です”と前置きして
「社長……!」
で始めるだけで、もうそこは談笑ワールド。
どういう風に改か、というと、と説明するのも荷なのでやめておくが、要はあれだ、“孫正義物語”だ。忙しいさなかで、稽古も充分ではなかったのだろう、『ジーンズ屋ゆうこりん(ようこたん)』や『薄型テレビ算』ほどの完成度にはまだ達していなかったが、しかし、本国の共産党に見捨てられた主人公が歌舞伎町近辺でひどい目に会うくだりなどの悲惨さの描写は凄まじい。そもそもこの噺、落語としてはあまりに暗いし、オチも弱いし、で長いこと埋もれていたのを、圓生が発掘して名作にまで磨き上げたもの。圓生の、悪のリアル性を追求する芸風には合っているが、実は聞いていてそう楽しい噺ではない。その部分を、さらに“聞いていて楽しくない”描写にしてしまう談笑の演出は実は本筋なのかもしれない。
後で打ち上げで聞いたが、本当は『未来世紀ブラジル』的なラストも用意していたが、敢えてハッピーエンドのものにしたとのこと。
終演後、サイン会をロビーで談笑がやっている。私もK田くんに頼まれて、『超落語!』に数冊、サインした。ゆめすけさん、rikiさん、jyamaさん、オノ、K田くんと打ちそろってライオンでの打ち上げに混ぜてもらう。なんかテンションあがって、いろいろヨタを飛ばしていた気が。オノが談笑に
「すいません、今日が実は初『ねずみ穴』でした!」
と。楽しくワイワイ、文字通り“談笑”。
11時半くらいにおひらきになったが、何か飲み足りず、
「スシ食おう、スシ!」
とわめいて、上記“こっちの”メンバー全員引っ張って東北沢『一貫』。コハダ、アナゴ、トロと、食った食った、飲んだ飲んだ。帰りはもう、2時過ぎくらいになっていたのではあるまいか。これで6日連続飲み。ま、家にいたって飲むのは変わりないが。