裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

日曜日

ちびナルコちゃん

またこんなところで寝て!

※朝日新聞書評原稿

朝8時起床。雨蕭々。入浴して朝食、スイカとコーンスープ。
昨日起きたエキスポランド事故のこニュースを新聞、テレビで。あまり詳しくは報じられていないが、被害者の遺体の状態は凄まじいものだったらしい。このあいだ、万博公園からその、事故を起したコースターを眺めて、乗客のキャーッという声を聞いたばかり。“安全な危険”を提供するのがああいう遊具なのだが、要するに、一歩間違えばそうなる、という遊具ほど、人気になるわけである。

四十年近く前、あれはどこの遊園地だったか、“ポリプ”なる、病気みたいな名前の、巨大なタコ状生物を模した遊具に乗った。十数本の、うねくった足の先についたカーゴに乗るのだが、回転スピードがそれぞれの足で違い、速くなったり遅くなったりして、追い越したり追い越されたりするわけだ。くねくねうねる形の足すれすれをカーゴがくぐり、凄いスピードで回転しているため、子供の体重だと椅子から身体が浮き上がり、必死で取っ手にしがみついていないと別の足に頭がぶつかりそうになる。ぶつかれば完全に首を骨折して死ぬだろう。キャアキャアわめきながらも、しかしその興奮と快感といったらなかった。で、ふと腰のあたりを見ると、体を固定する金属のバーが外れていた。つまり、頭は“ぶつかりそう”どころか、本当にぶつかる危険性が極めて高い状態に置かれていたのである。この死の恐怖はバーチャルなものでなくホンモノだったのか、と気がつき、それから回転が止まるまでの数分、全身が硬直したままだった。それ以来、この手の遊具は苦手であるが、しかし、死を間近に感じるときのアドレナリン放出の感覚も覚えた。恐怖と快感は紙一重なのである。

昼間は原稿書きのための読書。昼食は母の室で、到来物のギョウジャニンニクを使った肉入りヤキメシ。野生のギョウジャニンニクなのでもっと臭いかと思ったら、案外上品な味。

雨なので、外出もままならず、原稿、一本。朝日新聞書評。書き上げて担当K氏に送る。そのあと読み返してみたらポカミス一ヶ所あり、直して再度メール。ベランダのガラスがあまりに汚れているので、掃除。ホースで水を吹きつけ、モップでゴシゴシと洗う。いいかげんな窓拭きだが、前よりはマシになった。

雨の中、外出。地下鉄で新宿に出て、ヨドバシカメラでちょっと買い物。店内のポスターに、藤本和也さんのキャラを使ったものがあったが、あれ、ホンモノか? それから小田急ハルクをぶらつく。冷やかし半分であったが、精肉売り場で、豚のレバと舌まるごとが売られているのを発見、買い込む。豚レバは500グラム、それに舌一本まるごとで、合わせて600円にならない。ホクホクである。

帰宅して、原稿書きながら、レバとタンの下ごしらえ。レバは塩湯を沸騰させた中で五分ほど茹でて血抜きをし、タンは粗塩と焼酎でよく揉んで、臭みをとる。その後、鍋を二つ用意して、ネギ、ニンニク、ショウガ、セロリなど香味野菜に酒を加えた鍋で、よく茹でる。レバの方にはダシ醤油と八角、胡麻油、それに砂糖も加えて、1時間ほど。

ゆで上がったものはさまして、タンは皮を剥き、どちらも薄切りにして酒の肴に。針ショウガを副えて、醤油に一味唐辛子と胡麻油を落としたものでいただく。ビール、ワイン、焼酎、いずれにも合って絶妙な味である。タンのねっとり感といったらない。あっと言う間に、数切れしか残らなくなり、あわててそれをとっておいた茹で汁の中に戻す。再び沸騰させ、“味霸(ウェイハー)”のラーメンダシをちょっと加え、そこに茹でた麺を投入。きざんだネギをそえてタン出汁ラーメン。濃厚でもう、美味くて美味くて。

DVDで、リチャード・レスター『三銃士』『四銃士』を見る。レスター監督の“野蛮な西欧史”物の代表作(他に『ロビンとマリアン』『ローヤルフラッシュ』があり、『新・明日に向かって撃て!』もその流れだった)。バクチとケンカと色恋にあけくれる無頼集団として銃士隊を描いたユニークな時代観が特徴。要するに水野十郎左衛門のような旗本奴、白鞘組である。自由や平和、平等などという意識もなく、正義は普遍なものでなく自国と王だけのためのものであり、貞操観念も衛生観念もないケダモノみたいな社会の中で侠気の代表とされたのがダルタニアンと三銃士だったという描き方だ。それでいてアンチヒーローものでなく、ちゃんと“ヒーロー”を描けてしまうところが才人・レスターの才人たるところ。

王妃役のジェラルディン・チャップリンがマイミク某さんに似ている。フェイ・ダナウェイはこの作品が多分一番美しく、コメディ好きにとってはスパイク・ミリガンの演技をもっとも長い場面で味わえる映画作品でもある。そして、ヒロインのラクウェル・ウェルチは、なんと“ドジっ娘”である。登場シーンから、『三銃士』ではラストシーンまで、とにかくものにぶつかったり、派手にコケたりの連続である。コメディエンヌならともかく、堂々とアクションもののヒロインに“ドジっ娘”というキャラ設定を与えてしまった、最初の作品ではあるまいか。それだけに『四銃士』のラストは涙、だが。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa