裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

火曜日

不倫族殺人事件

別荘に集められた浮気カップルが次々に殺されて……。

※談之助夫妻赤ちゃんお披露目会

朝8時起床。風呂に入ろうと思って服を脱いだら、浴槽に湯が入ってなかった。ガスに点火しただけで湯を入れてなかったようだ。寝ボケたか? シャワーのみ浴びる。

9時、朝食。スイカとコーンスープ。母と『砂時計』の話。
「もう、ホントにきれいな子でねえ」
とうので、てっきりヒロインの子のことかと思い話を合わせていたら、中学生時代の大悟を演じた佐野和真のことだった。母はそう言えば昔から美少年好みだった。大人になってからの大悟の竹財輝之助はあまり好みではないそうである。

自室で電話、例のところ。何とか話のわかる人間をつかまえて、くだんの人物を生け捕ってくれるようくれぐれも頼んでおく。これまでのいきさつを話したら、向うで苦笑していた。笑い事ではないが、くだんの人物像を日ごろから知っていると、“またか”と苦笑したくもなるということか。律義に電話をくれて連絡してくれる人なので、まずホッと。

上記の件でも関係がある人なのだが、それとは別件で編集某氏(いま、アメリカに仕事で行っている)にメール、連休明けの打ち合せを約す。だいぶ前に一冊書こうとして、時期を逸して、中心となるテーマが定まらなくなって、それから何度か再度立ち上げを話しあったのだが、どうもピンとくる“核”がなかった。それが先日ひょんなことでその新しい“核”が見つかったとたん周囲にある情報がどんどん、その“核”につながってくる。不思議なもの。

昼は母の室で掻き揚げそば。食べて少しベッドに横になり、資料用読書少し。読んでいるうちに眠くなり、45分ほど仮眠。コンビニに行き、日刊スポーツ見たらダーリン先生の記事。おいおい、この書き方はないだろと思ったが、しかし宣伝効果は絶大なものがあるだろうな。次回のニコニコ大会、かなり早めにいかないと。

『月光仮面』を世に送り出した宣弘社の小林利雄氏死去、86歳。以前、NHKの『お宝TV』の、月光仮面の回に出演したとき、最後のインタビューのビデオを聞けたのが幸運だった。あのとき、“まだ存命なのか”と驚いたものだ。もっとも、すでに何をしゃべっているのか、ほとんど聞き取れない状態だったが。

もともとはネオンサイン広告の開拓者であり、今の日本の都市の夜景を作った人物、と言って過言でないが、そこからの発想で、テレビもまた、家庭に入り込んだネオン広告、ということでテレビCMに手を延ばし、さらにそのノウハウを身に付けにアメリカに渡って、アメリカのテレビドラマ人気を肌で感じ、日本でもこういうものを作らねば、と、国産初の連続テレビドラマ『月光仮面』を作ってしまう。草創期の人間のなんでもやってやろう精神には頭がほとほと下がる。

佐々木守氏の筆になる評伝(『ネオンサインと月光仮面』筑摩書房)のことは以前、日記にも書いたが、奇妙な評伝で、『豹の眼』のテレビ用の原作改変で主人公がインカ王国の血筋からジンギスカンの血筋に変更され、しかも主人公の杜夫(大瀬康一)が扮する白装束の忍者スタイルのヒーロー(原作にはこんなの出てこない)が源氏の“竹に雀”の紋所を額につけていることから、トンデモ系では有名な小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』の話になって、小林利雄を置いてきぼりにして長々語ったりしている。さるにても、日本初のテレビドラマを作ったこの人物の発想の偉大さを、少し日本人は忘れ過ぎていないか。黙祷。

そう言えば、関連して思い出したが『月光仮面』の主題歌に出てくる“正義の味方”という言い回し、これを竹熊健太郎氏が“川内康範氏の作った言葉”と御自分のブログに書いているがそれはどうか。根拠は川内氏にインタビューしたとき、川内氏がそう語ったから、ということのようだが、他の文献における用例はさておいても、日本人一般にこの言葉を普及させたメディアとしては、紙芝居における『黄金バット』の登場シーンの決まり文句、
「ウハハハハ……アルプスの山々にこだまする笑い声。見よ、天空高くその勇姿をあらわした正義の味方、われらが黄金バット」
というやつの方がずっと早いだろう、ということは大体想像がつく。さらにこの文句のモトとなった台詞がありそうな作品として嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』映画などがあり、さらにその原形は無声映画の活弁にありそうであり、そこらをチェックしないで、軽々に川内先生が元祖、と証言だけで断言してしまうのは危険であろう。

7時半、談之助夫妻、赤ちゃんを連れて来宅。開田夫妻も(中野駅から青梅街道に出るところで逆に曲ってしまって)道に迷ってちょっと遅れたが来て、赤ちゃんおひろめの会。もちろんお祝いのためでもあるが、母が赤ん坊大好き人間なので、たまに触れさせてもらおうと思って。案の定、大変なはしゃぎようだった。まだ、寝せても背をまるめず、人形のように大の字になっているあたりが可愛い。ぐずりも人見知りもせず(まだ人見知りには早いかな)大変手のかからない赤ちゃんだった。ユキさん好物のエビ料理を母にリクエストして、甘エビとグリンピースの炒め物、クルマエビのマヨネーズ和え、それから甘エビの頭の味噌汁などを作ってもらう。

黒澤明家の食事の話とか、人物月旦とか、10時半まで話弾むが、赤ちゃんの方はやっとちょっとぐずりさす。やはり談之助でもお父さんになるとそれをあやして“バー”とかやるのが、こっちには何か可笑しい。自室に戻り、また映画関係のサイトをいろいろ逍遥しつつホッピーとウイスキー、飲んでしまう。いかに連休とはいえ、いかんな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa