裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

火曜日

コールガール石に苔は生えない

苔どころか、使いっぱなしで乾く暇もないわよ。

※幻冬舎新書最終ゲラチェック

朝、7時起き。寝床で田草川弘『黒澤明対ハリウッド−−「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』読了。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163677909/karasawashyun-22
著者は黒澤明が監督する予定だった映画『虎!虎!虎!』で、日米間の脚本の翻訳を担当した人。演技が出来ない出演者に対し、黒澤監督が
「“気”を送ってみたらいいかもしれない」
と言った、というところに(と学会員として)反応。

著者の言う通り、最終的には映画の内容を地でいった、日米間の不幸なすれ違いに終ってしまった一大プロジェクトの、日本では散逸してしまった資料をアメリカに渡って徹底的に探り、なぜ、どこで歯車が狂ってしまったかを描き出したドキュメントの傑作……などと私が言わなくても、大佛次郎賞をはじめ多くの栄冠に輝いているこの本の価値はあきらか。なによりも、日本人で、かつてこの映画のスタッフの一人であった人にも関わらず、黒澤サイドに偏らず、ハリウッド側のプロデューサー、エルモ・ウィリアムズの優れた人格も認めた上で、公平に、双方の言い分を検討している態度が素晴らしい。私自身は、黒澤の、自我肥大的な行動と幼児的なダダこねに、かなり彼に対する点数が辛くなってしまった。私のプロフェッショナル好き、アルチザン好き傾向もあるだろうから、これは差し引いて考えないといけないが。

ただ、これを読んでなお、ネットでの本書のレビューに
「黒澤の映画に対する想像を絶した完璧主義とこだわり(山本五十六ほかメインキャストに全くの素人を起用したのはほんの一例)に改めて驚くと共に、これほどの巨星が映画界に現れることはもうないだろう、という感慨に襲われた」
と書く人がいるのは、やはり黒澤神話がいまだ根強いという証拠か。と、いうか、いかに黒澤にヒイキ目に見ようともその最大の失敗は、上記レビューにもある、メインキャストに全くの素人を起用しながら、撮影の現場で、彼らに演技が出来ないということでカンシャクを
起こし怒鳴りまくったという、素人でもわかる失敗をやらかしたことだと思う(そう本書に書いてある)のだが。

考え方の違うハリウッドの人間ばかりでなく、日本人の現場スタッフが黒澤のやり方に反発し、ストライキを起こしている。明らかに、この時期の(この時期からの)黒澤は、“ちょっとおかしくなった”のである。著者はその意見をとっていないが、私はこれは、黒澤の精神の“病気”のせいだ、と信じる(著者も文芸春秋社のネットサイトでの野上照代氏との対談では、やや、そういう思いはあったようなことをほのめかしている。遺族への慮りがあったのだろうhttp://www.bunshun.co.jp/jicho/toratora/toratora01.htm)。

黒澤明は、脳の血管の奇形による、癲癇症の持ち主だった。
「脳の血管がクエスチョンマークみたいに曲っているって言われた。手術して治るかもしれないけど、才能は消えるかもしれないって言われたよ」
そして、思考形態が変わるのがイヤだからと、生涯、手術をこばんでいた、という。若いうちは芸術性の発揮に有効だったこの病気が、やがて加齢とストレスで、彼の中で、正常な人間関係を築けなくなるまでに精神をむしばんでいったのではないか(困るのは症状の発作が間歇的なことで、発症していないときは極めて普通の正常人なのである)。

ここから先は私の想像だが、日本映画界における大きな謎のひとつに、黒澤とは異なったフィールドで世界的名声を得ていた本多猪四郎監督(黒澤とは山本嘉次郎門下で同期)が、晩年、黒澤映画に“助監督(演出補佐)”としてついていた、という一事がある。本多組で助監督を務めていた梶田興治が、
「本多猪四郎ともあろうものが、いくら黒澤さんとはいえ、なにもあんな立場で仕事をしなくても」
と言うと、本多は一言
「俺とクロさんは特別な仲だから」
と答えて、それ以上の質問をシャットアウトしたという。これには、上記の問題がからんでいないか? 本多監督は、自らが防護壁になることで、畏友・黒澤明の晩年の名誉を守ろうとしたのではなかったか?……そう言えば、『影武者』では、『用心棒』以来のつきあいであった作曲者、佐藤勝が途中降板している。佐藤もまた詳しくは語っていない(『佐藤勝 銀幕の交響楽』)が、黒澤とスタッフの中が、後期作品ではかつてのように一枚岩になっていない、という印象が極めて強いのである。この件に関しては『フィギュア王』の連載の次の号に書くが、もう少し、突っ込んで調べてみたい問題である。

9時朝食、コーンスープ、ミカン、リンゴ数切れ。母に『砂時計』単行本1〜5までを渡す。エリツィン元ロシア大統領、死去。政治家としての功績はソ連解体で終った人だと思うが、それまでのソ連の冷たく暗いイメージを打破するのに、あの飲んだくれの親父キャラは大変に有効なものだったろう。辻留の主人だったか、日本に来る西欧の国家元首たちの大部分は刺身などを食べられないが、エリツィンだけは好奇心旺盛で生魚でも珍味でも、喜んでムシャムシャ食べてくれた、と書いていた。……酒飲みは、酒の肴ならば何でも食べてみたがる
人種なのである。自室に戻り、日記つけなど。

ちょっと必要あってウィキで“愉快犯”を引いてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%89%E5%BF%AB%E7%8A%AF
まあ、“グリコ・森永事件”などが例としてあがっているのは当然かな、と思ったが、その実例の二つ目。
※※
映画館の2階の客席から、嘔吐音を模倣しながら、1階めがけて生ゴミを投げ落とし、観衆を恐慌に陥れる行為も、愉快犯と言える。この場合はおそらく威力業務妨害罪が適用される。
※※
三つ記載されている実例の、あとのひとつはネットでの殺人予告。これだけ浮いているというか、スケール小っちぇというか。こんな事件、ホントにあったのか? 実例として挙げるほどポピュラーな事件なのか? あるいはこの記述自体愉快犯か?

それともうひとつ、開田さんの日記で知ったコレ。
http://www.japanprobe.com/?p=1615
なかなか燃える。

1時半、家を出て、新宿へ。万世のカウンターでハヤシライスを食う。うまくなし(まずくもない)。ハヤシライスってのがそもそも、そういう中途半端な食い物だからだろうが。

事務所へ出て、オノと種々、打ち合せ。困ったちゃんへの対策も。しかし、今日はひたすら、残りの時間は幻冬舎のゲラ直しにかけねばならぬ。とはいえ、鶴岡から某サブカルライターの離婚の情報などがメールされてきて、そっちで面白がってしまったりするのは困ったもの。ゴシップ好きだな、我ながら。

気を取り直して仕事場にこもり、ゲラ直し。とにかく、枚数のみ揃えて渡して責を果たした、というところのあった原稿なので、徹底した赤入れ、書きたしが必要か、と覚悟していた。そのために、資料も原稿完成後にもう一度充実させて整理したりしていた。……ところが、そう覚悟を決めて取りかかり、頭から読み直してみると、案外まとまっていて、過不足なく読み通せる、ということに気がついた。もちろん、他の単行本の赤入れに比べれば倍くらいの仕事量になるが、予想していたより全く軽く出来た。嬉しい誤算。6時ジャスト、編集のトテカワさんから
「今、渋谷です」
と電話があったときにちょうど、完成。

打ち合せで新刊の題名につき、ちょっとやり取り。幻冬舎は大変に私を著者として優遇してくれる出版社だが、およそタイトルについてのみは、これまであまり私の好むものをつけてくれたことがない。とはいえ、今回もアッチ主導で決まってしまうんだろうが。

終って、肩の荷を降ろした気分になり、トテカワさんとバーバラを食事に誘う。バーバラは新宿で講義があるので、と辞退したので、トテカワと二人で、『九州』へ。向うもやっとゲラチェックまで持ち込めたことでリラックスしたのか、話弾んで、ちょっとキワドイことまで聞けた(いや、社長のエピソードですが)。

馬刺し、からか鰯、魚ロッケ(魚肉のコロッケ。練物に衣つけて揚げたもの)など。生ビール、伊佐美水割り。小雨ぱらつき出す中、タクシーで帰宅。ちょっと酔いが回ってはいたが、さらに『トラ・トラ・トラ!』のこと気になり、この映画の中でジェームズ・リチャードソン提督(ハズバンド・キンメルの前任者。ハワイ基地は危険である、と大統領に進言したため更迭される)を演じているリチャード・カーネスが『刑事コロンボ・野望の果て』に刑事役で出演している、と資料にあるので、確認する。結局、最後まで『野望の果て』を見てしまったが、リチャード・カーネスは『トラ・トラ・トラ!』のリチャードソン提督役の俳優とは別人であった。

寝る前にメールチェックしたら、トテカワからメール。あれから編集部で打ち合せあり(!)タイトル決定とのこと。やはり、私の希望するものとはちょっと違う。1時半、就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa