裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

日曜日

わかもとよ体を鍛えておけ

美しい心がたくましい胃腸にからくも 助けられる日がいつかはくる

※だらだら続き

夢を見る。かわいらしい女の子と仕事の話をしながら街を歩いているのだが、その子がアレルギーだかなんだかで体中にぶつぶつが出来て痒いから、というので上半身ハダカである。ハダカはまずいだろ、と言ってもその子は気にしないでニコニコ笑っているので、若い子は何を考えているのだか、と呆れるというもの。

朝9時起床。朝食を9時半にずらしてもらう。睡眠時間が長くなったものだ。入浴、洗顔。9時半朝食、コーンスープ、イチゴ、オレンジ。サンプロで赤江珠緒見る。平日はスパモニ、日曜はサンプロ。いくら人気があるといってもこう出ずっぱりは視聴者に飽きられないか。実際、スパモニは渡辺宜嗣の頃より視聴率下がっているわけだし。

ベッドに寝転がり、読書三昧。朝日の書評委員になると、“本を読む時間拘束料”というのが出るのでこれも立派な仕事である。

読みながら藤井凡大『東洋の楽器による交響詩「西遊記」』聞く。2005年、没後10年記念のCD化ということだが、よくこういうものを出してくれた、と感謝。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009V7V0W/karasawashyun-22
楽曲解説の中で民族音楽研究家の小泉文夫が藤井のことを
「つかみ所のない怪物的存在」
と言っていたが、まさにこの交響詩などはその通り、日本の琴、尺八から笙、篳篥、横笛、太鼓、中国の胡弓、銅鑼、インドのサーランギー、シタール、ヴィーナまで動員して、西遊記の“渾沌未だ分かれざる時代”を表わしている。幽玄の奥深さにまでは至ってない、という感じが聞いてしたが、それは藤井という人間のあふれかえる才気が、まだおさまるところにおさまっていない、という雰囲気で、かえって藤井の天才性の証明になっているかもしれない。

それは小泉の方にも言えることで、“人類全ての音楽を聴いた”というほどの音楽への入れ込みは常人のなせるものではなかった。昔NHKでこの人の民族音楽番組を見て、その博識と情熱のよってきたる源というのはどこにあるのか、と感心より先に呆れたことがある。
天はこういう異才たちを長く地上に留め置かない。
藤井凡大、『新八犬伝』のテーマで私の世代に大きな影響を残しながら平成6年没、63歳。
小泉文夫、わが国に“民族音楽”の概念を定着させて昭和58年没、56歳。

新宿まで地下鉄、伊勢丹で買い物。地下鉄を待っている間にロフトのさいとうさんから電話。何か言いたいことがあったらしいが、何だかふにゃふにゃで終ってしまった。伊勢丹もすっかり変わって、私の行きつけデパートだった頃の雰囲気はまるでない。悲しいなあ。高野にも寄ってみたが、ここもなお変化凄まじ。

渋谷の事務所へ。雑用いろいろ。届いた書籍の整理など。鶴岡から電話、なかなか彼にハクのつく話。最近おさまった感じになってしまっているが、もっと暴れて欲しい。業界ゴシップいろいろ聞く。某氏が中野のキャバクラで、タメ口をきいたホステスを
「俺は×大を出ているんだぞ」
と怒鳴って殴りつけ、用心棒に叩き出された話などケッサクすぎ。他に某氏のライター廃業ばなし、某氏の病気ばなしなどなど。

途中で携帯に電話、橋沢さんからだった。飲みませんか、とのこと。よっしゃ、と仕事中断して、109まで行き、こないだの金沢のことなど話しつつすしだらけで飲み、その後新宿に出て幸永。すしと焼肉のハシゴってのも凄い。演技のこと劇団のこと仕事のことなどとりとめもなく。早く次の仕事がしたいねえ。いつもこの人と飲むと午前様なのだが、ホッピー飲み過ぎはしたものの何とか12時ギリギリには帰れた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa