裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

水曜日

浜のまさこは尽きるとも

世に皇太子妃の種は尽きまじ。

※帰京、朝日新聞書評委員会

朝8時の朝食まで寝る。以前はここの宿に泊まると早起きして散歩などしたものであるが、まあ、もうここらは十分に見尽くした。開田さんも寝ているが、出淵さんは下で仕事をしているらしい。

顔を洗って、食堂へ行くと、何やら簡易コンロに鍋がかかっている。聞いたら粕汁だとのこと。中はサクラマス(昨日のカルパッチョの残りだろう)、そしてワカメはじめとする海草数種が皿に盛られている。
「これはねえ、熱い粕汁にひたすと、とたんにあざやかな
緑色になるのだよ」
と、初めての人たちに自慢。確か最初にさんなみを訪れた時の朝ご飯だった。

他にも、干しカレイ、里芋煮、菜の花と蛸の酢の物、柚子胡椒乗せ豆腐など。酢の物、日本酒が欲しくなる絶品。しかし、フラットの朝ご飯と言えば、これまではずいぶんあっさり目の、基本的日本の朝ご飯、という感じだったのに、いったいどうしたのか。

今日はベーカリーが休みだというので、日当たりのいいベランダで、ゆっくりと読書。それを見たベンが
「コーヒー入レマスカ?」
と言ってくれる。私が答えるより先に、廊下からオノの
「お願いします!」
の声が響いて、やがて開田夫妻もやってくる。

Hさん夫妻は先においとま、ということで挨拶。なかなか旅を面白いものにしてくれる人だった。出淵さんも朝食後、こうでんさんの車で能登空港へ。残り4名でだらだら、ぺちゃくちゃとダベり。美食ばなしから恋愛論、愛人論、人生論。あやさんが次の旅行の話をしたら、開田さんが
「行きたきゃもっと稼げ!」
と。ところが、そう言ったとたんにあやさんの携帯が鳴り、新聞の小説の短期連載の仕事が飛び込んできた。旅行に行けという天のお達しか。

昼はベンが焼いてくれたピザ。やはりコンカイワシのものが絶品。和製アンチョビだが、アンチョビを凌駕しているのが、その発酵による深い味わいだよなあ。チーズとコンカイワシ、発酵食品同士の難とも素晴らしいコンビネーション。

こうでんさんも帰ってきて、さらにコーヒーのんでダベり、勝間酒造までおみやげにもう一回あやさんと連れていってもらったり。なんでも、南湖さんが買った商品に間違いがあったようで、連絡先を教える。それから、なかなか手に入らない名物のイカミソなるもの(イカと麹で作ったミソ)を手に入れに、何個所かおみやげ屋さんを回る。あそこならあるかも、という最後のところで手に入れた。こうでんさん、そこの人に向かって私を
「見たことあるでしょ? 明日『ピンポン』見たって!」
と宣伝してくれた。

また帰ってだらだら、しているうちに、もう帰りの飛行機の時間が迫ってくる。いやだよう、仕事したくないようという気持ちと、そろそろ仕事しなくちゃというあせりがちょうどいいバランスになっているかも。

人数が少なくなっているので、こうでんさんの車に全員相乗り。能登空港まで、自身でショートカット路が使えなくなったので早めに出る。トモとエミリーにもおわかれを言って。なんと
「K子先生が今回来られなかったので」
とワインをいただく。空港までの道を、こうでんさんは今回、何遍往復したか。
「しかし、言われなきゃ空港までの道と思えない、単なる田舎道だよねえ」
と言うとこうでんさん、
「出淵さんと南湖さんにも同じこと言われました」
と苦笑。

能登空港でやっとモバイル通じる。原稿催促、火のついているところもある。まあ、当然か。こうでんさんと握手して別れ、機内の人に。
羽田まで無事何事もなく。東京はかなりの雨。そこから私だけ、直接朝日新聞に。到着して、こないだ作った通行証受け取り、会議室へ。もうすっかり仕事モードに。少し早めに着いて、第一番に本を選ばせてもらう。今回は前回に比べ、特に、というものなし。

出された寿司を食い、担当Kさんにイカミソ進呈。巽孝之氏と金沢の話、それから米澤さんの話。しかし、巽氏のSFというジャンルへの信奉心にはある種感心。まあ、全てのものをまず、そのしょうもなさから認識して入り、
「こういうものにかかずりあうのも世間のしがらみ、家庭の事情」
という諦念から介入するのが常である自分とは人生観が違うのだと思う(実は深くのめり込んで失望したくない、という臆病さもあるのだろうが)。

私の愛したSFは、ミステリは、映画は、いや人の生き方は全て生を受ける前の、手の届かないノスタルジーの彼方にある。それだから、これこそは今現在の素晴らしさ、である金沢・能登の美食、美酒に酔ったのかな。

本を選定後の打ち合せ、今回はほぼ全ての本が他の委員の方々とダブり、取られてしまったが、まあいいか。ジョナサン・フィリップス『第四の十字軍』は柄谷行人氏から譲られ、柴田哲孝『日本怪魚伝』は欲しかったのだが誰だったかに取られた。

終って、また『アラスカ』でちょっと飲み。委員のお一人である鴻巣友季子さんと、編集部の方と“翻訳の中での大衆文化固有名詞の珍訳”で盛り上がる。『明治大正翻訳ワンダーランド』の頃からファンだったが、やはりこの人は面白い。

あと、編集部の女性の方が、上野の西郷さんの連れている犬を“ハチ公”と思っていた、という話。実はこれ、ネットで調べると案外、そう思っている人が多い。あと、外国映画のタイトルを最近はそのまま邦題にするがあれはいかがなものか、という話に、柄谷先生がワインに酔っぱらって入り込んできて、何遍も同じ話をされるのにちょっとまいった。

そのあと、K氏と飲みに行きましょう、とねだってハイヤーに乗り込む。和の○寅にしようと思ったが水曜で休み、じゃああっち、いやこっち、と数転の後、結局また虎の子になる。ちょうどいい、勝間酒造で買った梅酒をキミちゃんにおみやげ。

K氏、今日はサラリーマンモードで、私の執筆態度にいろいろ意見をしてくれる。耳に痛いことあり、つくづく有難い。私はよく友人、担当のおかげで人の道も踏み外さずやっていける、と内心手を合わせるが、じゃあ私は変わるか、というと変われないだろうな、と思う。K氏は私のことを以前からその実像以上にかいかぶっていてくれる、まず第一の人なのだが、最近の私は、上で書いた諦念をまず、自分自身に対しても抱く気持ちがますます強くなっていて、これは年齢のせいだと思うが皮肉屋になりつつある。不思議なもので、朝日の書評委員になるほどの社会的地位を得て、丸くなるかと思えばなおのこと、世の中に対し、嫌悪感が強くなっていく。能登に隠居でもすればいいのだろうが、いやいや、その前に世間にもう少し、イヤミを飛ばしてからでないと消えてやるもんか、という気持ちもまた、強いのである。

タクシー代をこれまでK氏に請求していたのだが、聞いたら、これは原稿料と共に交通費の名目で振り込まれている、とのこと。帰りのタクシーは執筆者接待で出してくれた。申し訳なし。ひさびさの自宅、K子が掃除しておいてくれていた。今日の委員会で取り損ねた本が、出版社から寄贈されていたのはちょっと嬉しい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa