裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

火曜日

ろくろ首さされ組

 高井麻巳子の首が夜中にすーっと伸びて……(岩井由紀子でも可)。朝7時起床。入浴、洗顔歯磨等如例。8時朝食、バナナ2/3本。リンゴ三切。テレビで萩原健一逮捕のニュース、各局が流していた逮捕前のインタビューがとにかく圧巻。自分で売り込んだインタビュー会見だったらしいが、それでキレちゃいかんだろう。いや、一 人の人間が“壊れていく”過程が見られる貴重な映像であった。

 だいたい、ツッコミどころが多すぎる。
「彼女(秋吉久美子)は、女優と言っても、今井(正)学校や黒沢(明)学校で学んだわけじゃないから基礎が出来ていない」
 って、秋吉久美子だって山本薩夫、新藤兼人、山田洋二といった巨匠と仕事しているわけで、これはそういう映画人(のファン)たちを敵に回す発言である。だいたい今井正とショーケンは仕事していたっけ。今井監督の教え子だった斎藤耕一に可愛が られていたから、自分も孫弟子くらいに思っているのか。

「俳優なら読み合わせのときまでに脚本の中の字くらい広辞苑で調べてくるべきなのに、彼女は現場で聞く」
 ……たしか『前略おふくろ様』で萩原健一は
「故郷に錦を飾る」
 という台詞を
「故郷にワタを飾る」
 と読んだというのが伝説だったんじゃなかったっけね。まあ、それを報じたレポーターの女性が
「萩原さんは次第にキショクばんで……」
 と言っていたのを聞くと、こういう男の言葉であってもきちんと自分のこととして受け止め、反省せねばとは思うが。

 各局ザッピングしてみていたが、テレ朝がやたらに
「声が裏返る」
 ところにこだわっていたのが何かヘンだった。TBSは視線の定まらぬところがお気に入り(?)だったようだ。どの局も明言していなかったが、一様に言外にくの字とすの字とりの字のことを匂わせてはいた。警察も“証拠隠滅の恐れ”とか言ってい たし。

 とはいえ、こういうキチガイが業界を追放されるかというと、たぶんちゃんと復帰していく、という過程が見えるというところがテレビや映画という世界の特殊なところである。確かにホンモノは余人に代え難いのだ。岡田プロデューサーだって、訴えたのはあきらかに金がらみであって、脅迫におびえたからじゃない。暴力団の名前出されたくらいでビビッていたら映画製作はつとまらない。私のやっていたような弱小芸能プロダクションでも、第三国の方々とか右翼の事務所にしょっちゅう足を運んで いたくらいですから。

 10時半まで自宅でメールしたりなんだり。それから出勤、仕事場で朝の雑用していたら、掃除のおばさんが来る。いつもそういう日はK子が仕切る(うちの仕事場が終わると彼女の仕事場をやる)のだが、今朝は出かけるときも何にもそんな指示がな かった。電話してみると
「ヤバい!」
 と叫ぶ。彼女もまったく忘れていたらしい(ウチの女房にしてみれば珍しい)。彼女も仕事で自宅を離れられないので、今日はこっちの仕事場のみで帰ってもらう。見 事なシイタケをオミヤゲに貰った。

 5分で昼食(いつもの三品)詰め込み、12時半、東武ホテルへ。フジテレビ『広告大賞』打ち合わせ。そこから時間割に移動しようと思っていたのだが、チーフプロデューサーさん、制作部の人二人、アシスタントの女性と大人数でロビーのソファが足りないのですでに脇のレストランに入っていた。制作部の人の一人が、以前うちの会計事務所と一緒に飯を食った制作会社の人だった。彼にこちらの連絡先とかを聞い たらしい。なるほど。トリビアのスタッフが教えるわけないと思っていた。

 私は結局雑学コーナー担当のみになる。アイデアと、CM雑学ネタを思いつくままにいくつか披露。なんだかむこうはもう私がすっかりテレビ業界のベテランと思っているらしく、安心しきって、逆にアイデア等頼ってくる。大丈夫か。基本路線のことのみ話して“後は決まったら教えてください”と早々に切り上げ、帰宅して急いでコミビア台本にかかる。今日中に五本仕上げねばならないのである。とりあえず、ゲス ト出演者のいる一本をアゲて関係者各位にメール。

 そのあと、『世界一受けたい授業』のこないだ収録したネタの裏付け資料サイトを調べてメールし、別に単行本用コメントを書いてメールし、小学館のテレビ雑誌の、この番組宣伝記事用インタビューの打ち合わせなど電話で。なるほど、ハタから見れ ばテレビ業界人に見えるかも。

 気圧乱れひどく、なかなか書けずあせるままに4時、急いで時間割。ビジネス社というビジネスハウツー、また渡部昇一とか谷沢永一とかの本を出している出版社の編集Oさんと打ち合わせ。と、いうと何か保守思想系の本でも出すのかと思われそうだが、Oさんは『MAD』のファンで、そういう硬派なナンセンスパロディ誌を、最初 は雑誌では無理だからムックで出したい、のだそうで、その相談。

 しかし、今の日本に小野耕世さんより下の世代で私以外に『MAD』のファンがいるとは驚いた。最初のメールにそうあったので、手持ちのMADのペーパーバックを何冊か書庫から引っ張り出して持っていったのだが、Oさん驚き、喜んでいた。向こ うも“今の日本に自分以外にMADのファンがいるとは”と思ったのだろう。

 しかし、そういう狭い趣味で作る雑誌が若い人にわかるかねえ、という懸念があっ たのだが、聞くと
「団塊の世代向けのギャグ雑誌」
 であるらしい。団塊の世代が雑誌を買うかという疑問はあるが、しかし少なくとも理解はされそうだとは思う。企画書のメンツを見ても、マッド・アマノ、南伸坊、赤瀬川源平と懐かしい名前ばかり。植木不等式氏の名前があったが、私と氏が一番若いのではないか? 副島隆彦氏の名前があるのに苦笑。もし執筆することになれば呉越同舟。どどいつ文庫の名前を紹介しておく。私はパロディ取材記事をやることになる ようである。

 話し終わって、また仕事場にもどり、コミビア続き。なにしろ明日収録なので、あまり凝った小道具とかは揃える時間がないので使えない。シチュエーションのみで笑えるような内容にすべく頭を絞る。予約していたマッサージもキャンセルして、6時半、7時半、8時半と1時間ごとに一本書き上げて送り、そこでタクシーで帰宅、自宅で最後の一本、9時半に書き上げて送る。フー。5本一気書きはなかなか凄い。一 気と言っても間に打ち合わせがはさまったので一日かかったが。

 普通こういうコーナーの台本というのは、最初こそキツいがパターンが決まってくると後は惰性で楽に書けるようになるものなのだが、このコーナーの台本に限っては後になればなるほどよりキツかった。みずしな孝之さんの『うわの空注意報』の中で私(のキャラ)が言っているが、私と助手のからみのパターンを2クール24回(プラス一回)、毎回違った形にしよう、と決意したから、なのである。と、いうことはつまり、一回使ったアイデアはもう二度とは使えないという縛りがあるということである。その上で毎回雑学は披露しなくてはならないという、企画からしての縛りがある。で、その条件二つをクリアして、なおかつコントとして笑いをとろうという、かなり難度の高い枷を自分に課していた。当然、後になればなるほどネタ切れになって くるわけである。

 こんな無茶をやろうと決意したのは、以前、ビデオで『悪魔くん』(実写版)を改めて見て、メフィストを悪魔くんが呼び出すパターンに一回として同じ形がないのに仰天して(これは言ってみれば仮面ライダーの変身シーンが毎回違うみたいなものである)、それに大感動し、いやしくも台本を書く身であればこれを目標にせずんば、 いや挑戦せずんばという気持ちで始めたものだからなのである。

 しかし、毎回パターンを変えるなどと気軽にかかったのだが、いや、これがつらいつらい。なんでこんなにつらいのかと考えて見ればアタリマエの話で、『悪魔くん』は10人の脚本家が交代で26話しかない話を書いていたのである。1人2.6話である。私は『コミビア』の全25話を一人で追っかぶって書いていたのであった。し まった、早く気がつけばよかったと思ったがもう遅い。

 しかし、結果うまく行ったかはともかく、25話、毎回全部違ったパターンで構成することだけはなんとかやり遂げた。助手役のおぐりゆかにも、白衣姿からワンピース、コート、サングラスの謎の女、バレー選手、花嫁姿、ヘビ女と、衣装を変えてさまざまなパターンを演じてもらい、また男言葉、ブリッコ、夢見る乙女など七変化をやってもらって、バラエティに富ませるという所期の目的については、その責を果たし、まずまず、質さえ問わずばやるだけのことはやった、という満足感はある。

 このコーナー、人気もかなりあるが次のクールも継続するか、という問題については、諸般の(主に経済的)事情でいまだ微妙。しかし、私としては、出来れば続けたいという気持ちと、もしまた25話続けるとなると、引き出しは大丈夫か? という 不安とが半々といった具合なのである。

 9時45分、夕食。私と母とで(K子は語学)。鶏鍋と横綱飯。久しぶりの横綱飯(卵黄、カツオブシ、ミョウガ、ノリ)がうまいうまい。ライブドアのニッポン放送株買収のニュース見て、自室に帰ってミクシィ、またメール。ネットテレビのDVD録画したやつを見る。水割り缶二缶。カナ(宇多まろん)がミクシィやめたみたいである。何かあったのかと、ちょっと心配。就寝1時。いささか飲み過ぎ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa