裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

木曜日

ボーアだからさ

「このモデルで原子の構造が統一的に説明できるだと? 何故だ?」 朝、7時10分起床。どうにも早起きで困る。朝食、ソバ粉焼き。K子も食べてみたいというので一枚焼いてやるが、密度がパンに比べて高いので、食べでがありすぎ、残りは明日、と半分残す。

 日記つけ、風呂を使い、K子と一緒に家を出る。中野区役所に転居届を出すためである。これだけならK子が一人で出来るのだが、印鑑証明もローンのために中野区で 取らねばならぬ。こっちは本人がいかねばダメなのである。

 二・二六だけに、マンションの前の慰霊碑の周囲に黒い服を着た人たちがずらりと並んでいた。アノ事件は大雪の中だったが、今日は春真っ最中、みたいなポカポカ陽気。その中を、ライオンズクラブが寄贈したライオンの像が入り口前にある中野区役所へ。印鑑証明登録を、窓口のおばさん(とお姉さんの中間くらいの年齢の女性)の指示に従って手続きする。で、手続き終わり、受け渡し待ちの番号札を渡されたところで、K子が“あとは私が受け取っておくから、帰っていいわよ”と言うので、中央線で新宿まで出て、小田急で昼飯用のウナ弁を買って、あと、紀伊国屋書店にもよろうと思ったが打ち合わせもあるのでそのまま帰宅。帰宅したとたんに電話が鳴り、出ると中野区役所のおばさん(とお姉さんの……)だった。なんと、印鑑証明というのは受け取りも本人でないと出来ないそうで、K子は私に連絡がとれるまで約一時間、窓口で待ちぼうけをくわされているらしい。紀伊国屋に寄らないで正解だった。とはいえ、窓口で“本人でないと受け取れない”と言われたとき、彼女がいったいどんな表情になったか、と思っただけで吹き出しそうになった。

 とはいえ、向こうで“どうなさいます?”と訊くが、これから中野にとって返すわけにもいかない。“彼女に代理での受け取りを依頼するってのは出来ませんか”と言うと、“では、ご本人さまということを確認させていただきます”と、“干支は何ですか”“本籍はどちらでしょう”とクイズみたいなことをやって、どうやら気がすん だらしく、OKが出た。何かアホらしい。

 昼は買ったウナ弁とマイタケの味噌汁で。1時半に家を出て、ブックファーストで紀伊国屋でする筈だった買い物をし、2時、東武ホテルロビーで『ダ・カーポ』ライターのS氏と落ち合う。そのまま“時間割”でインタビュー。文章技術の特集で、中野貴雄と辛酸なめ子をサブカル系名文家として取り上げたので、二人の文章について講評を、という依頼。辛酸さんはともかく、中野貴雄を名文家としてほめあげているのは世の中で私くらいだと思ったので、ナンで彼に注目しましたかと訊いたら、やはり、『シネマ獄門帖』を取り上げた『編集会議』の記事であったとか。サブカル系の文章の特質は基本的に、“なにかオモシロイもの”へのナビゲーションであり、この二人はそのナビゲーター、もっと言えば見世物小屋の呼び込みの両大関である、と持ち上げる。中野監督の表現はアッパー系、辛酸さんはダウナー系のナビゲーターであ るが。

 一旦帰宅、まだ体が本調子でないようなので、一時間ほど横になる。風船から空気が抜けるように、ふしゅう、という感じで息をついて、そのまま半覚半睡の状態に落ち込んでいく。かっきり一時間休んで、4時、再び時間割。村崎百郎氏と『社会派くんがゆく!』対談。対談そのものはいつも通りに進む。その後でサインを。書店用も含め、40冊にそれぞれ二人でサインをする。なかなか時間がかかる。それでも評判は上々で、紀伊国屋新宿本店などでは『バカの壁』『蛇にピアス』と並べられている そうである。なんじゃそりゃ、と村崎さんと笑う。

 6時半、そこを辞して、また東武ホテルへ。何か今日は東武ホテルと時間割を行ったり来たりの繰り返しである。日本テレビ『メレンゲの気持ち』スタッフの人たち。そのままレストランで打ち合わせ。基本はこのあいだの『爆笑問題のススメ』と同じコンセプト。ただまあ、土曜お昼の番組ということで多少女性向けになる。また例のメモノートを持ってきてほしいということ。続けて見た視聴者は、このカラサワとい う男はなんと引き出しの少ない奴か、と思うことであろう。

 打ち合わせ終わり、タクシーで新宿5丁目まで。角の伊勢丹パークシティにあったクイーンズシェフが無くなっているのが寂しい。厚生年金会館近くのドイツレストラン『カイテル』で飲み会。昨日会ったばかりのS山さん、植木さん、I矢くん、S井さん、それにK子。すでにワイン開けて、ソーセージ盛り合わせをみんなでつついているところであった。みんな、なかなかうまい、凄いと口々に言っている。私は遅れ て到着したので、カケラ数個貰ったのみ。

 他の皿で取り返そうと、植木さんとメニューを眺め、前菜盛り合わせ、ドイツ風オムレツ、クネーデル、タルタルステーキ、そしてアイスバインなど頼む。前菜は魚の酢漬けが大変結構。“このニシンはうまい”と言ったら、“アジよ、それ”と、店のおばさんに訂正された。なにか、この店のヌシみたいなおばさんで、S山さんに“アナタ、よく来ていたわね”などと言っている。こういう、店が客よりいばっているところは苦手なのであるが、まあ、いばられても仕方ない味であることは確か。ピザみたいに薄く焼いた卵に具を乗っけたオムレツも、ペースト状になるまで叩いたタルタルも、他の店とはひと味違っている。中でもクネーデル(肉団子)は、子供の握りこぶしくらいなものが二個、ホワイトソースと共に供されたが、肉がぎっちりと詰まっている感じで、絶品。最初はワインだったが、“やはりドイツ料理ならビールで”とアルトビールを頼み、さらにシュナップスをクイクイとやる。たまらぬ。

 ダジャレ、人のうわさ、ちょいとは真面目な話、全然真面目でない話と、次から次へ。レディーファーストは、部屋の中に誰か危険な奴が潜んでいないか、女性を先に入れて確かめるために発明されたものだ、とS山さんの説。気のまったくおけないメンツなので、リラックスの限り。食べ終わってまだ9時半、せっかく二丁目の近くだし(と、言うと誤解を受けるが)、またソバで締めようとへぎそばに行くが、満員。植木さん行きつけの沖縄居酒屋『島の人』へと足を向ける。風がかなり寒い。いきなり冬に戻った。カウンターに6人並んで座り、泡盛古酒で再度乾杯。カウンターの主人が、“今日はいいヒージャ(山羊)があるよ”と言うので、それはいい、ヒージャヒージャ、と酔いにまかせて連呼する。皮付きのヒージャ刺身と、ヒージャ煮込みが出た。煮込みと言っても、ざっとした塩味以外は何も味付けをせず、茹でた肉にニンニク、ショウガ、塩をまぶして食べるもので、腸やレバなどの内臓(ナカミ)も一緒に茹でられている。沖縄に行ったときも、一般の居酒屋などでは出なかったし、匂いだけで敬遠する人の方が多いと思う……が、これが旨い! シュナップスと泡盛ですでに酔いが回っていたせいもあるだろうが、臭みも全く気にならず、というより“この臭みが山羊の醍醐味”という感じで、みんな感激、特に私は大感激、ンまいンまいと声をあげつつぺろり平らげた。カウンターの端に座っていた、ウチナンチューらしいオジサンが、ヤマトンチューでこんなにヒージャを喜んで食べる連中は珍しい、と喜んでくれたか、ひと皿こっちにおごってくれた。なんだかんだ騒いで、帰りにママさんが“じゃあ、その泡盛はボトルキープしておきますか”と言って、そうですねえとボトルを持ち上げたら、もう一滴も残っていなかった。全身から山羊の匂いをプンプンさせつつ、ご機嫌で帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa