裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

土曜日

風の俗のナウシカ

 青い服着た風俗嬢と昆虫プレイが出来るってこの店? 朝、太宰治(?)になった夢。部屋で原稿用紙に向かっていると、その脇に情婦らしき若い女が座り、身を寄せてきていろいろ髪の毛で耳をくすぐったりちょっかいをかけてくる。それでも原稿を書き続けるが、やがてこっちも欲情してきて、ガバ、と抱きすくめて畳の上に倒れ込み、キスする、というエロ夢。とはいえ、別段、目覚めて興奮したりしているわけで もない。破滅型文士のパターンのパロディとして見ていたらしい。

 朝食、ふかしサツマイモに青唐辛子味噌。なぜ、こんなに脳天に汗をかくほど辛いのに、舌がヒリヒリしないのだろう(翌日のトイレでもあまり感じない。普通、唐辛子系を食べた翌朝のトイレは、辛さを二度感じる、ということになるのだが)。かつおぶしがやはり大量に入っているからか。不思議な味噌である。癖になりそうだ。

 12時半、半蔵門線で神保町へ。古書会館に行くが、カン違いしていて今日は古書市がない日であった。仕方なく、すずらん通りを回って、十冊ばかりあちこちで本を買う。こういうときには普段はあまり手を出さない分野の本を買う気になるのが自分でも面白い。『最新・世界の葬送事典』(松濤弘道・雄山閣)などというものを買った。白山通りで、これはいつもの神田書店など回る。いもやはまたも長蛇の列、角の(以前ゲーセンだった)ところの旭川ラーメンの店でつけめん食べて昼食。

 半蔵門線で帰宅。横になって戦史関係資料を読む。電話あり、講談社フライデーからゲラチェック用のものFAXするという件。晩白柚を送ってもらった自衛隊員の方から、このあいだの日記の警務隊についてまたご教示。先日の事件ではテレビで、まるで自衛隊が権力をカサに着て警察の介入を断った、というような扱いだったが、実際のところは警務隊の存在理由は、自衛隊が権力により自由にされないため、という意味もあるという。郵便局に郵政監察局があり、国会には衛視がいる。いずれも、警察を勝手に踏み込ませず、自治権を保つために存在する。警察官はたとえ警察手帳を呈示しても、許可無く基地に入ることはできないとのことである。一方で、警察と自衛隊は意外に密接に協力関係をもっており、SATが自衛隊の施設で訓練をしたり、自衛隊の基地内に警察や消防のヘリコプターがあったりもするし、皇室行事や日教組大会等、地方で機動隊の大量動員があるときは、近くの自衛隊基地・駐屯地に機動隊 がバスで来て宿泊するのだとか。

 アスペクトからのメールで『社会派くんがゆく! 死闘編』献本リスト作成。この数冊、新刊の献本を怠っていた(非常に仕事がドタバタしていたため)のだが、その短期間でも、送り先などの住所が変わったりしたところ多々で、新規リスト作成には大いに手間がかかる。サイン本プレゼントがあるオンライン注文が殺到しているようだが、女性からの注文の比率が大変高いそうである。やはり、書店で買いにくいか、 こういう本は。

 夕方6時15分、渋谷駅前。おれんちにうわの空の島優子さんとベギラマを連れていくという趣向の食事会。ハチ公前は当然のことながらえらい人出。ベギの顔を探していたら、島さんに先に逢った。ベギはつわりが出て体調が凄まじく悪く(留守録が携帯に入っていたんで聞いたら、ポカリスエットも戻すという凄いものだったとか)欠席で、代理に小栗由加さんが来るという。全然お腹が目立たず、こないだのライブのときも“妊娠ってホントウかいな”と思ったベギラマであるが、つわりが出たということは順調にお腹の子は育っているのであろう。残念だがまあ、子供を持つということはそういうことなんである。

 小栗さんとも無事落ち合えて、少し東横線改札前で待つ。いろいろとうわの空の話を聞く。島さんとベギのコントは劇団内では“美人コント”で通っているとか。島さん“最初は周囲でからかってそんな風に言ってるだけだったんですけど、最近、自分でも恥じらいなくそう言えるようになっちゃったのが何ともですねえ”とボヤくように言うのが笑える。このあいだ、ライブの打ち上げでうわの空の専属カメラマンさんが撮ったという女優陣の写真を見せてもらったが、これがしかし、みんな見事に美女 なのですね。私より座長の村木さんが感心していたくらいだ。

 K子来て、7時32分渋谷発の特急に乗り込む。発車間際にS山編集長も乗り込んできた。武蔵小杉まで15分、駅から歩いて15分。話し相手が多いとすぐに着く。植木さん来ていた。と学会東京大会2003のビデオを手渡す。実行委員の参考のため。少し遅れてI矢くん。ベルギービール、今日のはルフェーブルなんたらというやたら長い名前のビールで、お母さんが覚えきれずに紙に書きつけて、訊かれるたびに読んでいたのが可笑しい。それで乾杯、とにかく島・小栗の二人にトリを、と、ぼんじりの塩焼きに塩レバ刺し、あと鴨のダッチオーブン焼きを頼む。実はぼんじりというのは、鶏の尾骨の周囲の肉で、一時凝って食ったが、あまりの脂濃さにトシをとるに従いヘキエキしてきて、ここ数年遠ざかっていた。ここのぼんじり焼きは、強い火力によってその脂を適度に燃やして、そしてその燃やすことで周辺を揚げたようにカリカリにしており、コレハという食感と風味のものになっている。レバ刺し、鴨はも う、言うまでもなし。

 あとは海鮮。イイダコがあるというので、茹でと唐揚げと両方頼む。最初に出てきた揚げダコの香ばしさと、噛みしめたときに、旨みを吸った油がジュッと舌に染みる味わいは格別なものがあったが、しかし、何も加えずにタコ本来の風味を堪能できる茹でダコに、今日の軍配は上がったように思う。それにしても大きなイイダコであった。頭がたぶん、女性の握り拳くらいあったろう。島さんと“普通、イイダコって、 親指くらいだよね”と話す。

 で、次がお造り盛り合わせ。ミル貝、鰺、ホタテ、ウニ、シメサバ、キンメダイ、イワシといった面々がずらり。ひな祭りの飾りのような色の鮮やかさ。一同賛嘆しながら食べていると、若大将が“今日はこんなのどうです?”と持ってきたのが、水槽の中にいた、巨大なるセミエビ。こないだ(なんと今週の月曜日だ)はウチワエビを食ったが、セミエビはそれよりはるか見かけがゴツく、そのまま特撮映画に出しても怪獣役が務まるだろうという面体。ただし、いかにも高価そう。結局、一番食指を動かした植木さんがポケットマネーでみんなに奢ってくれることに。感謝々々。シュールレアリズム美術の真髄をエビの固く醜い甲羅の中の美肉に例えたのはダリであったかと記憶しているが、まさにこのセミエビ、外見を裏切る繊細かつ甘味きわまる至味であった。小栗サンがもう誰かに知らせたくてたまらん、という感じでメール写真を撮り、“ごめんね、牧んこ(ベギの本名の牧沙織から)、ゴメンネ!”と言いつつ、自慢メールをベギラマに送っていたのが笑える。そう、ここの店に来るとみんな、そ れをやっちゃうんだよ。

 酒はベルギービールの後はスタウト、それから焼酎『大石』。だいぶみんなに酔いが回ってきたあたりでみなみさんが見えて、ベルギービールの、これまた聞いたことのないのを飲んでいた。最後はオムライス、それとソバ。こういう取り合わせは大衆食堂のあの雰囲気で、しかも味はどちらも、その専門店なみの味なんである。不思議な店であって、われわれがどうしようもないダジャレとオタクばなしで盛り上がっているのを見ながら、そこの奥の席でひとりニコニコとビールを飲んでいるみなみさん (この店の紹介者)の姿が、何か美味の福の神みたいに見えてきた。

 支払いのとき、うわの空の二人におごろうとしたら、“おごられると、次、来にくくなりますから”と言われた。私は芸能プロダクションの社長としての慣らい性で、役者さんや芸人にはおごらなくてはいけない、という強迫観念が常にある。それは裏返せば弱小プロダクションとして“いつも少ないギャラですいません、せめてメシくらいは”という意識の現れでもあるわけだし、メシをおごるかどうかと言うのは、芸能プロの、実はかなり大きな部分での評判に関わる。何かでプロダクションに対する 苦情が現場から上がるとき、大抵の場合、まず最初のものは
「あそこの社長はメシもロクに食わせない」
 なのである。何度もそういう台詞(幸いにもヨソのプロダクションへの台詞)を若手から聞いたし、私自身も駆け出しの物書きだったとき、打ち合わせにいったW出版という会社の社長が、てっきりおごってくれると思いの他、そうでなかったことに、かなり長い間、こだわっていた記憶がある。食い物の怨みは恐ろしいのだ。考えて見ればうわの空は私は単なるファンであって、別におごらずとも義理は果たせるのであるが、やはり尻の穴がむずむずするような落ち着かない感じを抱いてしまう。せめて も、と酒代だけでも持たせて貰った。

 何とか特急のある時間帯に間に合い、雑談しているうちにもう中目黒。降りてタクシーで帰宅。携帯にベギラマから留守録が入っていたが、ホントに死にそうな声だったので、かわいそうにと思いながらも、その状態のところに、あそこの料理の写真が次々送られていったか、と思うと笑えてきてしまう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa