2日
月曜日
気違いがわかる男ネスカフェゴールドブレンド
あいつは狂ってるよ、ダバダ〜。朝7時半起床。ウツラウツラしている間に見た夢で、私は若いメカケを囲っている。いそいそと妾宅に出かけていくと、そこは粋な黒塀、見越しの松……ではなく、デカいロッジのようなところ。体育館並みに天井が高い家に彼女が一人で住んでいて、板敷きの広い部屋の真ん中に畳を数枚敷き、そこでコタツに当たっていたりする。部屋々々の出入り口にしゃれたのれんをかけているセンスを私は褒めて、彼女の膝を枕にしながら、高い天井を見上げて“ここならバレー ボールができるなア”などとぼんやり思う。
朝食はソバ粉パンケーキにメイプル・シロップ。メイプル・シロップはインシュリンの助けを借りずに体が取り込める理想の糖、とか『システム料理学』の丸元淑生センセイも勧めていたっけ。確かめたら、ソバ粉も朝食には絶賛であった。何かうれしい。昼にはかなり体に悪そうな油ギトギトのものが食べたくなり、朝はとにかく体によさそうな食物繊維などを食べたくなる。この違いはどこから来るのか。
起きたときから外は雨。どうにも体が動かず、脳内にボーッと霞がかかったよう。宅急便などを受け取るとき、廊下に甘いパイプタバコのような香りが漂っているのに 気がついた。お線香か?
アスペクトK田くんから電話、週末に贈った『社会派くんがゆく!』のコラムゲラ原稿、いかがですか、と言う。受け取った記憶が全くないのでそう言うと、向こうも驚いていた。あわてて、居間を探すがどこにも見つからず。よく、受け取ったものをそこらにうっちゃったまま忘れてしまうことはよくあるが、言われれば思い出すのが普通。実際に受け取っていれば、何かちょっとした記憶くらいはありそうなもんなので、たぶん、何かの間違いで着いていないと思う。FAXしてもらって対応すること にする。
昼は傘さして外出、パルコ前のねぎしで牛タン定食。寒々しい。味も気温も。帰宅して、アスペクト原稿赤入れ。字句修正程度だが、一本、対談本文中の内容とダブるものがあったので、これの差し替え(400字)書き、4時、FAXで返送。どうにも眠くてたまらず、しばらく布団に潜り込む。新中野に住居を移したら、寝室を全部書庫にできる、と思っていたが、こういうこともあり。仮眠用のソファくらいは用意しておかないといかんだろう。猫を抱いてやったら、うれしそうにノドを鳴らして、 珍しく私の腕の中でじーっとしていた。
夕方、起き出して日記つけなど雑事。ネットを回覧していたら、東浩紀氏が、自分のブログの2日付けの記で、徴兵制に対してヒステリックなほどに忌避を表明していた。“忌避”と広辞苑で引くと、例文に“徴兵を〜する”と出てくるのにいつも苦笑していたが、まさに辞典の例文になるか、と思わせるくらい徹底した忌避で、もし日本がどこかの国と交戦状態に入って、自分が徴兵されるようなことになったら、裏切り者と罵られようと投獄されようと家族に石が投げられようと、国外逃亡でも何でも試みて、それを避けるだろう、というようなことが書かれている。
http://www.hirokiazuma.com/blog/
東氏が徴兵をどれほど忌み嫌おうと自由だが、仮にも学者と名乗るのであれば、少しは冷静に、果たして現代日本で徴兵制度などというものを敷くことが可能であるかどうか、考えてみたらよかりそうなものである。右寄り論客の中にも、徴兵制復活を唱えるものがまだいて、いつもバカだね、と思っていたのだが、それと立場こそ正反対ではあってもレベルが同じというのは、決して褒められたことではあるまい。もちろん、東氏の言いたいことは徴兵制そものではなく、その先のことなのだろうが、オタクを論じるときもそうだったように、この人は、その話の起端となるところのカン違いでつまづくのがルーティンになっているようだ。不勉強ぶりに関しては相変わらずである。
徴兵制度アレルギー的なマスコミは、戦争の第一段階がまず徴兵制である、と、徴兵のチョウの字さえ嫌悪し、これを連想させるあらゆること(例えば以前にちょっと提案が上がった青少年に対する奉仕活動の義務化など)を軍国主義化の第一歩、とわめきたてるが、すでに世界において徴兵制度は時代遅れのシステムになりさがっているのである。それが何より証拠には、上記マスコミや平和運動家たちが口をきわめて侵略国家の親玉、軍国主義の権化、ミリタリスティック・アニマルと罵倒してやまないアメリカが、今や徴兵制国家ではなくなっているではないか。プロの軍人による少数精鋭制度の方がずっと戦争効率がよろしい、ということに、とっくの昔にアメリカは気がついているのである。しかも現代戦は通常兵器ですらハイテク化しており、きちんと学習・訓練を受けた専門家でないと扱うことすら難しい。無理矢理徴兵された兵隊というのがいかに役に立たないかは、イラク戦争のときの、あの大量の投降兵たちの姿を見れば一目瞭然であろう。ヨーロッパはフランス革命の伝統から国民皆兵が国家の原則(徴兵制というのは、もともと王の私兵から自国の防衛権を主権者である国民に取り戻そうという、民主主義の思想なのだ)であったが、フランスもイタリアも徴兵制は廃止に向けて動いているし(もうされてたっけな?)、アジアではなんとあの人民解放軍を有する中国までもが、徴兵制度見直しの動きを見せている。いずれも、“あまりに効率が悪い”のが最大の原因である。
なにより、徴兵制度を行おうとする側に立って考えてみれば、彼らがまっとうな思考力を有する限り、大規模な徴兵が、いかに国を疲弊させるものか、ということを、自国の歴史から学んでいるはずである。先月の日記(23日)で書いたように、終戦間際の日本軍は700万人以上という膨大な数の兵士を国中から徴兵し、そのために日本国中の全生産機能はほぼ、ストップしてしまった状態であった。戦争末期の日本には、まだ上陸してくる連合軍と水際で一大戦闘を行えるくらいの兵と軍備は残っていた(だからポツダム宣言受諾に陸軍が抵抗したのである)。だが、国民の方に、飢えと物資不足で、すでに戦える余力が残っていなかった。徴兵で労働力、生産力を根こそぎ持っていかれたためだ。大日本帝国は自らの身を徴兵制で食い尽くして自滅した、タコ国家であると言えなくさえない。日本が“次は戦争に負けない”ように考えて軍国主義化するのであれば、大規模な徴兵制度こそはとってはならない方法の第一 であろう。
その上、いま徴兵制を施行するとなると、どれだけの金と手間が必要になるか。太平洋戦争時の日本が700万もの兵隊を(質は問わずとも)集め得たのは、明治以来作り上げられてきた徴兵システムと軍事施設があり、その運用に軍が習熟していたためである。例えば、他国に軍を攻め込ませ得るほどの軍隊というのがどれほどの規模を必要とするかの算定は難しいが、とりあえず計算しやすく、太平洋戦争開戦時と同じ200万人の兵士が必要だ、としておこう。現在の自衛隊員の総数が約26万だから、差し引き174万人。オタクにわかりやすく言うと、一日のコミケ入場者数の約11倍半である。それだけの数の人間を、家々から追い立て、集合させ、移動させ、収容し、寝させ、食わせ、武器を与え、逃げ出さないように見張り、そして訓練しなければならない。しかも、これらをごく短期間に行わねばならぬ(だらだらやっていては嗅ぎつけた周辺諸国がやかましい)。かなりの箇所に分散したとしても、その場所、施設、機材、運搬用車両等がどこにあるか。車両や航空機は民間のものを転用するにしても、限度がある。施設は広大なものが必要となるが、これをどこに建設するか。かつての日本のように、そこらに土地が余っている時代ではないのである。そして、言うまでもないことながら、彼らは生産に従事しない。被服から武器まで、衣食住丸抱えで、国は彼らを養っていかねばならない。ましてや彼らを戦場に送るのであれば、その食料支給には、以前述べたように、まず日本の自給率から見直していかね ばトテモやっていけないだろう。
戦前の軍隊がなぜこれだけの人数をスムーズに集め得たかと言えば、その理由のひとつが、娑婆(一般社会)よりも軍隊の方が、平均して生活水準が高かったことである。軍隊に行けば米の飯が食える、という考えがポピュラーであったほど、戦前の国民は平均して貧乏だった。司馬遼太郎が徴用され、宇都宮の戦車部隊に配属されたとき、隊長が“お前たちの中で電話をかけたことがあるものはおるか”と質問したそうである。司馬氏が見回すと、数十人いた徴用兵中に、戦争末期においてすら、電話をかけた経験のあるものはほんの数人しかいなかった。入隊は、彼らにとって生活のレベルがぐんと上がることを意味した。それだから、兵役忌避も脱走もごくわずかしか出なかったのだ。それに、そういう貧しい農村部出身の兵隊ほど、戦場では強い。逆に、美食・贅沢に慣れた都会の兵は弱い。特に大阪出身の兵の弱さは、西南戦争以来の伝統(?)で、彼らは第八連隊に多かったため、“またも負けたか八連隊、それでは勲章くれんたい(九連隊)”という戯れ歌が太平洋戦争時まで歌われたほどだったとか。今の若者の贅沢度は当時の大阪人に数十倍することだろう。果たしてこんな連 中が兵力になり得るか。
もし、“日本は徴兵制に向けて歩を進めている”論の方々がそれをいまだ叫びたいのであれば、その前に、“なにゆえ世界的に志願兵制が主流になっている今日にあたり、日本のみが時代遅れで効率の非常に悪い徴兵制にこだわり続けると考えるのか”を説明する義務があるように思う。徴兵制ばかりじゃない、軍国主義全体がそうである。『オースティンパワーズ』というおバカ映画で、60年代から冷凍睡眠で現代に甦った悪の天才、ドクター・イーブルが、部下たちに新たな世界征服計画を示すが、首領のいない間、総合企業として組織は存続しており、その間に石油企業も軍需産業も、みんなその会社がビジネスとして傘下におさめてしまい、実質的に世界を征服してしまっていて、何もやることがない……というギャグがあった。バカ映画と思って観ないでいるとソンをする。すでに時代は暴力による世界制覇の時代ではなくなっていることが、この映画を観るとちゃんとわかる。東氏は観ているだろうか?
もちろん、先に述べた通り、いまの日本にも、なお徴兵制を主張する意見はある。しかし、その大部分は、軍事目的で言っているのではなく、現在の若者のだらしなさに憤慨するあまり、徴兵して芯からたたき直してやれ、というスパルタ教育の一種、戸塚ヨットスクールの同類として軍隊をとらえているに過ぎない。そんな非論理的な感情的意見におびえる必要など、全くないことは、すぐわかる。……にも関わらず、今の知識人、ことに若手の知識人の間には、この徴兵制復活に対する神経症的恐怖感を表明する者がやたらと多い。これは何故か。おそらく、彼ら若手知識人は、オトナたちが徴兵制を真面目に復活させようとしているのだ、キミたちはアブナイのだ、と言い続けて、自分と同世代、またはそれより下の世代を煽動しなくてはならぬ、商売上の必要性を常に持っているのだろう。下の世代をタキツケて年寄り連中との抗争を起こさせ、自分はその若者たちにかつがれて、著作印税や講演収入で飽食しようというのが彼らのハラである。そのためには徴兵制という文句は、実に今時の若者に嫌悪感を抱かせる、いい語彙なのだ。若者たちよ、こういう奴らに騙されてはいけない。彼らは幻影で君たちをおびえさせ、いいカモにしているのである(まあ、東氏はそん な裏のない、単なる勉強不足のバカだと思うけどね)。
こんなことをグダグダ書いていたら9時、東北沢に出て、スペイン料理店バル・エンリケ(“東北沢/スペイン料理”で検索するとすぐここが出てしまうので、隠しても意味がない)で夕食。ここはこのあいだNHKラジオ出演のあと、私が東北沢に行くと言ったら、スペイン通の逢坂剛先生が、“東北沢にはうまいスペイン料理の店がありましたな”と言ったほど有名な店らしい。カウンターのみの小さい店で、いつも はギュウギュウの混雑なのだが、今日は幸い空いていた。
スペインワインとって、まずはハモンセラーノ、田舎風パテ。ハモンセラーノはもはや言うに及ばず、パテはレバーと南瓜を合わせて(?)ペーストにしたもので、甘みの中に風味が濃縮。田舎パンに極めてよく合う。いつもはこれにイワシの酢漬けを頼むのだが、何か違うものを、とK子が言うので、野菜のトマト煮冷製というのをひと皿。要するにラタトゥーユなのだが、サツマイモ、ジャガイモなど根菜をトマトと煮たそれだけのものなのに、これが何か秘伝でもありますか、と訊きたくなるほど複雑かつ素晴らしい味になっている。オリーブオイルの質によるものなのだろう。
さらにムール貝のスープ煮。大ぶりのムール貝の滋味あふれんばかりだが、今日は心無しか塩味がかっており、スープは飲み干さずに残す。そしてモルシージャ入りのトリモツ煮。田舎風料理の最高峰。最後はアサリのリゾット。貝殻に残った米粒も余さず舐め取って食べた。あっと言う間の食事時間だったので、去りがたい表情のK子のため、チーズとスペインジンを頼み、エスプレッソコーヒーで仕上げ。大満足で帰宅したが、寝るときにハッと気づいたら、今日はアニドウの上映会ではないか。すっかり忘れていた(前の上映会と日がつきすぎているので、まだ先だろうとぼんやり考えていたこともある)。やはり雨の日はいかんなあ。