裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

金曜日

みやむーと武蔵

 武蔵、実は声優の追っかけ。朝、と学会東京大会の夢。準備がまったく出来ていないままに当日の朝を迎え、進まない舞台設置にイラつく夢。こういう土壇場をクリアするのが芸能プロダクションに初めて足をつっこんだその日からの、アドレナリン噴出状態の快感ではあったのだが、その代わり、こういう土壇場人間である限り、この ような夢には一生悩まされ続けるだろう。

 朝食、ソバ粉焼き、ブラッドオレンジ。実がゼリーのように柔らかい。朝刊に俳優の高木均氏死去の報。ムーミンパパ、トトロの声などで子供たちにもおなじみの人ではあるが、その顔は容貌魁偉、という形容が最も適当するであろう人で、その怖いご面相をいかして、日活で団鬼六作品などSMものによく助演していた。“声が顔を裏切るのがいい役者の条件”とは井上ひさしの説だが、それで言えば、実にいい俳優と言えただろう。NHKの『新・坊ちゃん』(脚本・市川森一)では漢学の先生役で、原作では“愛嬌のあるお爺さん”としか書かれていない役だが、例の巨体とギョロ目で一癖ある守旧派の悪役として演じ、東京風を吹かす下条アトムの野だいこに鉄拳制裁を加えていた。ご冥福をお祈りいたします。

 バービーがボーイフレンドのケンとの関係に終止符を打つか、というニュースが。理由は過激ファッションバービーの売り上げアップを図るため、ということだが、あのケンは実はゲイ(しかしクローゼット)だというのが、アメリカのでは暗黙の了解の設定になっていたハズであるが。

 昨日出したメールにつき、北小学校のOくんから御礼のメール。アメリカに渡って翻訳家になっているクラスメートの牧野さんの話になり、“美人だったよねえ”と今頃になってそんな話で盛り上がる。原稿にかかり、ミリオンのやつに前説的な部分を足してメール。すぐ担当Yさんから、このようにした方がわかりやすいのでは、という手直しメール。なるほどと思い、そのように。文章ユーザーフレンドリー性については書いた自分より、編集さんに見て貰った方が絶対確かである。

 昼は冷凍庫の中のひからびたような牛肉をプルコギ風に炒めて、ご飯にかけてすき焼き丼。ニュース番組で、蓮池兄氏が北朝鮮に対する政府の対応を口を極めて非難していた。この人のおかげで拉致家族会はかなり、その心証を世間で悪くしているはずである。自分が被害者側に立っているという事実が、自分の発言に絶対の正当性を付与するという思いこみで最近のこの人の言動は成り立っている。
「拉致問題に多様な見方は許されない」
 とも語っている。こういう“絶対の正当性”は、まさに北朝鮮のような国家の主席にのみ、与えられる権限である。彼は今や、日本のマスコミ界におけるミニ・金正日になりつつあるのではないか。

 思い立って中野に出かける。SFマガジンの原稿、二つほど書きたいテーマが手元にあり、そのうち書きやすい方が、図版資料でいいのが手元にないために書きはじめそこねている。ひょっとしたら中野にあるかも、と、まったく根拠のない期待で電車に乗って出る。一種の逃避。ブロードウェイからその先の通りまで、ズラズラと歩いて見て回る。やっぱり図版に使えるようなものはなし。そううまくはいかない。しかし、立ち寄った古道具屋で、人体解剖模型のいいのを一万五千円で見つけ、思わず衝 動買いしてしまい、重いそれを下げて、ニコニコして帰宅する。

 上でバービーのボーイフレンドのケンはゲイ、と書いたが、古道具屋で、リカちゃん人形のボーイフレンド、ワタルくんの、上半身の服がはだけたような、ちょっとゲイ・テイストの入ったようなのも見つけた。買いはしないけれど。ちなみに、別れたとはいえバービーは、43年間ケン一人とつきあっていたが、リカちゃんは初代ボーイフレンドのワタルくんから、二代目のマサトくん、三代目のイサムくん、そして現在のカケルくんと、四人もの男を手玉にとっている(?)猛者である。おまけに妊婦リカちゃんというのが発売されたことがあるが、その父親はこの四人の誰でもない、 外人のフランツくんという設定。

 夜は外苑前の蟹料理店『蟹漁師の店』で、本家立川流同人誌打ち上げ。快楽亭の一家に談之助、私夫妻、それに勢朝が遅れて参加。もう、例によって落語業界の内幕ば なしが山のように。快楽亭は今年、ネパールで落語会をやるという。
「あそこは空気が薄いですからね。『反対俥』とかやると心臓が破裂しますよ」
 と注意したら、“みんな『反対俥』を心配するネエ”と。秀次郎から“フレミングの左手の法則”のことを聞かれたが間違えてしまい、バカにされてしまった。新中野のマンションに移れば私たちも中野区民、芸能小劇場を借りるのが少しはラクになるだろうか。……マンションといえば、ローンが無事、通ったらしい。来週手続き。K子がもう、水を得た魚のように生き生きとしている。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa