12日
木曜日
ヘボンの騎士
SO IEBA TEZUKA OSAMU WA YOKU MANGA NOKOMA NO NAKA NI ROMA JI DE KAKIKOMI WOSITE ITANE。朝、7時10分起床。早いなあ。ソバ粉焼きとリンゴで朝食をとる。朝、北小学校時代のクラスメートだったOくんからメールもらう。彼が書いた原稿をテレビ局が番組内で紹介したいと言ってきたが、ちとトンデモがかっていて内容がまずそうなので、どんなもんだろうとの問い合わせだった。ちょっと知っていることを書いて返信。それにしても、小中高を通じて、モノなどを書くヤクザ商売になったのは私くらいかと思っていたら、ちゃんと原稿書きをしていた人が他にもいた のだなあ。
北小学校はまだあるようだが、最初に通った大通小学校は統廃合でなくなってしまうことが決定している。これも当時のクラスメートのMくんから、同窓会をやるという連絡が薬局の方に来ているそうだが、さて、自宅もなくなった札幌に帰る時間が果 たしてとれるか?
NHKのYくんから電話。このあいだの有馬の礼を述べる。お父さんも大変に喜んでいたそうであるが、“ワイフ”に、“あなた、またうれしがって余計なことまで初めて会った人にべらべら話して、恥をかいたんじゃないの?”と叱られているそうで ある。なんか、確かにウチの夫婦と似ているなあ。
原稿、ミリオン出版『実話ナックルズ』の新連載用のものを書き出す。途中で昼食時間となったので、パックご飯を温め、冷凍の豚バラとネギ、ハナタケ、レタスを水煮して、ギョウジャニンニクダレをつけて食べる。原稿続き書いていたら、1時半ころにそのミリオン出版のYさんから電話あり、時間割で待っているという。打ち合わせと図版の引き渡し、2時だとばかり思っていたら1時だったという。カン違いしていた。あわてたが、今書いている原稿(7枚半)が、あと1枚、というあたり。もう少し待ってもらって、書き上げてプリントアウトし、それと図版用ブツを持って、飛 び出す。
時間割で、販促用のポップ四十枚を受け取る。で、こちらからは図版用の猟奇実録書籍二冊。原稿一応見せるが、やはり急いで仕上げたものだけに、冒頭部分、連載第一回としての書き出しがインパクト不足。そこらは後でメール送信する際に手を入れますから、と言っておく。ところで、この『こんな猟奇でよかったら』用の描き下ろしマンガに、フォーラー・ネグレリア菌のことを書いた。ニュージーランド原産のウイルスで、熱い温泉中で繁殖し、入浴した人間の鼻から進入して脳を溶かすという。こんな話を書いたあとで平気で温泉旅行するわれわれもわれわれであるが、どうもこの打ち合わせの時間をころりとカン違いしていたし、昨今物忘れがひどい。脳が半ば 溶けかけているとしても不思議には思わない、と苦笑する。
帰宅して、さて、書き下ろし用の原稿などに取りかかるか、と思っていたら、阿部能丸くんからメールが来ていて、見ると、今日6時にハチ公前ということでしたが、10分くらいになります、とのこと。ギョッとした。これも、てっきり明日だと思っていたのである。前のメールを確認したところ、ちゃんと12日となっている。まっ たく、本当に脳がトロケているんではないかと思う。
阿部くんに託す某件の企画書を急いでプリントアウトして、6時ちょっと前に家を出る。こないだと同じハチ公前。待ち合わせの若者の顔を見回し、まず、これが今どきの都会の若者の平均なのか、と納得。案外、農村青年風の顔もあったりして、そう急に日本人全員がアカ抜けるというわけにもいかないのだな、と安心もする。一人、十八、九か、うわあと驚くほどの可愛い男の子がいた。藤原竜也をちょっとイモくさくした感じだが、磨けば彼以上になるのではないか、というルックスである。思わずまじまじと見つめてしまったが、その彼のステディであるらしい、日焼け顔の女の子が、またちょっとないくらいの田舎臭い顔つきの子で、渋谷風の化粧をしているのだが、時代劇に出てくる田舎の宿の女中といった感じ。男の方は、自分のイケメンを自分で認識していないのか、この彼女で本当に満足しているのか、と思い、男女の仲の 不思議さに、何かニヤニヤとしてしまった。
阿部さんと落ち合う。本当は喫茶店で話す予定だったのだが、日取りを間違えていたので、これから神保町で開田裕治さんと待ち合わせてカスミ書房さんへ別件の用事で行かなければならない。半蔵門線に乗って話しましょう、と、地下鉄の切符をおごり、しばらくその企画の件について、いろいろ話す。ソッチの業界、いろいろ今年後半にかけて動きがあるようだ。……しばらく話し込んで、ふと窓外を見たら、いつの間にか電車が外を走っている。“うん?”と思い、駅名を見たら二子玉川であった。逆の方向のに乗ってしまった。あわてて飛び降り、対向車線の電車に乗り換えたが、こっちは東横線。三角を描いて、遠回りで渋谷に帰ることになる。もう完全に待ち合 わせ時間には遅刻である。ホントウに、ネグレリア菌に脳が冒されているか?
舞い戻った渋谷で阿部さんと別れ、もう一度半蔵門線で神保町へ。カスミ書房さんに7時15分(30分遅れ)で着く。すでに開田さんと話は終わっている。予定ではこれから青山一丁目に行き一緒にメシでも、ということだったのだが、開田さんの方もあやさんと連絡がとれず、心配なので今日は家に帰りますという。どうも徹底して食い違う日である。私だけ、青山一丁目へ、またまた半蔵門線で。どうもバカバカしい限りである。永田町駅で、どこかで見た顔の女の子が乗り込んできた。顔は確かに見覚えがあって、毎度会っているなじみの顔だと思うのだが、どこで会っているのか思い出せない。しばらく記憶をたぐって、ア、古書会館の古本市で受付をやっている子だ、と思い出した。市ではジーンズのエプロンなどをしているのが、今日はおしゃれなコート姿なので見違えた。たぶん、乗り込んできた場所などからして、専修大か どこかの学生なのだろう。
青山一丁目駅で降りて、K子に電話するが、携帯が通じない。開田夫婦といい、今日は奥さんに連絡がとれない日か、とイラつく。やっと向こうからかかってきた、と思ったら、S山さんだった。今日も一緒らしい。その電話で道順を教えて貰う。幸いに出た改札からすぐのところの、青山ツインタワー西館地下、紙焼き鍋『ホルモサ』という店。青山ツインタワーと言えば東京的おしゃれの代表みたいな感のあるビルだと思っていたが、この地下の飲食店街はどれも赤ちょうちんのブラ下がっているような、サラリーマンのおじさんに居心地がいいような感じの、そんな店ばかり。そうだろう、おしゃれな若者は飾りにはいいが、彼らのような種族ばかりでは、街は機能しないんである。ホルモサとは変わった名だが、ポルトガル語で“台湾”の意だそうで ある。
K子に開田さんが来られない旨を伝える。三人で占拠することになった個室は、まあ個室とは言っても物置をちょっときれいにしたようなスペースで、そこで注文をとるオジサンは、青山というよりは板橋とか蒲田に似合っているような感じの大将。その大将のおすすめにしたがって、水餃子と紙焼きセットを頼む。紙焼きセットは肉と野菜を秘伝のタレで煮るもので、本来はご飯がつくのだが、水餃子のスープがうどんに会うので、そっちにしたらいいだろうと変えてくれる。ここらの融通の効き方も、下町風でいい。で、運ばれた水餃子をひとくち食べて、ギョウザにはうるさいS山さんが“うん?”と言った。タレはごまだれだが、何もつけないでも十分にスープの味 が濃い。これならば後のうどんが楽しみである。
で、紙焼きは三人前を頼んだが、二人前しかないという(予定通り五人予約だったらどうするつもりだったんだろう?)。なんでもこのタレは保存がきかないので、昨日が祝日で休みだったもので、味が変わってしまったのだという。八角の風味があるが、味噌ダレのようで味噌ではないというこのタレ、ジンギスカンぽいのではないかと思った。“紙焼き”と言っても実際はタレ煮。これもなかなか。味が濃いめではあるが、くどくならないのは、リンゴなどの酸味が利いているからだろう。うまいが、これは食べながら強い酒が欲しくなる味。ここは台湾料理の店なのに、紹興酒以外はあまり中国酒が充実していない。むしろ熊本焼酎がおすすめらしい。グラスで頼んでロックで飲みながら、三人で二人前、結構な量でかなり満足。
その後がうどんで、これもスープで練りごまを溶いた、しゃぶしゃぶ風のタレが出たが、何もつけない方がわれわれの好みには合う。ゲラッチさんの紹介だそうだが、いや、いい店を教えてくれた、今度、沖縄から中笈木六さんが用事で出てくるが、その歓迎会はここでやろう、と決める。レジのところに、お供えつきで飾られている写真があったので、見てみたら秋篠宮殿下ご来店記念写真であった。中野『カチンコ』もそうだったが、ホントウによく、庶民の店に出没なさる皇族である。護衛の人は気が気でないだろう。