6日
金曜日
鶴橋のサブリナ
サブリナは韓国料理の修業にパリに行きました。朝、7時10分起床。すぐに日記をアップして、朝食前に入浴。雑用にドタバタするうち時間がなくなってしまったので朝食はヌキ。ああ、一人だとこういう風に生活がどんどん不規則になっていく。快感と反省が半々くらい、か。旅支度をしてあったカバンに、昨日買ったカット・パイ ナップルだけ入れて、タクシーで東京駅まで。深川飯弁当を買う。
ひかり9時13分、新大阪行き時間通り。隣はお受験ママの二人連れ。窓外は陽射しがまぶしい好天だが、前原あたりが雪で新大阪着は15分ほど遅れる、とのアナウンス。11時ころ、深川飯とパイナップルで朝昼兼用の食事。途中で、前原の雪はそれほどでもないので、遅れは1、2分のものになる、と再度アナウンス。前の遅れのアナウンスのときは“お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません……”との決まり文句でスラスラしゃべっていた車内アナウンス、その遅れが大幅に短縮されたという報告のときは、まさかに“お喜びください”とか“迷惑をかけずにすんで当方も嬉しいです”とかも言えずしばらく絶句、他の文句を思いつかなかったらしく、やっぱり“大変ご迷惑を……”と、型どおりに謝った。謝ることも ないに。
隣のお受験ママの会話がうるさくて読書もできず、ダジャレをチケット入れの封筒にいろいろ書き散らして時間をつぶす。韓国舞踏だとか石材反射だとか、毛ガニ正義のためとは言えど……とか、ロクなのが浮かばない。大阪到着間際にやっと、今日のタイトルのやつを思いつき、ホッとする。別段ホッとすることもないが。
まずタクシーで投宿先のホテルに直行。運転手さんに“スイスホテルまで”と言ったが要領を得ない。“もと、なんばのサウスタワーホテル”と言ったらすぐわかり、“名前が近頃変わった言う話は聞いてましたけどな、まだようイメージがわかんですな。最近はホテルだの銀行だの、ようけちょこちょこと名前を変えて、わたしらタクシーにとってはいい迷惑ですわ”と運転手さん、ぼやく。チェックインはすでにK子 がすませているので、鍵だけ受け取って案内される。案内のお姉さんに
「スイスホテルってどこの経営なの?」
と訊いたら、シンガポールのラッフルズ・ホテルのチェーンなのだとか。もっとも名前と経営は変わったが、ホテル内の作りとかはあんまり変わっておらず。
部屋(28階)にカバンを置いてすぐまた出て、なんば駅から地下鉄御堂筋線。大阪に来る用事があればぜひ訪れたいと思っていた、大阪府立国際児童文学館に足を運ぶのである。しかし、遠い。御堂筋線で新大阪まで逆戻りする形で、千里中央、そこからモノレールで万博記念公園、さらにそこからの支線に乗り換えてひと駅、公園東口駅まで。このモノレールの乗り換えに時間がかかる。25分間隔くらいでしかないので、10分近く待たされることになる。ホームも改札付近も風が吹き抜けになって いて寒い。自動販売機でホットポタージュを飲んで待つ。
やっとモノレールが来て、公園東口駅で降り、さらに橋を渡って10分ばかり歩かされる。白い綿毛みたいなものが目の前を飛んでいるな、と思ったら、大片の雪だった。寒いはずである。やっと国際児童文学館にたどりつく。まさにたどりつくという感じ。一階の子供コーナーにはちょっと人がいたが、二階の閲覧室(中学生以下入室不許可)はがらんとしていて、司書のお姉さんたちが数人、パソコンに向かっている他は、閲覧者は70歳くらいのお爺さん(いかにも時間つぶしに来ている、という感じ)だけ。さっそく調査にかかる(ゆまに書房の少女小説復刻本のための資料調査を行う目論見だった)。書籍目録の棚をまず見るが、書名目録はハングルや中国語、ペルシャ語まで揃っているのに、著者目録がない。司書のお姉さんに訊ねるが、著者別目録は作っていない、とのこと。さりとは不便な。仕方ないので書名で索引しながらチェックするが、一応、所期の目的としてきた数冊の本は、いずれも所蔵されていな いということがわかる。ちょっと期待はずれ。
しかし、目録の棚をなお見ていたら、“所蔵紙芝居目録”というのがあった。へえと思って開いて眺めてみると、戦後の紙芝居が数十作、いずれも閲覧可能な状態で収蔵されている。これは面白そうだ、と思い、数作を借り出してみた。紙芝居は一回が10枚平均で、長いのは60回とか80回というのがあるので、分けて出してきてもらうことになるが。タイトルから、これは、と思うものを選んで閲覧したが、これがどれもアタリ。見ていて楽しいのなんの。例えば『宇宙魔』(粟野しげお・絵)という作品は、ジョージ・パルの『宇宙戦争』の火星人そっくり(ただし、腕の形だけ)の宇宙人が、少女たちを透明光線で透明にして誘拐する話だが、この透明光線を発射する宇宙人の一つ目というのが、ヘルメット(?)の真ん中に、赤く、立てについている。そして、光線はこの目の、瞳の部分ではなく、その上についている、もうひとつの突起のようなものから発射されるのだ。露骨な女性器、しかもクリトリス付きというデザインだ。こんな絵のものを、子供向け、しかもちゃんと“大阪紙芝居倫理委員会検閲済み”の判子がデンと押された作品に、場所もあろうに“国際児童文学館” で出会うとは。
また、『バットマン』(有沢史郎作、佐渡正士良絵)は、まるきり主人公のバットマンとロビンがテレビで放映されたアダム・ウエスト主演の『バットマン』と同じという珍品。と、いうことはこれが日本でテレビ放映された1966年以降の作ということで、戦後の街頭紙芝居としては新作である。バットカー(実写テレビのときは、“バットモービル”でなく“バットカー”と言っていたのである)も、ちゃんと出てきて、しかも原作以上の、空を飛んだりレーザー光線で空中戦を演じたりという能力がつけ加えられている。悪役はジョーカーやペンギンといった連中ではなく、白覆面姿の“ホワイト団”という組織で、怪人百面相に率いられているという。ところが、実は彼らは本物のホワイト団ではなく、宇宙からやってきた、何にでも姿を変えられる宇宙人たちだった。円盤の大群で彼らはバットマンを襲うが、この円盤も、宇宙人 が乗り込むのではなく、一人々々が円盤に姿を変えるのである。
紙芝居らしいのは裏側の書き込みで、爆発のシーンの擬音が“ドカンバリバリギッチョンチョン”なんてヘンテコなものだったり、宇宙人たちの会話が“バットマンはそんなに強いのか”“強いの何の話になりません。あいつは私たち宇宙人よりづっと強い奴ですよ”などという、前谷惟光のマンガを思い起こさせるようなノンキなものだったりする、また、同じ絵描きと東洋一海という変わった名前の作者による『爆弾ロボット』というのは、鉄腕アトムのような子供型の、人間そっくりの姿のロボットが主人公。爆弾ロボットというのはこの子供型ロボットの名前だが、別に体が爆弾になっているわけではなく、爆弾なみのパワーを持っているという意味で、要するに、“爆弾小僧”のバクダンであるわけだ。これも、学校で野球の時間に大ホームランを かっとばしたロボットに、見ていた子供たちが
「長島みたいだ。今にプロ野球からスカート(原文ママ)がくるぞ」
と言ったりするところが味があっていい。
時間を忘れて見入っているうちに、あっと言う間に閉館時間の4時半が来る。閲覧室片側一面の大きな窓からは、万博公園にそびえ立つ太陽の塔の後ろ姿が大きく見えている。木々の中からぬっと出ている巨大な人型の人工物の後ろ姿、というのはマジンガーZの世界そのままで、ほのかに漂う非現実感が実にいい。正面からは何度も見ているが、それだと単なるありがちなモニュメントになってしまう。後ろ姿というと ころがいい。
前来た道を逆にたどって、モノレール。乗り換えで今度は20分待たされた。この文学館、また来たいとは思うが、このアクセスの悪さがちとネックではある。閲覧本を書庫から出してくるのを待つ間、開架の方をぶらぶら眺めていたら、ここに来ようと思った大モトであるゆまに書房の『カラサワ・コレクション』の三冊があるのを見つけてうれしかった。他に、富士見ファンタジア文庫などの専用棚もあり、決して人がまるきり来なくてもいい、と思っているわけではないんだな、という感じ。何冊かちょっと興味のある児童読み物があったので、書名をメモしておいた。
モノレールの千里中央駅を降りたら、ナカヌキヤがあった。ちょっと立ち寄ったら欲しいと思っていた長時間録画のビデオテープがあったので、これを買う。何も大阪で買わんでもという感じだが、東京で、さくらややヨドバシの前を通ってもつい、忘れてしまってこれまで一ヶ月以上買い逃していたので、この時に、という感じで。それからまた御堂筋線でなんば。新幹線の中で弁当を使っただけで小腹が空いたが、夜は西玉水なので、中途半端にも腹をふくれさせられない。駅のお菓子屋でぬれおかき を買って、ホテルの部屋でそれをつまんで少々虫やしない。
5時ころ、K子がホームページ作りを習っていたぺぇさんの元から帰る。私のモバイルを受け取って、ちょっとテストしてみる。メモリをもっと増やさないとダメ、というぺぇ師匠の診断だったそうだが、なるほど、やはりまだ処理速度がおぼつかないまま。行くまぎわに飛び込んできた原稿依頼の件のメールやりとり、大阪古書月報への執筆者紹介の件でのやりとり、原稿料振込先の問合せへの返答など、必要なメールのみ数本。6時半、家を出て、タクシーで宗右衛門町のクジラ料理『西玉水』。私たち夫婦に、ぺぇさん、あのつくん、えふてぃーえるさんという元ナンビョーサイトの 常連さんたち。
ご主人に挨拶、『トンデモ一行知識の逆襲』を差し上げる。息子さん、腕がやたらにたくましくなっている。ボディビル凝っているらしい。“子供の運動会に行って、親が出場するところで子供に恥をかかせたくないから、言うてますねん。まだ子供は2歳やのに、今から鍛える言うのんはアホですわ”とご主人。私、“いや、それより先に、子供の運動会で親が出る種目と言ったらたいてい駆けっこでしょう。重量あげ なんて競技はありませんがな”。
ここではまず、食べるものは毎度決まっているんである。まずお造り。今日はイワシクジラである。あざやかなカーマインの切り身に霜降りのような白い脂がまざる。高級牛の霜降りはビールを飲ませてタワシでマッサージして、というような人工的作業で作り出すが、クジラはどうするのだろう。口に入れると、舌の熱でその脂がさっと雪のように溶けて、口中に風味がひろがり、そのあとを、歯を立てるか立てないか で崩れていく赤身の旨みが追っていく。
それからベーコンと生サエズリ。これの味もこの日記にはもう何度も書いているから今更重複して描写するのもどうかと思うが、今日ふと、これらの味は、あの、子供時代毎日食っていた魚肉ソーセージを、その食感をいくばくか残したまま、数千倍に旨みを増したもの、と言えないかと気がついた。魚を肉風に味つけたもの、が、あの ソーセージだとすると、あながち的はずれでもない気がする。
あと、自然の甘みの極限とまで言いたいサエズリと大豆の煮きあわせ、もはやこの店での定番となった赤ナマコ酢の物などで、もうここまでで酒がかなり進んでいる。ナンビョー一行はカツも食べたいと言って頼んでいたので、一切れずつ、私とK子も貰ってみた。柔らかくて、給食の鯨カツとは同日の談でないこと言うまでもない。とはいえ、これまでのお造りやサエズリが天上の味であったのに比べると、地上に降りてきた美味、という感はやはり、あり。熱燗の肴には最高。狂牛病、鳥インフルエンザなどの話をしながらというのも、いま食っているのがクジラだという安心感から、か? 吉野家とかはしばらく牛丼休むそうだけど、ケンタッキーはどうなのかね、イヤ、あそこの鶏はもう鶏じゃないんじゃないですか、というような会話。
「畑にニワトリの足だけがずらりと生えている」
「いや、完全にもう、化学製品なんじゃないですかね」
「KFCのCはチキンじゃなくてケミカルか?」
まあ、他の客がいるとちょっと食い物屋での会話としてははばかるようなものであるが、幸い、今日は客は二階の座敷のみで、カウンターはわれわれの独占だった。
他にタケノコがもうあるというので出してもらう。春の香り。えぐみがまだちょっと残っているのだが、このえぐみがすなわち春の味、なのである。なんでも、九州の竹林の地面に電熱線を埋めて、それで早くタケノコを出させるのだとか。うまいモノを食おうという人間の執念たるやすごい。その他ひらめ、伊勢エビ、揚げ小海老などまだ多々食べたが、いちいち記していては際限がないのでこのへんでよす。デザートは黄粉の香りもこうばしいわらび餅。お騒がせを、とあやまって店を出て、方角の同じあのつくんと三人、週末のにぎわいを見せる宗右衛門町をウォッチングしながらホ テルまで腹ごなしに歩く。
宗右衛門町通りは相変わらず、風俗店と食い物屋が交互々々に軒を並べているような通りだが、オリンピック誘致以来、名物だった“オネエチャンノハナビラ、ナメホウダイ”というような露骨な呼び込みは禁止され、客の肩を叩いてささやくやり方も規制されたので、今度はそれまでゲーセンだったようなスペースを買い取って開いた“案内所”が大幅に増加していた。何か宗右衛門町の風俗宣伝の推移を観察しているような案配である。案内所といっても椅子もなければドアもなく、壁にはデカデカと風俗店の看板が張られ、ネオンでそれらがギラギラ光り輝いている。路上の客寄せが禁じられたのを逆手にとり、これなら“店の中”であり、客が勝手に立ち寄ってくるのだから、そこでどういう情報を与えようとこちらの勝手、というアイデアである。性への欲望というものは、どんなに規制しようと、人間が動物として生きている限り決してなくならないものである。規制をしたところで、形を変え場所を変え、必ずどこかで噴出する。上っ面の規制強化でそれを押さえつけられるなどと警察も大阪市も考えずに、逆にこの通りならこの通りに全て密集させてしまう、というように発想を変えてしまわないとどうしようもないのではあるまいか。頭は絶対に、取り締まられ る側の方が使うのである。