裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

月曜日

ロココのボス

 18世紀ヨーロッパに大流行した装飾形式のロココ。ハアー、ポックン。朝、寝床でダイヤモンド社版『失敗の本質〜日本軍の組織論的研究』(戸部良一・他著 昭和60年7月28版)読了。太平洋戦争における数々の日本軍の失敗に終わった作戦、戦闘を通して、日本軍というシステムそのものに潜む欠陥を分析した本。

 名著の誉れ高いもので、その期待は裏切られなかったが、日本軍の衰退化を、恐竜 の絶滅にからめてこう説明した部分があった。
「進化論では、次のようなことが指摘されている。恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある」
 ……この説はその後NHKサイエンススペシャルで、『花に追われた恐竜』として紹介された説と同じもので、あの番組は放映後、金子隆一氏らによって徹底批判された。裸子植物を駆逐するほど被子植物が栄えたのは、恐竜がとうに絶滅した後の新生代に入ってから。因果関係が成立しないのである。……日本軍の失敗の本質は、確かに、日清・日露両戦争の勝利に順応しすぎてシステムをあまりに特殊化してしまい、状況の変化に対応できなくなっていったためであると思うが、そのたとえとしてこの説をもってくるのは、かえって読者に説の信憑性を疑わせる作用しかしないのでは。

 7時15分起床。朝食、サツマイモ(五郎島金時)に青唐辛子味噌。リンゴ半分。朝の辛味はオツなもんである。寝呆けていた体細胞が一気に賦活される。中野のりそな銀行に電話、入金確認、さていよいよローン地獄の開始か。予定の十分の一の期間で返却を完了する予定、ではいるのだが、フリー職業は一寸先がどうなるかわからな いからねえ。

 炭酸煎餅を送ったTBSラジオ『荒川強啓デイキャッチ』ディレクターNさんから御礼メール。送った手紙は木曜の放送で読まれるそうである。テープを送ってもらえないかと頼む。Yくんのお父さんに送らなくてはいけない。

 カレーで昼飯、大急ぎでかきこんで、1時半、時間割。『通販生活』インタビューを受ける。お題は“戒名”。戸棚から引っ張り出して持っていった水野弘元『仏教要語の基礎知識』(1972年、春秋社)を開いて、その索引のところに“戒名”という項目がそもそも存在しないことを示し、“戒名などというのは元々は釈迦の教えにはまったくないもので、後に中国で僧の名前としてつけられるようになり、それを江戸時代、寺が檀家から金を巻き上げるためにシステムとして利用したもの”にすぎないと説明。徳川夢声が原爆で死んだ親友の丸山定夫の戒名をつけることを頼まれて、いろいろ悩んだ末に“丸山定夫居士”という単純なものにした話や、山田風太郎が生前、“風々院風々風々居士”という人を食った戒名を自分でつけていた話(本当にこれで葬式をしたのか?)などをする。私の戒名はどんなのがいいか。やはり裏物院一行知識居士か。ちなみに手塚治虫の戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。“蟲”の字がな にかスゴい。

 一時間くらいの予定でインタビューと写真撮影を済ますハズだったが、話し込んだので時間割出たところで一時間。20分ほどかけて写真撮影。終わって、資料本だけ家に戻し、急いでタクシー拾って九段下・千代田区公会堂へ。昨日来の突風で雲が吹 き散らかされたか、空が異様に澄んでいる。運転手さんと
「東京の空っぽくないですねえ」
 と会話。“富士見台、富士見町等の地名のところではいつ頃まで本当に富士山が見えたか”というような話を少し。

 予定の3時半ジャストに、公会堂一階ロビーに到着。と学会東京大会会場下見。以前はIPPANさん・植木不等式さんと会場決定のための下見だったが、今回は実働スタッフによる使用機材・人員配置場所など決定のための下見。集うものは太田出版Hさん、会場担当IPPANさん、機材担当I矢さん、警備・スタッフ配置担当S山さん、物販担当S井さん。植木不等式さんは会社員なので、この後の打ち合わせからの参加。9階の会場に上がって、いろいろと館内設備、物販スペース、楽屋等を見て回る。楽屋は前回のように男女別とはいかない(着替え等は衝立、カーテンで遮蔽して行う)が、広々としていて、畳敷きスペースがあるところなど、皆に好評。物販ス ペースなどをS井さんがメジャーでチャキチャキと測っていた。

 さすがに昨年の実務関係者たちが揃っているだけあって、チェック点も具体的にどんどん出る。プロジェクター設置位置、入場者の開場前の整理などが主な考案項目。あと、物販を前回下見の折り、一階と九階に分けて、と話したが、これは九階のみにて行う、ということになる。03年度大会では皆神さんしかサインの場に並ばなかったので、今年は休息時間に運営委員は壇上でサインを行うことに。スタッフ配置についてはK書店でイベント経験もあるS山さんが具体的な人数も出してくれた。Hさんが、本来素人の筈の各メンバーがきちんとチェック項目を把握して、いろいろ具体的打ち合わせをしていることにまた感心していたが、これは、コミケ、SF大会、上映会、サイン会というようなイベント場に、古手のオタクというのが場慣れしていることによる。あと、Hさんとは、壇上がやや、殺風景なので花籠を両袖に飾りましょうと言うようなことを話した。一番の問題点は発表時のマイク使い。ピンマイクの設備もあることはあるのだが、やはりあまり実用には適さないとのこと。これは、アシス タントを一人脇に置くことで処置しよう、と打ち合わせる。

 あと、決めておかねばならないのはスタッフの食事である。ゴミが前回は会場で処分してくれたが、今回は自己責任で処分だそうなので、食べ終わったあと、引き取ってくれるところでないといけない。会場を出たら、交差点を渡ったところに牛丼の元気屋があったので、K子が掛け合いに入るが、ケンもホロロだったそうで、“クソ生意気!”と毒づきながら出て、I矢さんが見つけた丼丼亭に今度は入る。こっちは非常に協力的で、配達から回収まで全部自前でやってくれることになる。素晴らしい。丼丼亭の株がちょっと、と学会内では上がる。元気屋はこのBSI騒ぎの中でもちゃんと牛丼を販売し続けている(280円が400円になったが)店なので、鼻息が荒いのかもしれない。牛の鼻息並みに風が強い。電球がどこからともなく飛んできて、 足元で砕けた。

 そこから、宴会場候補でIPPANさんが探してきた、田原町の『遠州屋』へ移動する。地下鉄乗り換えは少しキツいか。田原町で降りて地上へ出たら、ソース焼きそばを焼いている匂いがプンとした。ああ、懐かしい! と思わず口をついて出た。学生時代、浅草六区の名画座街に行くときは、必ず、ここの駅で降り、この焼きそばを 買って弁当代わりにしたものである。まだやっているとは思わざりき。『遠州屋』に行くと、いかにも浅草という感じのおばちゃんが、いかにも浅草という店内を三階に案内してくれた。植木氏が先に来て待っていた。いやいやいやまずまずまず、と言うような意味不明な発声をしながら、席についてビールを頼む。S山さんが“お、ここは今日び珍しく大ジョッキがありますね”と言う。見ると酒のメニューに、“800ミリリットル、国内最大級”とある。コレハ是非頼まねばと植木さん、S山さんと三人で試みる。やはり、これでグイ、とあおると爽快感がある。いつもお酒を飲まないIPPANさんが、今日は少しアルコールに慣れよう、とコークハイを頼むが、これに対し“入れるウイスキーはリザーブがいいか、モルトか”というようなチョイスがきく。しかし、そのせいか一人注文が遅れ、そして、ここがいかにも浅草だが、遅れてゴメンナサイ、とばかりに、サービスでウイスキーの量がたぶん倍くらいになっていた。もともと飲めないIPPANさんにとっては困ったサービスなのだが、何か下町ぽくていい。

 乾杯の後、アルコールが回る前に、と打ち合わせ。植木さんが、入場者を一旦物販スペースにバラけさせ、その後に再度集合かけて整列させると、動線がかなり乱れないか、と意見を述べる。これはもっともな意見なのだが、しかし実際問題として、物販スペースが前回会場より狭いので、昼休みのみの物販だと、混雑を嫌って買い損ねるお客さんが出て来かねない。やはり多少の混乱というリスクは負っても、物販の方 に客を回すべきだろう。なおも不安の残っている感じの植木さんに
「大丈夫、オタクは並ぶのに慣れています」
 と言葉をかける。去年の大会で開場が遅れたときの、大混雑のロビーでの自主的整列の見事さはK子がいまだに言うくらいだし、冬コミの人気ブース前の大行列が、横切る人のための通路を何人かごとにきちんと取っていたときには、私は行列大嫌いの人間なのだが、思わず“お見事”と感心してしまったくらいであった。

 その他、この席で出た案。今回は司会を談之助さんに変更して、私は解説及びツッコミという役に回る件。演芸のコーナーは梅田佳声先生に紙芝居をやってもらいたいという件。オープニングビデオを多少予算かけて作成し、そのかわり、これは今後数 年、繰り返し使用するようにしてはどうかという件など、いろいろ。

 料理は、はっきり言ってあまり期待してなかった。刺身も、おとついのおれんちのモノを経験した後では、いかにも貧相に見える。しかし、これが食べてみるとなかなかのもの。さすがは“魚料理”を看板にするだけのことはある。他のメニューも、いかにも下町ぽい“肉豆腐”“串カツ”“イワシの天ぷら”等々なのだが、いずれも、 食べて裏切られない“庶民の味”で、食い物にうるさい皆々が
「これ、いいですね」
 と賞賛。日本酒(これがまた、予想通り、ガラス製の菊正宗のトックリである)を串カツを肴にちびちびやる、というのは、私のアタマの中での、晩酌の理想型のひとつでもあるのである。おばちゃんは途中で別の人に交替したが、どちらも気さくな浅草風で、ここの店員さんがみなこうだとすると、いろいろモノを頼みやすそうだ。先日の例会二次会の『土風炉』では、バイトの茶髪のお姉さんが、こっちの大人数での注文にキレかけていた。

 雑談風発、イラクにおける自衛隊貢献の話、科学雑誌『UTAN』にいた、酔うとすぐ全裸になるサイエンス・ライター氏の話など。『ちゅうかなぱいぱい』の小沢なつきの駆け落ち事件の話、彼女がいま中野貴雄のビデオに出ているという話、同じく駆け落ちのバイオイエローの相手が実はレズだった、という話だとか、オタクなものもいっぱい。ここはHさん持ち。ありがたい。まだ時間が早いので、麻布十番の川上 庵でソバを食おう、と衆議一決、地下鉄で。

 混んでいないかどうか心配だったが、さすがに月曜でガラ空き。階段下のテラス席はペット可ということなので、もし満員だったら誰かをイヌということにしてそこで食べよう、などと話していたのだが。ワイン頼み、いろいろとつまみをとるが、やはり大したことはなし。で、最後にとったせいろがやはり絶品。みんな感激し、もう半分づつ追加も頼む(つまり8人で行って4枚)。なんでここに来たかというと、私と K子がさっきの遠州屋でここのことを話題にし、
「つまみや料理は大したことないが、意外やソバがうまい」
 という言葉にみんなが興味を持ってのことだったので、つまみが美味しかったり、出たソバがイマイチだと、ちと面目を失うな、と思っていたのだが、ちゃんとつまみはイマイチで、ソバはうまかった。大いに満足。変な満足だが。ラストにソバ団子というのを頼んだが、これはなくもがな、であった。出たのが11時半。3時半に待ち合わせたわけなので、なんだかんだで8時間、ワイワイしゃべり続けていたことになる。もちろんと学会員のこと、一般人の三倍は量が多いしゃべりで、である。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa