裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

土曜日

ブラピ途中下車

 おやおやピットさん、そぉんな路地へ入っていくんでぇすかぁ?(滝口順平口調で読むこと)。朝、5時に眼が覚め、寝床の中で江戸の滑稽本『身代山吹色』(都扇舎千代見)を読む。極めてたあいない話だが、たあいないところが布団の中で読むのに適している。読み疲れてまたウトウト。はじめて新中野のマンションが夢の中に出てきた。と、言ってもまったく実際のものとは違う倉庫みたいなところで、好きな俳優さんが引っ越したばかりのマンションを訪ねてきてくれて、私のサインを欲しいというので、急いでサインする本を探すが、引っ越し先には本を移していないので、サイ ンをしてあげられるようなロクな本がなくてイラつく、という夢。

 朝ソバ粉焼き、中華スープ、デコポン小一ヶ。ミルクコーヒー。読売テレビ朝8時の『WAKE UP!』は反米反戦色コテコテの番組だが、先週からやや、調子に変化が見えてきたと日記に書いた。どうも、あれだけ徹底して反米を主張しているのにも関わらず、世論が自衛隊派遣賛成に傾きつつある(この番組で行ったアンケート調査でも、先週来、反対と賛成の数が入れ替わり、賛成多数になってきているようだ)ことに、作り手がとまどっているらしい。それはそうだろう。視聴者に迎合するためにこれまで反米反自民で行っていたのに、視聴者の大部分がそれと反対の意見になっ てしまったら、番組の方向性を変えねばならないのである。

 それでも必死で、コメンテーターなどが“これは危ない兆候です”とか言っていたが、さて、自衛隊派遣に国民が賛成すると、何が“危ない”のか。かつての日本軍と自衛隊という、構成もシステムも全く違う組織を無理矢理に重ね合わせて、脳内に現実味のない“軍国主義に向かって歩を進める日本”という妄想を重ね合わせて(妄想である、という理由の一旦は23日の日記にメモしてある)危険がっているだけなのではないか? このような言を述べる知識人(いや、知識人ばかりでなく、ネットでこういうことを書き付けている人々も同じか)というのは、国民や大衆のことを憂うるというポーズを取りながら、その実、大いに日本国民を“上が右傾化すればすぐ、 右にならえで右傾化してしまう衆愚連中”とバカにしていないか。

 ウィリアム・カッツの『ゴースト・フライト』というホラーサスペンス小説があった(創元ノヴェルズ)。ヒトラーがナチスの手で不老手術を受けて存命しており、ナチ再興のためにドイツ入りをしようとしている。それを防ごうとする主人公との攻防が話の主なのだが、読んで笑ったのは“ドイツ国民は、今は平和に暮らしているが、ひとたびヒトラーがドイツ入りするや否や、すぐにも戦前と同じ独裁体制に戻り、ハイル・ヒトラーと叫び出す民族”という、強迫神経的な決めつけを元に話を進めているのである。ドイツ人がこれを読んだら、かなり心証を害することであろうが、しかし、無知な外国人にそう思われるというならまだいい。日本人は同じ日本人にバカにされているのだ。立つ瀬もなかろう。いや、そう思っている人々は意識下で、むしろ軍国主義に凄まじい魅力を感じているタイプなのではなかろうか。自分がその立場にいればすぐ、大日本帝国バンザイを叫んでしまいそうな魅力を感じているからこそ、 他人もそうだろうと、一方的に決めつけているような気がする。

 12時半、家を出て神保町。時間がないのでもったいないがタクシーで行く。古書会館内“趣味の古書展”。和本から文庫、雑誌とここはいつもの通り雑多というか雑然というか、脈絡のない粗な揃えだが、そこが楽しくてにぎわっている。ゴミの山の中から自分だけの宝石を見つけだす作業は楽しいものだ。亡くなった上野文庫さんのことをこのあいだNHKの控室で話したが、あそこが大変に優れた古書店であったにも関わらず、ぶらりと足を運ぼうという気にあまりならなかったのは、あまりに本が整理され、分類され、きちんと揃った形で並んでおり、そこには古書店歩きの魅力の中でも最も大きい“発見”の楽しさがなかったからである。出久根達郎氏のエッセイにも、目録にある時まで、サービスのつもりで徹底して詳しい紹介文を書き込んでいたら、客にはかえって不評だったので、そっけないデータ記載のみにもどした、とい うことが書かれていた。

 書評や映画評でもそうである。原稿ならば字数制限があるからまだいいが、ネットでの批評にはそのような限度がないから、例えば映画の、魅力あるカットというカット、台詞という台詞をほとんど網羅して、ここがいい、あそこが素晴らしいと激賞して、さあ、ぜひ観てくださいと絶賛している素人サイトがある。これが、読んでいる分にはいいが、その後では不思議なほど、鑑賞欲をソソラない。淀川長治が名映画評論家であったのは、思わせぶりに、映画の魅力の一端のみをヒョイとつまみあげて提示し、ネ、オモシロソーデショ、ホントハモットモットオモシロインデスヨ、サア、スグニ映画館にイキマショーネ、観テミマショーネと人をせき立てる、あの拍子が絶妙なところであった。旅行案内、お店紹介、およそ全てにこれはあてはまる。親切のつもりで何から何まで手取り足取り解説されると、よっぽどな無知でもない限り、人は内心で小馬鹿にされたと感じるものである。最後の選択権はその人に手渡すのが本 当の親切なのだ。

 結局、説教節の解説本からカストリ雑誌まで雑多に買って2万数千円。時間がないので今日は他の店へは足を運ばず、神保町のランチョンでランチ(ハンバーグと魚フライ)。食べながらミリオン『こんな猟奇でよかったら』文章部分赤入れちょっと。 大変な混雑で店員さんたちてんやわんや。

 半蔵門線で帰宅、ミリオン赤入れ、記憶だけでは心もとなかった部分をネットで検索、あるかなと思っていた資料がすぐに見つかり、非常に気分よくする。カリカリとやって4時に『時間割』。Yさんに赤入れ原稿と出版契約書を手渡す。営業をかなりやってくれているそうで、数百部単位で注文が来ている書店もあるとか。手書きポッ プを少し多めに作ることになりそう。

 帰宅して、少し休む。6時、再度時間割。ササキバラゴウさんを招き、某テレビ局の人を前に、少しアニメ関係のレクチャーをしてもらう。ちょっとその局でアニメ関連のプロジェクト立ち上げがあり、誰か基礎的な部分のレクチャーをしてくれる人をご紹介ください、と頼まれたのである。ササキバラさんの話を私は脇で聞いているだけであるが、なかなかこっちにも勉強になった。特に“いま、出すんだったらこんな企画があたりやすいかも”というところは、モロにササキバラさんの趣味満開で、大いに笑える。笑えて、しかもひょっとしたら、なるほど、と思わせるのである。

 その後、ササキバラさん、某くんと『華暦』。K子も来て、食事と酒。みず谷なおきの話、富野由悠喜氏がオネエ言葉に変化する際のことなど、聞く。DVDボックス『アタックNO.1』は10万円近くするので、ササキバラさんは買うのをとまどっている由だが、DVDボックスはすぐ無くなってしまうので、無理しても買っておかなくては、と私は主張。当然ながら『アタックNO.1』も泣きの涙で買いました。これに比べるとモンティ・パイソン全話収録のコレクション・ボックスが3万弱なのは安い。

 9時過ぎに二人と別れて、帰宅途中、明日のコーヒーがなかったことを思い出し、二人で何軒かコンビニなどを回るが、渋谷のコンビニはインスタントか缶コーヒーばかりで、コーヒー豆がない。元たこ焼き坂の喫茶店『花泥棒』が開いていたので、そこでブレンドの豆を挽いてもらう。K子曰く、“ここのコーヒーを飲んだら、渋谷の他の店のコーヒーは飲めない”と。なるほど、豆を挽いて貰っている間にただよってくる馥郁たる甘みを帯びた香りは、落語の鰻屋ではないが、香りを嗅ぐだけのために代金を支払ってもいいと思えるほどだった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa