14日
水曜日
クー・熊楠・クラン
われわれは粘菌研究者弾圧組織である。朝7時半起床。空は晴れて窓外の日光、四辺にあふれている感じ。朝食、ソバ粉焼き。珍しく少し失敗して、ベチャとした出来になる。それにしても、これが朝食の定番になってから、ソバ粉を用いること用いる こと。すでに通販のソバ粉、今週中に使い切るかといった感じ。
新聞、松文館裁判において貴志元則氏敗訴の報、読売も産経も裁判官の“(訴えられた作品『蜜室』は)もっぱら読者の好色的興味に訴えるものであり、露骨で過激な性表現物を許容するような社会通念が形成されていると解する余地はない”との判決理由説明を載せている。この頭ごなし感、いかにも権力側のくだした悪判決ぽくていい文言である。言っている内容には何の価値もないが、しかしこの文章、素人目に見てもキツい言葉であり、かなりこの公判を通じて、被告側の論述が裁判官の心証を害したものであろうことが見てとれる。これを権力に屈しない出版人としての勲章ととるか、ここまで憎まれたことで今後のマンガ出版に暗雲を投げかける失敗と見るか。
今回の敗訴は、あきらかに法廷戦術のミスであったと思う。新聞はどこも、被告側が宮台真司や斎藤環といった文化人を特別証人として法廷に呼び、証言をさせたということを報じているが、こういったマスコミ文化人というのは、一般人の無知・無教養を指摘して皮肉ったり小馬鹿にしたりということを芸風にしている連中である(人のことは言えない、私なんかもその一員である)。事実、宮台氏の証言内容を読んでみたが、法律家に向かって法解釈を説く(宮台真司証人尋問調書第4頁)などというのは、彼らのプライドを傷つけて憎しみを抱かせる、被告側にとっての自殺行為でしかない。これだから学者というのはダメなのである。法律の権化を以て任じている裁判官たちが、こういう人たちの言を聞いて素直に“ああ、自分たちのわいせつに関する法律的認識は古かった、自分たちは愚かであった”と思うか、と言うと、そんなことは絶対にない。裁判は朝まで生テレビとは違うのである。裁判官をいくらバカと証明しても仕方がない。法廷の場に立った時点で、こっち(被告)の運命を握っているのは彼らなのだ。そして、まずいことに宮台氏が言っていることは100パーセント正論である。人間、最も相手に対し憎悪を抱くのは、正論で論破されたときである。正論を述べるにもTPOというのはあるのである(感情的被告擁護論者の諸君、あくまで“法廷戦術”のことを言っておるのだからね)。
かつて野坂昭如が『四畳半襖の下張』裁判で訴えられたとき、やはり丸谷才一だの吉行淳之介だのといった豪華メンバーが、見事な話術、見事なロジックでわいせつ文学を弁護したことがあり、マスコミには大ウケであったが、判決には何のタソクにもならなかった。裁く方もチャタレイ夫人裁判の頃から進歩がないが、裁かれる側の戦術もつくづく、進歩がない、著名文化人の登場など、マスコミ向けパフォーマンスとして以外の意味はない。控訴審以降のやり方に関してはかなり改めてかからないと、 今後とも勝利をおさめることは難しいだろう。
正月から仕事々々で、やはり神経がどこかキレているらしく、年末に依頼された仕事のいくつかがすっかり記憶から抜け落ちている。電話で催促された早川書房のフェアのためのポップ制作、文案を作り、K子に清書させて送らせる。『薬局通』は文庫で出たのが8年前、いまだにフェアの目玉商品のひとつとして扱ってくれているのは ありがたし。
昼に太田出版に、現在の私の仕事状況と、締切までの見通しなどをメール。編集H氏からの返事あり、それとのやりとりしばし。母から電話、明日の飛行機、ひょっとして飛ばぬかも知れずとのこと。なるほど凄まじい吹雪らしい。雪まつりに雪が足りないと騒いでいたと思ったらこれ。雑用にて渋谷区役所。地下食堂にてカツカレーとフルーツヨーグルト。カツの肉はふにゃふにゃのはんぺんみたいな代物ではあったがとにかくカツはカツで、それで390円。帰宅、ワニマガのトリビア16本、書き上 げてメールする。
2時にIVSのスタッフと東武で待ち合わせ、時間割にて『爆笑問題のススメ』出演について打ち合わせ、構成作家、ディレクターさんたち4人に、いろいろ取材される。なんと、この番組も古書について語ることをメインにしてほしいとのこと。『ふれあいラジオセンター』とカブらぬよう注意しなくてはならない。時間割ご主人に新 年の挨拶。 4時帰宅、それから本格的に原稿にかかる。太田出版にアリ原手直し一本、SFマガジン用資料集め、さらにモノマガ、必死で書いて8時35分までに5枚半、書き上げてメール。ふう、と息をついた。すぐK子と待ち合わせの『くりくり』まで。タクシー待ちの間、寒風吹きすさぶという感じ。寒いさむい。ケンさん絵里さんにも新年 の挨拶。
今日は『くりくり』、かなりの混み様。われわれは一番奥の二人用テーブルについたが、隣の大テーブルに陣取った五十代(?)くらいの三人連れ、話の内容からどうも東京都下の進学校M学院の関係者らしいのだが、アメリカがどうの、ヨーロッパ情勢がこうのという、ちょっと高級ぽい話をしていたのが、いきなりゴジラの話に話題 が飛び、そこから以降、急に話がオタク的分野に。
「今回のゴジラは出来はいいんだけど、入りが前回の7がけらしいですな」
「ハム太郎のときはガキどもが静かなんだけど、ゴジラになるととたんに画面指さして解説とか初めて、このモスラが……とかうるせえうるせえ」
「昭和のゴジラは、ただボーッて感じで放射能を吹くでしょう。平成のゴジラは、ためといたやつをバッ、と吐き出すように吹くんだな」
「ゴジラはアメリカでも作ったんでしょ?」
「あれはダメだった。そもそも、怪獣の概念が違うんだな、ウルトラマンもアメリカで作ったパワードてのがあるんだが、能力と能力の闘いじゃなくて、やっぱり力と力の闘いになるんだ。工夫がないからつまらねえ」
「アメリカ人が日本のアニメを見て夢中になるのはわかるね。ディズニーとかを除けば、あっちのテレビ向きのアニメの質なんて、本当にひどいもんだよ。でも、それだから、大人になって、きちんと小説だとか、そういうものに移行するんだね。日本の子供向けアニメは出来がよすぎて、大人になっても卒業できない」
「そうそう、『鋼の錬金術師』、あれは俺たちが見ても面白い」
「いや、『カウボーイ・ビバップ』の方が面白かったよ。あれは子供と一緒に見ていて、子供よりこっちが感心するくらい面白かった」
「でも、やはりアメリカと日本じゃ、正義の概念が違いますな。アメリカのプロレスを見てると、ベビーフェイスの人気者でも、相手の後ろからイスで殴りつけたり、卑怯な手を平気で使うんですな。ルールを遵守してピンチに陥るという、日本の力道山からの伝統なんてまるでない。勝たないとダメなわけ。あれが国民の常識なら、イラク攻撃に日本が何を言っても、“お前ら、バカか”てなもんですよ」
「そう言えば、こないだ有名なレスラーが死んだねえ、噛みつき魔」
「ああ、ブラッシーね。懐かしいなあ」
「ブラッシーてのはあれ、引退後、どこかの学校で講師してたんじゃなかったっけ。大学出でしょ?」
「かなりのインテリ。それがレスラーになって、リング上で血まみれになって狂気の噛みつき魔になる。理想の大学出ですな」
「晩年は優雅な生活だったらしいね」
「向こうのレスラーは稼ぐよ。タイガー・ジェット・シンなんかはもう、もう、アメリカで会社経営している大金持ちで、レスリングは趣味でやってるらしい」
「アメリカ人てのはそういうエリートと野獣の二面を持つタイプが好きなんだな」
「ボブ・サップも薬大出だしね」
「ボブ・サップはいくら強くても眼が善人なんだ。顔が優しすぎるから日本でしか人気がない。マイク・タイソンは顔が怖すぎるから、アメリカでは人気があっても日本 では人気がない」
「スティーブン・セガールなんて怖い顔だもんね」
「あ、あの男の奥さん、日本人なんだよ。娘も女優でね、ひと昔前にゴジラ映画に出ていて」
などなど。こういう話をもう頭がすっかり白くなった、教育関係者が平気で話す。 いい時代である。
もっと耳をすましていたかったが、あまり入れ込んで聞くと、
「イエ、パワードはアメリカではなくてカナダ製作です」
「タイガー・ジェット・シンもアメリカではなくカナダの事業主です」
「藤谷文子が出ていたのはゴジラ映画ではなくガメラです!」
などと、つい席を立って訂正に行きたくなるので自粛。
料理は最近、K子が子羊以上に気に入っている鶏半身にガーリック・スープ、フォアグラのソテー。実だくさんのガーリック・スープで体が温まる。フォアグラに添えられた白くてほそい、アスパラのような芋のような味の不思議な野菜、食べても正体 がわからず、後から絵里さんに聞いたらパースニップだとか。
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