30日
金曜日
ちょっと猛進
ひかえめなイノシシ。朝7時30分起き。朝食はソバ粉焼き。ブレア首相がイラク大量破壊兵器情報操作疑惑でシロと出たことで辞任したBBCのギャビン・デイビス会長の写真、あの伝統あるBBCの会長なのだから、さぞや山高帽とコウモリ傘の似合う英国紳士なのであろう、と勝手に想像していたら、五分刈りの坊主頭に髭面の、『バディ』誌でモテそうな腹のつきでたおじさんだったのに驚く。もう10年以上も前になるが初めてロンドンに行ったときにも、山高帽のジョンブルがどこにも見あたらず、探しに探して、やっと地下鉄ピカデリー駅で一人、見つけたときには大層感動したものであった。まあ、外人観光客が日本で羽織袴の日本人に会いたいと思うよう なものかも知れないが。
メール処理いろいろ。母から、先日(27日)の日記の物価値段表を見て思い出した、と来たメールによれば、ちょうどその当時(昭和12〜3年頃)、親父は小学生で、その時の訓導の教師が、ある日月給袋から、もらい立てのピンピンの100円札を取り出し、“おまえたち、100円札を見たことがあるか? これがそうだ”と、教室じゅう見せて歩いたのだそうな。親父はひとつ話にして、
「よっぽど嬉しかったんだろうなあ」
と言っていたという。課長クラスに昇給したわけだから、それは嬉しかったろう。
睦月影郎さんは『バジリスク』を単行本三巻一気に読んで、ハマッたらしい。殊に女忍者には抜きどころ満載、とのこと。そう言われてみればなるほど、毒の息を吐く陽炎、皮膚で吸い付くお胡夷、全身から血を吹き出す朱絹と、睦月さん好みのくのいちがゾロゾロである。自分が雨夜陣五郎になって、朧ににらまれて術が解け、“みんでくだされえ”とのたうちまわる、というのもなかなか妄想にはいいシチュエーショ ンかもしれぬ。
1時、どどいつ文庫伊藤氏来。フリマ歩きが趣味なのだが、このあいだ、手袋の、右手の方ばかりを100近く、山に積み上げて売っているところがあったそうな。なぜ右手ばかりがそんなにあるのか。事故で右手を失った人の持ち物だったのではない か、とか話す。
昼はホンコン焼きそば。銀行で振り込みし、帰宅してアップルパイ一ヶ。IVSからテレビで使った本、帰る。やはり『それでも月に〜』はテレビでは使用されないらしい。チェッ、気づかれたか。雑用多々、片づけているうちにどんどん時間が過ぎて 行く。
5時半、家を出て新宿、埼京線で池袋。キオスクで東スポの見出しに大きく『「トリビアの泉」にやらせ発覚!』とあるので、それこそ“へぇ”と驚き、読んでみるが内容はいつもの東スポの法則(見出しが大きいものほど内容はゼロに近い)通り。というか、『ネッシー発見!』とかいう記事をかつて一面にした新聞がよくヒトサマのやらせを非難できるものだ、とその心臓に苦笑。
池袋駅から延々歩いてサンシャイン。サンシャイン劇場・劇団新感線公演『レッツゴー忍法帖』(いのうえひでのり作・演出)。開田さんと一緒だったのでパンフレットをタダでいただけた。場内はひといきれで暑いくらい。開田さんと少し、席でマン ションばなし。あやさんは過去の公演のDVDを買いあさっていた。
で、『レッツゴー忍法帖』。開演が7時で、15分の休憩をはさんで終演が10時であった。その間の正味2時間45分、およそ意味というものを一切廃して、ただ、ひたすら馬鹿なギャグを数珠つなぎにし、ひたすら笑いをとることを主にして繰り広げられる大舞台。古田新太と高田聖子の腹話術ギャグ、池田成志の徹底して信用のおけないダメ人格の忍者など、それぞれの持ち味をいかしてノンストップで突っ走り、休息時間ですでに体力のほとんどを使い果たしてヘバッたようになる。思えば最初に新感線の芝居を見たのが99年7月の『直撃! ドラゴンロック2轟天大逆転〜九龍城のマムシ』であったが、あのとき見終わっての感想が“いくつまでここ(新感線)の芝居に耐えられるか”ということだった。あれから6年、私もいよいよトシかな、 と思うとちと情けない。
だが、今回の舞台にノリ損ねたのは、私の体力の衰えということばかりが理由ではないように思う。新感線独自のギャグのつるべ打ち、二転三転、四転五転のめまぐるしいドンデン返しが、前半では効果的にこちら(観客)を引っ張り回すが、後半、ラストの大立ち回り直前までそれが続くと、ジェットコースターに何時間も乗せられているようなもので、平衡感覚に狂いが生じ、非常に落ち着きの悪い状態になってきてしまうんである。少なくとも、後半の展開はオーラス直前の大きなドンデンひとつに絞って、前半でフッた伏線の収束に費やして欲しいと思ったのは私一人ではないと思う。観客の笑い疲れ具合の計算も演出のひとつである。終演後のロビーの観客の会話に注意していたら、一番多く耳に飛び込んできたのは“しかし、大したものだねえ、役者さんはこれを毎日やっているんだもんねえ”という言葉だった。つまり、“観ているこっちでさえこれだけクタビレるんだから、演じている方は……”、という感想 である。客がヘバってしまっているのだ。
全編を笑いで埋め尽くし、余計な意味、テーマ性、涙や人情といった不必要な要素を一切入れない純粋な喜劇をやりたい、というのは、実は多くの演劇・映像人の夢である。しかし、それがなかなか難しいのは、基本的に涙や感動に比べ、笑いに対しては人間の感覚はすぐに麻痺してしまうからである。優れた喜劇映画の多くが短編であることは、故ないことではない。また、長編の喜劇映画が、ドラマ要素を持ち込んで内容を薄めているように見えるのは、ギャグの出ないのを誤魔化しているわけではなく、ギャグ部分に行く前に、客のテンションをある程度下げて、笑いの瞬発力が鈍ら ないように工夫しているのである。
登場人物の性格・テンションがどれも同じ、というのも、ちと舞台をいつもの新感線に比べ平板に見せていた。やはり馬渕英里何のお姫様と入江雅人のお守り役の二人は、正当派時代劇的なヒロインと二枚目にして、橋本じゅん・阿部サダヲのはっちゃけぶりと対比させてくれないと、ギャグが生きてこない。悪役もしかり。粟根まことの悪家老は策士ぶりはさすがなのだが、とはいえ線が細い。もう一段、貫禄が上の黒幕役が欲しいところだ。70年代にテレビの正月特番で吉本新喜劇のチャンバラものを見たことがあるが、吉本オールスターに加え、二枚目役に人気絶頂時の西条秀樹、悪役に東映お子様時代劇の悪者役者ナンバー・ワン、吉田義夫を持ってくるというベスト・キャスティングで、西条秀樹は洞窟の中で爆弾が爆発、みんな真っ黒な顔で出てくるが、一人だけススひとつもついていない白塗りのままで、なんでやねんとみんなが言うと“俺は二枚目だ!”と一言。一方の吉田義夫は、斬りかかっていった西川きよしを一にらみでオビエさせ、“小さい頃からこの顔が怖かったんや”と泣きベソをかかせる。これでなくっちゃ、と手を叩いたものである。
ハネ後、楽屋に挨拶に行ったら、樋口慎司監督が廊下を拭いていた。開田さんがナニヲヤッテイルンデス、と呆れていた。楽屋廊下に差し入れの食べ物、飲み物が並べられており、それをこぼしたらしい。逆木圭一郎さんに挨拶、やっぱり出てくる言葉は“大変ですねえ”。ビル内の劇場というのはとにかく楽屋が狭く、そこにあれだけの役者さん、大道具小道具が並べられている。出をきちんとチェックして道具類を全部袖に揃えておくだけで大仕事だろう。ここの芝居の舞台監督にはなりたくないな、とちょっとオゾケをふるう。右脚の膝の裏が痒い。さわってみると虫さされあとが大きく腫れている。蚊に刺されたらしい。この季節に、と思うが、楽屋の廊下に、贈られた花がズラリと並んでいた。あの水の中にわいていたボウフラが孵化して、館内を飛んでいるものと思われる。
そこを出て、池袋駅までまた延々歩き、地下鉄丸の内線。お茶の水で開田さんたちと別れ、タクシーで中目黒まで。年輩の運転手さんが、何の脈絡もなく、今日判決の下った青色発光ダイオードの開発者への200億円支払い命令のことをフッてくるんで、ちととまどう。何とかアレのことか、と気がついて、いろいろと関連のことを話すうち、妙に親しげに家族のこととかまで話す仲になってしまった。結局11時に、中目黒すし好でK子と夕食。白身、コハダ、甘エビなど。隣にどこかで見た顔の人が座ったな、と思ったら、なんと中村橋之助だった。ちと強面風のマネージャーと、ブリやボタンエビなどを食べていた。へえ、梨園の売れっ子もこんな庶民的な店に来る んだねえ、と横目で見ながら、ちょっと得をした気分。