裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

餅は餅屋に、餅は餅屋に、ひかされて

 母はつきます今日もつくこの餅米を今日もつく。朝7時半。ソバ粉焼き、フジリンゴ半分。ヒゲの先遣隊長さんがイラクで人気者、の報。昔『陣中ひげ比べ』という軍歌があったっけ。“おいおい戦友 おい戦友 貴様のチョビひげなちょらんぞ……”というやつ。昭和13年のヒットソングである。こういうユーモラスな歌で国民が戦争に親近感を持つようになっていた裏で、国家総動員法整備が着々と進んでいき、同年施行されたのである。ニュースというのは何かを隠すために流されるものである。

 とはいえ、自民党は憲法を改正して日本を軍国主義にしようとたくらんでいる……というような、お定まりの被害妄想陰謀論にも私は組しない。憲法改正はあるかも知れぬ。日本は軍隊を持つようになるやも知れぬ。しかし、軍隊を持つ国すなわち軍国主義国家ではない。世界を見渡してみればあきらかなことである。オランダは軍国主 義国家か。ポーランドは軍国主義国家か。軍国主義とは、定義を言えば
「国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場」(広辞苑)
 ということになる。この定義の前半、“国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備”することがいかに不経済きわまりなく国力が疲弊するものか、また後半“軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場” がいかに世界から反発をうけ、国を孤立させるか。

 殷鑑遠からず、われわれはそれを現在、お隣の半島にある正真正銘の軍国主義国家において、まざまざと見ているではないか。一昔まえの小田実とかなら知らず、今現在の日本で“わが国を北朝鮮のような国にしたい”と思っている馬鹿がいったいどこにいるか。戦前の日本が軍国主義たりえたのは、植民地主義時代の末期に時代が置かれ、アヘン戦争に敗れた清国の轍を踏んではならない、という危機意識が日本全体に覆い被さっていたからであり、少しでも油断すれば国が征服される、という集団ヒステリー(ただし根拠ある)に国民全体が覆われて、自らの生活レベルや自由が軍事によって制限されることを是としていたためである。全国民レベルにその意志がなければ、いかに国家権力が自国を軍国主義たらしめようとしても、無理なのである。

 ものの価値は時代によって変化する。すでに世界は、戦争が割にあう時代ではなくなっているのである。戦争というのは、軍備だけあれば出来るというものではない。現代の戦争は総力戦である。国のあらゆるシステムが、戦時対応状態になっていなくては戦争を遂行することなど出来はしない。もし、小泉なり、その後の首相なりが、日本の軍国主義化を真にたくらんでいるとするならば、次のポイントは落とせないと思う。逆に言えば、そこをチェックすることにより、日本が本当に軍国主義の道を歩 んでいるかどうかがわかるはず、である。

 まず第一に、日本を軍国主義化するためには、農村の保護が肝要である。外国からの食料の安易な輸入をとりやめ、農業、牧畜業を保護し、食料自給率を高めねばならない。言うまでもなく、海外に侵略の足をのばす際に、兵卒の食料確保は、まず第一の関門となるからである。太平洋戦争時の日本軍は、この確保をきちんとせずに、現地調達という原則でやっていたために、数万の兵士たちが南方で飢えに苦しめられ、碌な活躍が出来なかった。また、労働力を軍隊にとられ、さなきだに生産力の落ちた農村は、銃後の国民に対しても十分な食糧配給が出来ず、多くの国民を食糧難の困窮に陥れ、それが国の戦意をいかに失わせたかはあまたの記録に残るところだ。向後戦争をしようとするものはこの前例に鑑み、まず国の食糧自給だけは何としても守らね ばならぬと考えているはずである。

 農村の保護はまた、人的資源の供給にもつながる。戦争において最も消費されるのは兵隊の命であり(いくら電子戦の時代になっても、最終的な勝敗は兵員の命を的にした闘いで決まる)、この補給を能率的ならしめるためには、予備軍となるべき農家の三、四男が大量に必要である(上記食料保護のためには長男・次男は農村に労働力として残さねばならない。これは逆でもいいが)。いかに愛国心あればとて、普通の国民は大事な一人っ子をいくさの場に差し出すことは躊躇するはずである。かつての日本軍が陸海合わせて240万人以上の兵(開戦時。終戦時は700万人以上)を確保できていたのは、当時の日本、殊に農村の大家族制が裏でそれを支えていたからであった。都会にはそれだけの数の子供を育てられる面積がない。やはり、農村・山間部に頼らねばならない。政府が地方優遇の政治を行い、農家の人口減少問題に必死で取り組みはじめたら、怪しいと思わねばならない。

 外交もまた重大事である。欧州戦争勃発時のヒトラーの外交手腕の魔術的な腕前は人も知るところ。日本も松岡洋右という大ハッタリの才を持つ外務大臣が外交権を一手に握り、大使や公使など、親米・親英派40人以上を一斉更迭するという改革人事を行い、省内の空気を一新した。また、欧米以外の諸国とも意外に細かい交流を怠らず、例えば先に記した国家総動員法の施行された昭和13年、対米戦に備え、非キリスト教国とのパイプをつなげておく必要から、森村財閥と三菱銀行が共同で建設したのが、代々木大山にいまなおそびえる回教寺院である。才気煥発たる外務大臣が任命され、また諸外国への気配りに政府が心を砕きはじめたならば、これは何かある。

 ……まだまだいくつもあるが、それはまた近著などに譲ることにするとして、要するに戦争の兆候というのは、政府が農業と食糧自給を重視し、地方財政を活発化させて人口を農村に増やし、外務省内の人事を一新して風通しをよろしくし、かつ周辺諸国との積極的な友好外交を行い……おや、と、なるとこれはむしろ野党が政策として常にかかげているようなことになってしまいはせぬか(と、いうよりこれは金日成の政策にも相似形だ。あの国がこれらの方針を成功させられなかったばかりに、破綻した軍事国家になってしまったことを見ても、これらの点が大事なのはわかる)。ついでに対米追随批判派のみなさんに言っておきたいが、そのアメリカに対し断固NOをつきつけ、アメリカ主導の国際連盟を脱退した外相・松岡洋右の帰国を迎えたのは、国民あげての大歓声であった。
「これでやっと日本も独自の外交を行える自立した国になった」
 と、全てのマスコミは報じてこれを喜んだのである。独自の外交という勇ましい言 葉がいかにアブナい代物か、よく歴史から学んだ方がよろしい。

 今日は昨日とはうってかわって調子よし。朝のうちに道新読書欄原稿アゲてアップする。神田森莉先生の日記で、ワニマガで出す雑誌の誌名が変わったことを知る。私 には通知がなかったのでちょっとびっくりする。『かべ耳劇場』だそうだ。後で編集のK氏からもらったメールによると、類似名で他社から出ていた企画ものが、惨敗という成績だったので、名称を変更したということ。ご迷惑を、と謝られたが、私はむしろ、こっちの名前の方が本家トリビアとカチ合わないのでありがたい。

 昼は昨日の鰯の缶詰が残っていたので、パスタを茹で、バタと醤油であえてネギみじんぎりと鰯を上に乗っけた、和風スパゲッティ。ワニマガ残りネタを書き出す。短いネタ16本でひとくくり、だが、マンガになりやすいネタを考えるとどうしても長くなり、結局原稿用紙7枚半程度になる。それがらみで風営法の条文を初めてきちん と読んだが、テレクラの定義が面白かった。
「店舗を設けて、専ら面識のない異性との一時の性的好奇心を満たすための交際(会話を含む。次項において同じ。)を希望する者に対し、会話(伝言のやり取りを含むものとし、音声によるものに限る。以下同じ。)の機会を提供することにより異性を紹介する営業で、その一方の者からの電話による会話の申込みを電気通信設備を用いて当該店舗内に立ち入らせた他の一方の者に取り次ぐことによって営むもの(その一 方の者が当該営業に従事する者である場合におけるものを含む。)」
 だそうである。落語のネタになりそうである。

 1時半、完成させてメール。これも年末からの持ち越し企画であった。2月あたまの温泉旅行をご褒美という感じにして(ご褒美がないと仕事できないというような奴はプロじゃないとは思っているが)、まだがんばらないといけない。外に出て、ブックファーストでヤングマガジンアッパーズ買い、さらにコミック売り場にてせがわまさき『バジリスク・甲賀忍法帳3』買う。アッパーズの方は筑摩小四郎死す。ラスト間近になって、キャラクターの消えて行くスピードも加速されてきた。まんまと相手の術中にはまっての死とはいえ、恍惚感の中での昇天であり、登場忍者二十名のうちでは最も幸せな最期を遂げた男、と言えよう。原作でも、他の忍者たちが、それぞれの体得している忍法の機能に特化された、人間味を感じさせないところが逆の魅力になっている(弦之介・朧の二人ですら、カリカチュアライズされた愛と純真さの権化であって、人間的と言えるキャラクターではない)連中ばかりの中で、唯一、直属上司である薬師寺天膳と、一族の長の孫である朧の間に板挟みになって苦しむという葛藤を見せ、年上の女・朱絹のハートもゲット、さらには弦之介はじめとする甲賀衆を たった一人でキリキリ舞いさせて、
「ああ、これはなんたることか、盲目、しかも手負いの一忍者に、これほど窮地に追いつめられようとは!」
 とまで作者に書かせる大活躍を見せる。筑摩小四郎、以て瞑すべし。

 ササキバラゴウさんからメール返事、こちらからの急なお願いに快く応じてくれるとのことで、大感謝。8時、タクシーにて幡ヶ谷。チャイナハウスで、このたびワールドフォトプレスを退社することになったフィギュア王N田編集長と会食。退社とは言っても、海洋堂などフィギュア関係者からは絶大なる信頼を得ている彼なので、このまま『フィギュア王』は彼の監修で動いていく(『映画秘宝』と町山智洋との関係と同じようなものか)。新会社に移って作る雑誌のこと、そこで関わる人々の話(私 にも縁深いところなので)など、いろいろ。

 チャイナの石橋さんに、今年はじめてですねエとか言われる。そうだったっけ。まあ、毎日のように足を運んでいる植木不等式氏などに比べれば、ほとんど来ていない部類に属する。金曜で店はムチャ混み、廊下の席で、いささか寒い。K子は彼の次の雑誌に大いに自分を売り込んでいた。炒め物中心のメニューだったが、ちょっとスー プとか蒸しものとかも欲しかったな。

 食事終えたあと、私とN田さんの二人で、さらに幡ヶ谷の小さなバーで、飲みながら話。中野貴雄はじめとする、オタク向け才能をどう一般世間に認知させていくかがこれからの課題、というような話。もっとも途中から自分語りになってしまい、いさ さか反省。私は酒が入ると聞き上手じゃないなあ。11時に出て帰宅、寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa