裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

日曜日

世田谷代田渡り鳥

 ひと声鳴いては駅から駅へ、小田原線の旅がらす、今日は代上かあしたは経堂か。朝8時半起床、ソバ粉焼き。昨日テンパったせいか、ちょっとテンション上がらずダラダラしてしまう。母から電話、マンションの件。いろいろ血縁についてのややこしい話。途中でキャッチホン、ミリオンNくん。まだ一本送ってないのあった由。すぐ メールする。

 有馬温泉旅行だが、そちらの住人の人からメール。なんと、昔、裏モノ会議室の常連さんだった月城飛鳥さんであった。いま、向こうでFMラジオ局の仕事をやっているとのこと。出演おねがいできませんかとの話。思いがけない縁でお仕事が入った。

 昼はカツめし。昨日紀ノ国屋で買ったカツに、池波正太郎センセイがエッセイで、“こうするとたまらない”と言っていた通り、ソースをかけて一晩おいたもの。なるほどこうすると、うまい、ような気がしないでもないでも、ないかまあ。

 昨日買ったCD片っ端から聞く。梅宮辰夫の『番長シャロック』『ダイナマイト・ロック』『シンボルロック』はみんな学生時代名画座の暗闇の中で聞いて、一回で覚えてしまったほどのインパクトのある曲。『シンボルロック』はなんと、カラオケに入っているというので今度歌ってみようか。なにしろ“シンボル、シンボル、男のシンボル、こいつで世界を征服しましょう”なんて歌詞(三番)のトンデモソングなの である。

 3時、某用件での新MLの立ち上げをI矢くんに頼む。その文案を考えてメールする。やっとミリオン、今度は単行本(『こんな猟奇でよかったら』)の方である。遅れに遅れてはいたものの、なんとかコラム三本のうち、一本(400字詰め6枚宛) 掻き揚げて、8時50分メール。今日はこれが限度か。

 夜は東北沢、『和の○寅』。最初の突き出しに出た、オリジナルの牡蠣のオイル漬けが馬鹿ンま。うーむ、とうなった。続いて合鴨ロースと野菜の焼いたものに芥子バターを添えたひと皿、寒ブリ刺身、牡蠣てんぷら。K子は牡蠣は嫌いなので、鯛の天ぷらにしてもらっていた。次もK子はダメなので、私だけのひと皿で、自家製のアン肝、昆布〆メの鯛、それに生ウニを順々に重ねたもの。これまた絶品。上から順に食べていくわけだが、まず最初のウニが果物のように甘くさわやかな、しかし当然ながらウニの風味は濃く裏に潜んでいる、という感じの味、続いての昆布〆メはねっとりとした舌触りで、いかにも関西人が発明した食い物、という感じの、一筋縄ではいかない複雑な味わい。そして一番下のアン肝は、それまでのアン肝のイメージをくつがえす、魚の内臓を使って作ったケーキとでも表現したいような味。三段構えの味覚タ ワーとでもいいたい一品だった。

 それから牡蠣鍋、と言っても主役は大根や里芋といった根菜類で、牡蠣は出汁用に入れている、という贅沢な鍋。もちろん、私は牡蠣もいただいてしまうが。K子のリクエストに答えて今日の鍋はほとんど味付けをしていないが、牡蠣の塩と出汁だけで十分に食べられる。これがあれば腎臓病になっても大丈夫なんじゃないか。最後は定番のお茶漬けだが、その前にとキンピラを出してくれた。このキンピラが、昔ながらの非常に塩っ気の強いキンピラ。酒は伝兵衛だったが、キンピラなら、酒じゃなくて焼酎だよなあやっぱり、と焼酎を頼む。なんでキンピラに焼酎かというと、月形竜之介の『水戸黄門』(1960年版)の中で、火消しの頭の中村錦之助が、ケンカした浪人の大友柳太朗と仲なおりしたくって、通りかかるのを待って聞こえよがしに、
「うめえ焼酎があるんだけどなア。それに肴はかかアの作ったキンピラ牛蒡なんだけどなア。相手がいねえんだよなア」
 と大声で独り言を言うシーンがあって、それ以来、焼酎にはキンピラ、という図式が頭の中に出来てしまっているんである。最後の昆布茶漬けはいつもながらベスト。酒も料理も量もちょうど、のところで、K子も大満足であった。タクシーで帰宅、すぐにひっくり返るように寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa