裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

土曜日

釈迦と阿弥陀と男と女

 お釈迦様も阿弥陀様も、恋の悩みを救っちゃくれない。ゆうべ、夜中に電話数回、かかってきたが出る気にならず、無視して布団かぶって寝る。朝、5時半ころ目が覚める。土曜日だが、午前中までに『別冊GON!』原稿アゲないとオチるというかなりアヤウい状況。しかし、分量からいって、ダッシュのスピードでかけば何とかアガる、という見込みはあり(伊達に十数年も原稿の遅い作家をやってはいない)。私は一番執筆のスピードがあがるのが朝なので、エネルギーを蓄積するため、無理にたっぷり寝て7時半起床、唐辛子入りパスタを中華スープで。中華スープはユウキ食品のロイヤルスープストックを用いているが、ごま油一滴で全く異なった味になる。

 新聞、陸自派遣のニュース一面。平和を願い、人類が愛につつまれることを望む多くの反米反戦派の心の底に、“こいつら、早く攻撃を受けて死ねばいい”というドス黒い期待が渦を巻いていることであろう。夕刊紙などのうちには、すでに予定稿書いているところもあるのではないか? クリーニング屋さんが、携帯を届けてきてくれた。ホッと安心。誰かが拾って勝手に長距離とかかけていたら、と心配だった。

 母から電話。夜中のは、札幌へ帰って、K子のマンションに関する報告メールを読んだ母からのものだったらしい。かなりあわてている様子。K子を出してちょうだいというので、話を引き継がせる。やはりあのアクロバットには反対らしい。さて、どうなることか、話は二転三転、いかがあいなりまするか、続きは後のお楽しみという 感じでこっちは原稿。

 しゃっくしゃっくと書き始める。性器具関係の特許に関するコラムで、こういうものは手に入っているテーマ。とはいえ1000文字程度のものがいくつもあり、こまごまとしていてめんどくさい。10時過ぎ、ミリオンNくんから、いま、渋谷ですとの連絡。少し待ってもらう。11時にまだいくつか残っているが、いつまで待たせてもと思い来てもらい、プリントアウトしたものと、図版用の本を手渡す。少し雑談、松文館裁判のことなど。被告が業界であまり好かれていなかった人物であることも大きいはず。とはいえキシ・もとのり名義の彼の漫画に出てくる女性の絵、昔は案外好きで、高校生のころ、彼の作品でヌイたこともあったよ確かオレ、とか話す。

 彼が帰ったあとでリード文を追っかけでメール。ホラ、ちゃんと間に合ったではないか、といい気分になって(そもそもこんなギリギリで原稿書いてはイカンのであるが)風呂に入る。K子と母の談判であるが、どうやら解決はついた模様。アクロバットはやめて、母から頭金を借り入れるという、しごくまっとうなカタチに落ち着いたようである。もっとも、その金はあっちのものをこっちにやって、こっちのものを、というK子流のやり方で、母に迷惑をかけずにカタをつけるという。やっぱりアクロバットぽい。それにしても母もK子も、ちゃんと先の用心は考えていたのだなあ、と感服。私など、彼女たちに比べれば恐ろしいまでのいきあたりばったり人生である。

 昼はワカメのミソ汁、冷凍庫の中のラム焼いてジンギスカン、白飯のパックが切れていたので赤飯で。SFマガジンの図版をどたばたでまだ送ってなかったので、S編集長から悲鳴のようなメールが来た。急いで荷造りし、コンビニに行く、が、井の頭こうすけさんの電話番号メモを忘れ、また戻ってやり直すハメに。その後その足で新宿に出かけ、紀伊国屋書店で、書評用の本を数点買う。なかなかよさそうなものが見 つかった。その後、CDショップに立ち寄り、少しバカ買い。

 帰宅、すぐ原稿(と学会本。今日が最終締切である)、に入らねばならんのだが、つい、買ってきた『オウム真理教大辞典』(東京キララ社)を読み込んでしまう。私もあの頃はオウムオタクであった。読んでいると、当時のあの状況、朝起きたらまずワイドショーでオウム報道を見て、昼は友人たちとパソコン通信でオウム情報を交換しあい、夜は特別番組でオウムに関する議論を聞いて、という毎日が、何か充実していたよな、と可笑しく思い出される。非日常を私たちはああいう形で日常へと変換す る作業を行っていたのだ。

 オウム替え歌もいくつか紹介されているが、裏モノ会議室でも当時やたら作っていた。替え歌アップはパソ通では禁止だったので、パティオを作って募集していたもの である。
「静かな上九の森の陰から もう消しちゃいかがとグルが鳴く ポア ポア ポアポ アポア」
 とか
「サティアンはね 真理って意味なんだ本当はね だけどオウムは施設をサティアン て呼ぶんだよ おかしいね サティアン」
 とか
「赤いクルタは謎の人 どんなカルマか知らないが どろりと濁る 見えない目 オウムの尊師だ 麻原だ 毒ガスしゅっしゅっ しゅっしゅしゅっ 麻原はゆく」
 とか。最後のは冒頭に“総理大臣がまだ村山富市だったころ、富士山の裾野に真理教という怪しい宗教がはやっていた。それを信じないものは、恐ろしいサリンに見舞われるという……”というセリフがつく。ちなみに発展して二番(大川隆法)、三番 (池田大作)も出来、『教祖マーチ』というタイトルがついた。

 などとアホなことを考えつつも仕事ギコギコ。4時に12枚、アゲ。メールして、やれ、これで年末からずっとかかりきりだったと学会本からやっと解放(まだ作業はいろいろ残っているが)された、と息をつく。もっとも、読み込む時間がなかったり書庫からどうしても掘り出せなかったりして、予定していて書けなかった本(代替原 稿でお茶を濁した)が何冊かあるのが反省点。

 疲れた脳を休ませようと青山まで行き、紀ノ国屋で買い物。リンゴ、ポンカンなどの果物、明日の昼飯の菜など。見慣れ行き慣れたこの店もあとひと月であるが、あまり感傷がないのは、わが家の食事係がこれからは母になり、どうせもう、そんなに頻 繁には立ち寄らないようになるためであるか。

 夜8時、渋谷駅でK子、パイデザ平塚夫妻と待ち合わせて武蔵小杉、今年に入って最初の『おれんち』。駅から店に向かう途上でミリオンから電話。一本、プリントアウトは渡したがメールが届いていない原稿があるという。今夜再送すると返事。『おれんち』には、能登の五郎島金時の、最後の数本をお年賀にする。カウンターで、並んでベルギービールで乾杯。燻製、鶏刺し、レバ刺しでとりあえず飲んでいる間に、若大将がカウンター向こうで、手から逃げ出そうとピチピチもがくヒラメや、ほとんど殻の中いっぱいに身がつまっているホタテなどに包丁を入れている。ヒラメのうす作りは美味で当然だが、ホタテという貝を私は実はあまり好まない(北海道生まれなのに)にもかかわらず、このホタテの、殊にヒモの部分は絶品、佳品、極上品。あとまたいろいろ、例の巨大掻き揚げも食って、やや腹がハチ切れそうな状態になる。五 郎島芋を、薄く切って揚げてチップスにして出してくれた。これも美味也。

 帰宅、中目黒からタクシー。新中野に引っ越すと、この『おれんち』へのアクセスがやや、不便になるのが難である。まあ、船山やくりくりはじめ、どこへのアクセス もそうだが。帰宅、メールでミリオンに原稿送って寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa